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3周年だよ!ヴァルキリー集合!

天界の中でも、最もうららかな日が降り注ぐと噂の丘。以前アマテラス、タマモ、マーニが惰眠を貪った場所よりもさらに明るいこの場所は、ピクニックを楽しむ天界の住人で常に賑わっている。その一画にて、立派な羽を携えた者たちが、バスケットに入った手軽な食事を囲み談笑していた。
「ええ~コホン!あ~っとお、今日は『第一回ヴァルキリーやら何やらの会』に参加してくれてさんきゅー!」
鴉の濡れ羽色の羽を大きく広げたムニンがジョッキを掲げ、大音声で「乾杯!」と叫ぶ。
今日ここに集ったのは、ヴァルキリーや鴉神など、オーディンの側近たちである。ラグナロクも無事に潜り抜けた彼らはつかの間の平穏に現を抜かし、ピクニック、もとい、飲み会のようなものを開いていた。人間界で調達した大きなビニールシートに皆が集い、食事もそこそこに会話を楽しんでいる。先ほど音頭を取ったムニンは早くもアルコールで上機嫌だ。
「おい、あまり羽目を外しすぎるな」
「ええ~?羽?アタシの羽は取り外し不可なんだけどぉ!あ、フギンのは取れるの!?着脱可能系鴉神!?あっはっは!」
対の鴉神であるフギンが苦言を呈しても一切気にする事はなく、ムニンは快活を体現したような笑い声をあげる。
「取り外し可能にしてやろうか」
フギンは自分のグラスをヒビを入れんばかりの力で握り低い声で呟いた。
「フギン、やめてくださいませんか。折角MTGをリスケしてこの会に来たのに、問題を起こされたら私のタスクが増えます」
フギンの不穏な一言を窘めたのは、薄い水色の髪を几帳面に結ったヴァルキリー、ラーズグリーズだ。こちらはアルコールを入れる気はないようで、グラスの中の『イズン印のりんごジュース!』をちびちびと飲んでいる。
「まったく、何故こうも粗雑な……うぐっ」
ラーズグリーズがため息をつきながらグラスを傾けた瞬間、勢いよく後ろから突進された。堪らず彼女はむせる。
「ねーえ!ラーズグリーズってアースガルドの兵団の人なんでしょ!?強いんでしょ!?」
ラーズグリーズの視界に入ったのはオレンジの髪が元気に跳ねているヴァルキリー、ヴェルダンディだ。
「そーだよ!でもまあアタシの方が強いけどね!」
ヴェルダンディと共にラーズグリーズに突進したランドグリーズは、すかさず彼女の言葉に訂正を入れる。
「ランドグリーズも強いけどさ!いつでも試合できる相手より、珍しい相手と試合してみたいじゃん!」
ラーズグリーズが気管に入ったジュースで苦しんでいる横で、突進した主である2人が大声でわあわあと言い合う。
「あ、なた、たち……!」
ラーズグリーズは呼吸を何とか取り戻し、立ち上がった。体の周りには水の塊が刃のような鋭さを持って無数に舞っている。
「ヒュー!戦いかい!?これは最高の酒の肴だねぇ!」
ムニンが何杯目かわからないジョッキを掲げながらやんややんやと騒ぎ立てる。ヴェルダンディとランドグリーズも各々で臨戦態勢に入り、期待で目を爛々と輝かせた。
「ちょ、ちょっと!落ち着きましょう!」
今にも試合という名の死闘が繰り広げられそうな三者の間に、スクルドが割り込んで叫んだ。
「ラーズグリーズもランドグリーズも!あと姉さんも!せっかくの会なんですから楽しく平和に!いきましょう!」
「ううう~でもぉ」
「姉さん!ウルド姉さんに言いつけますよ!」
スクルドの気迫と脅しにヴェルダンディはすごすごと引き下がる。ラーズグリーズとランドグリーズも、スクルドの言葉でそれぞれ臨戦態勢を解いた。

「う、うわあああ!」
スクルドがほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、どこからか男性の悲鳴が聞こえた。声の出どころは、皆が集まっているビニールシートから少しだけ離れたところにいたレギンレイヴのようだ。相変わらず動物に好かれているようで、彼はどこからともなく現れた天界の動物たちに囲まれていた。だがレギンレイヴはいつもしているように動物たちを愛でることはせず、何故か硬直し今にも倒れそうだ。
「……うさぎ、かわいい」
レギンレイヴの傍らには薄緑の羽を持つヴァルキリー、ヘルヴォルがいた。彼女はレギンレイヴそっちのけで彼の周りにたむろっている動物たちを愛でている。近くに女性がいるという非常事態に、レギンレイヴは意識を手放す寸前だ。
「あ、ちょ、ヘルヴォル!ダメだって不用意にレギンレイヴに近づいちゃ!」
レギンレイヴに助け舟を出したのは、目の覚めるような青い鎧に身を包んだノルンだ。彼女はヘルヴォルの近くまで素早く飛んでいくと、彼女の身体に手を回して引っ張り、レギンレイヴの近くから遠ざけようとした。
「嫌です……もっと触ってたい……」
「だーかーらー!レギンレイヴがかわいそうじゃん!」
ノルンの力を持ってしても、ヘルヴォルはレギンレイヴの隣から頑として動かない。すると、息も絶え絶えになったレギンレイヴがか細い声を出した。
「ちょっ……と……待ってね……」
弱弱しく近くにいた小柄なうさぎを呼び寄せると、小さな声その大きな耳に何事か呟いた。そして頷くと、ヘルヴォルにそのうさぎを差し出す。
「はい、この子が、触ってもいいよって……だからこの子を連れてちょっと離れてくれないかな……?」
ヘルヴォルはそれを聞くと大きく何度も頷いて、嬉しそうにうさぎを優しく抱きしめた。ノルンはレギンレイヴから距離を取ったヘルヴォルを見て安堵からか息を吐きだし、にっこりと笑って「あはは!」と笑う。
「よかったあ!レギンレイヴが気絶するとこだったよ!もしそうなったら、折角の会なのに記憶なくなっちゃう!もったいなーい!ってアタシ記憶ないやないかーい!」
あっはっは、と自分で自分にツッコんだノルンが屈託なく大笑いする。レギンレイヴがノルン最大の自虐ネタにどう対応するか戸惑っていると、黒い姿が高速で接近し次の瞬間にはムニンがノルンの肩を抱いていた。
「アンタいける口じゃないのさ!オモシロいねそのネタ!」
「でっしょでしょ!?これホントあたしの鉄板ネタなの!」
「イイねアンタ気に入ったよ!アタシと飲み比べしない!?」
レギンレイヴそっちのけで興奮しつつ2人で話していると、背後から誰かが大きくむせる音が聞こえた。
「うぐ……なんだこれは……!」
音の主であるフギンが、若干涙目になりながら自分の手に持っているサンドイッチを信じられない、という目で見ている。それを見たムニンが、いまだにノルンの肩に手を回しつつも「やっべ」と小声で漏らした。
「どうしたのムニン、何か顔青いけど」
ノルンが尋ねる。
「いや~……まさか、小言大魔王……じゃなかった、フギンに当たると思ってなくて」
「どういうこと?」
ノルンがムニンから渡された酒を嚥下する。炭酸のはじける感覚が楽しいらしく、ムニンの表情と対照的に赤ら顔だ。
「実はちょっとこう、皆を驚かせたいなって気持ちでサ、一個サンドイッチに細工しちゃってさぁ」
「……ほう?なるほどな。で、どんな細工を?」
「ハバネロとかひまし油とかにっがい薬草とかいれたの!アハハ!……っていうか、ノルン、突然、声が低、く……」
「お前がこのサンドイッチの首謀者か、ムニン」
「うっわあああああ!」
ムニンは、自身のすぐ後ろに来ていたフギンに悲鳴を上げる。ノルンはムニンの腕が肩から外れたのをいいことに、さらなる酒を求めて酒樽の方へ飛んで行った。
「あ~……あはは、その薬草、まずいけど体にいいしほら、ね、フギンもこう、アンチエイジング的な……?あ、ああ!アタシそういえば用事があるんだったー!じゃ、じゃあねばいばい!」
ムニンは苦し紛れの言い訳をし、すぐさま大きく羽を広げ飛び去る。一部始終を見ていたスクルドが、これから起こるであろうムニンとフギンのデッドカーチェイスを予測して目を瞑る。
「ふふ……ハッハッハ!」
スクルドの予測を裏切るかのように、フギンの笑い声が響く。
「フ、フギン……?」
スクルドがおずおずと声を掛けると、その直後に控えめに見ても泥酔しているヴェルダンディとランドグリーズが近づいてきた。
「ヒック……フギンも冗談をちゃんとたのしめるようになっらのか~!」
「ちょっと、ヴェルランリィ!まだアタシとの飲み比べのとちゅうれしょうが
~!」
フギンは3人を一瞥すると、笑いで肩をクツクツと震わせながら、サンドイッチを携えて自分がもといた場所に戻っていく。何が楽しいのだろうか、少し大きめに鼻歌を歌っている。
「め、珍しい……あのフギンが歌を、それも鼻歌を歌うなんて!」
スクルドが驚いている横で、ヴェルダンディとランドグリーズは酔っ払いここに極まれりという言葉がしっくりくるほど大笑いをしている。
フギンは鼻歌を歌い続けながら、ムニン特製サンドイッチを自分の皿に置いた。
「い、いけません!あの歌!」
遠くにいたラーズグリーズが鋭く叫ぶ。フギンが大きく羽を開いた。
「『YAH YAH YAH』です!」
「殴りに行く気ですか!?」
ラーズグリーズの声にスクルドがすぐさま反応する。人間界の人気バンド『CHOGE and MSKA』ぼ曲を口ずさんだまま、フギンが飛行を始める。
「ちょ、まっ!フギン!ムニンを追うのはやめてください!」
フギンにはスクルドの声はもう届かない。狙うのは赤い鴉神、もとい害虫ただ一匹だ。
「ランドグリーズ、あなたフギンを止めなさい!」
ラーズグリーズがランドグリーズに叫ぶと、ランドグリーズは酒を持ったまま「あいあいよ~!」となんとも締まりのない受け答えをした。
「羽!羽ねらお!羽!」
隣のヴェルダンディがランドグリーズに嬉々として提案する。ランドグリーズは「おっけい!見ときなアタシの魂の一投!」
と叫び、自分のジョッキを大きく振りかぶる。

「ランドグリーズ選手、今期も活躍が期待されていますが、先日の登板ではラーズグリーズ選手に惜しくも苦汁を舐めさせられています。どう思われますか解説のウルド姉さん」
ヴェルダンディが流暢に話す。
「そうねぇ、この一投をステキに投げられるかどうかが大切なのではないかしらってわたくしは思います。……これ、焼いた方がおいしいかしら」
「なるほど、この一投で今季の活躍が左右される、というわけですね……ところで姉さん、何を持ってるの?」
「さっき、いいうさぎを捕まえたのよ~。美味しくしようかなって持ってきてみたわ」
「や、やめたげて!放してたげて!それ多分レギンレイヴに寄ってきた子だよ!」
解説と実況のウルド・ヴェルダンディを他所に、ランドグリーズが渾身の一投をフギン目掛けて投げた。強肩から放たれたジョッキは高速でフギンへと接近する。
鈍い音が響いた。
羽を狙ったはずのジョッキは、投手の泥酔によりコントロールが若干ずれ、フギンの頭にクリーンヒットした。
「ホームラン!いい当たりだね~!」
ノルンがジョッキ片手にはやし立てる。
「いやそんな場合じゃないですよ!」
スクルドが警鐘を鳴らすも、意識を失ったフギンは高速で落下していく。
「あんなにキレイに頭に当たったら、あれだよ!記憶なくなっちゃうよ~!ってアタシ記憶ないやないかーい!」
「そんなこと言ってる場合ですか!」
「本日2度目の持ちネタ披露!感謝感激雨あられ~!」
ノルンとスクルドが言い合っている間に、フギンはどんどん地面に近づいていく。それに気づいたスクルドが悲鳴を上げ顔を背けようとしたその瞬間、フギンの身体が大きく柔らかい物の上に落ちた。
「ギャウッ!」
フギンが落ちた衝撃で、その大きく柔らかい物が短く叫ぶ。その声をスクルドが耳聡く捉えた。大きく、そして水色の毛の、冥界の——
「フェンリル!?」
スクルドの声も聞こえないのか、フェンリルは背に落ちてきたフギンをそのままに立ち上がって歩み始める。
「あるぇ、何で冥界のわんちゃんがここにいるのぉ?」
泥酔状態のノルンが大ジョッキをあおる。
「ノルン!もう飲まないでください!フェンリル!フギンを下ろしてください~!」
スクルドはツッコミで喉が枯れそうだ。フェンリルはゆっくりとした歩みでピクニックをしているヴァルキリー達に程近い木の下へと進む。そこには、先ほどヘルヴォルによって体力気力共にすり減らされたレギンレイヴがいまだ動物たちに囲まれつつ下を向いて座り込んでいた。
「えっレギンレイヴの動物を寄せる能力って、フェンリルとかそこらへんも呼び寄せちゃうんですか!?」
スクルドの驚きを他所に、フェンリルはレギンレイヴに甘えた声を出してすり寄った。
「ギャオウッ!?」
しかしその声は、レギンレイヴの顔を覗き込んだ瞬間に恐怖の鳴き声に変わる。フェンリルが素早く後ずさると同時にいまだに意識のないフギンは背中から滑り落ちた。フェンリルはそのまま地を揺らしながら逃げていく。
「お、ラッキー。フギン、オチてるじゃない」
地べたに横たわるフギンの下に、先ほど逃げたムニンが戻ってきた。手には何らかの薬草が握られている。
「『忘れな草』、生えててよかったわ~。これを嗅がせりゃサンドイッチの事は一発で忘れてくれるしね……ていうか、フェンリルがあんなに走って逃げていくなんて珍しいわねぇ」
ムニンはフェンリルを一瞥し、フギンへと視界を戻す。その視界の端に、レギンレイヴの姿が見えた。
「あれ?アンタもオチてんの?」
下を向いたまま微動だにしないレギンレイヴの顔を覗き込む。瞬間、盛大に吹き出した。
「あ、アンタそれっ何っあっはははは!誰がやったのそれっフフフゲッホゴッホグボゲエッホ!」
「ムニンさんだいじょうぶですか!」
笑いすぎてむせたムニンに小さな手が水を手渡す。ムニンは咳こみながらも礼を言い、嚥下した。
「ありがとうね、フリスト……で、ンフ、この面白いのは、フフ、誰がやったん、フフ、だい?」
レギンレイヴを指さす。そこにはいつもの優し気な美少年の面影はなく、女性用の化粧品でこれでもかという程の厚化粧を施されていた。奇麗な赤の髪も、今はリボンで小さなツインテールを作られており、非常に滑稽だ。
「あのぅ、それは……」
「ウチがやった」
言い淀むフリストの言葉を遮るように、ピンクの髪のヴァルキリーが話に割り入ってきた。「天界最後のJK」ヘリヤだ。今日も気怠そうにしているが、その手には携帯端末ではなく化粧パレットが乗っている。どうやらヘリヤがレギンレイヴに化粧をしたらしい。
「珍しいね、アンタが人にいたずらするなんて」
「ち、違うんです!」
小さなフリストがどうにか2人の視界に入ろうと飛び跳ねる。
「フリストがヘリヤお姉さまに頼んだのです~!」
「……なるほど?」
ムニンがフリストから話を聞く。
 フリストがヴァルハライチゴを挟んだサンドイッチを食べている時、ヘルヴォルとレギンレイヴのやり取りを見たらしく、「女性が苦手」であるレギンレイヴをかわいそうに思った。それを近くにいたヘリヤに告げたところ、「じゃあ、慣れればいんじゃ?」と言われ、レギンレイヴ自身を女性に似通わせる事で克服を試みたという顛末だ。レギンレイヴは初めの方こそ弱弱しく抵抗していたが、ヘリヤとフリストに化粧をされ、触られすぎた結果、気を失ってしまったらしい。
「よかれと思ってやったんですぅ……」
フリストが自分の服を握り込みながら泣きそうな声で呟いた。ヘリヤもなんだか元気がないように見える。
「あはは、2人とも善意からだったんでしょ?レギンレイヴが目覚めたら、ちゃんと訳を話しな。大丈夫、怒られやしないよ」
ムニンは2人の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「……で、それ、貸してもらってもいい?」
ヘリヤの化粧パレットを指さした。

「ムニンさん、起きちゃったら……」
「シー!起こさなければいいのよ」
『レギンレイヴ子』が座る隣に鎮座させられた意識のないフギン。ムニンはフリストの制止も聞かず、彼の顔面にチークを塗りたくっている。
「いっつも小言言われてる身だとねえ、たまには仕返しってもんがしたくなるわけよ」
ムニンはアイシャドウを選ぶ。ラメ入りの派手な青色だ。笑いをこらえながらフギンの顔に手を近づける。透き通った美しい紺色の瞳と目が合った。
「フ、ギ、目、覚め……?」
「面白い事をしているな」
目を覚ましたフギンはチークをつけた滑稽な顔のまま、殺意を隠そうともせずムニンの腕をしっかりとつかむ。
「あっちゃあ~……でも、ほら、かわいいよ~?」
軽快な口調を崩さないが、ムニンの額には膨大な量の冷や汗が浮いている。フリストはフギンの気迫に気圧され、ヘリヤの下へと逃げていった。
「お前と共にオーディン様を守る事ができなくなるとは……寂しくなるな」
「実質上の殺人予告じゃーん!」
ムニンはフギンから離れようとするが、フギンの手が外れる事はない。あわや大惨事かと思われたその瞬間、2人の姿が忽然と消えた。
フリストとヘリヤは驚き、2人が消えた位置へと走る。騒ぎを聞きつけた他のヴァルキリー達も集まってくる。
「いったいらんの騒ぎら~?」
「あはは、わふぁんないけろ楽しいなあヴェルランリィ~」
「貴方たち……いい加減にしなさいよ」
ヴェルダンディとランドグリーズを叱咤しつつ、ラーズグリーズも寄ってくる。その時、レギンレイヴが座り込んでいる木の後ろから最高神が現れた。
「危ないところであったな」
オーディンが威厳のある声を発すると、今まで酔ってふらふらとしていたヴァルキリー達もすっと居住まいを正した。
「なぜオーディン様がこちらにいらしたのかしら?何か天界で問題が起こったのかしら……」
ウルドが頬に手を当て、心配そうに尋ねた。それに対し、オーディンはゆったりと首を振る。
「私が、呼んだの」
オーディンの陰からすっと漆黒のヴァルキリーが現れる。片翼のヴァルキリー、ブリュンヒルデだ。
「ブリュンヒルデが妙に慌てて我の下に来たのだ。このような形で」
オーディンがすっと右手を挙げると、ヴァルキリー達の前に紗のようなものが現れ、そこに映像が投射された。どうやら過去を再現できる魔法のようだ。
「これは……幻覚の魔法ですか?オーディン様、このような事がお出来になるのですね!」
「いや、初めてやった」
スクルドの感嘆の声は、オーディンの否定により行き場を無くし、虚空へと消える。
「わからんが、今やってみたら出来たのだ」
「オーディン様、酔ってます?」
「先ほどトールが来てな」
オーディンの答えにスクルドは頭を抱えた。酒好きのトールが来たのならば相当量のアルコールがオーディンの中にあるのだろうことは明白である。
「スクルド!悩んでないでさ、ほら見て!なんか映し出されてる!」
ヴェルダンディがスクルドの肩を力強く叩く。スクルドは痛みで肩を抑えながらも指された方に目をやった。紗に映し出されたのは、荘厳な館。オーディンの住まう場所だ。そこにはオーディンとブリュンヒルデが映し出されている。オーディンが椅子でゆったりとしているのと対照的に、ブリュンヒルデが妙に慌てた様子だ。その映像を見たブリュンヒルデが顔をカっと赤くする。
「オーディン様、これは、これは、流さないでください!」
「いいではないか、久しぶりに汝の昔の姿の片鱗が見えたのだから」
「は、恥ずかしいのです!」
慌てるブリュンヒルデは、ヴァルキリー達にとっても新鮮だ。一行を無視して映像は続く。

『どうした、ブリュンヒルデよ』
『あのっ!今すぐ来ていただきたく!』
『落ち着きたまえ。何があったというのだ』
映像の中のブリュンヒルデは黒い羽根をパタパタと忙しなく動かしている。
『今、ヴァルハラの丘でヴァルキリーの宴を行っているのですが、収拾がつかなくて』
『ほう……?だがそれくらいならば、放っておいてもよいのではないか。むしろ我が行く事で委縮しかねん』
『そんなことはありません!』
ブリュンヒルデの大声にオーディンの肩がわずかに動く。
『ヴァルキリー達は皆オーディン様を慕っております!それにこのままだと、もしかしたら怪我人が出るかも……!』
ブリュンヒルデの一生懸命な訴えに、オーディンはかすかに表情を和らげた。トールの持ってきた酒が回り始めているらしい。
『久しいな』
『えっ』
ブリュンヒルデは怪訝そうな顔をする。
『いや、汝の羽が黒く染まる以前——サングリズルと共に駆けていた頃の汝に見えてな』
ブリュンヒルデは怪訝な顔から一転、焦りと恥ずかしさを含めた複雑な表情になる。
『オ、オーディン様、この事はご内密に』
『よし、では行こうか。我がヴァルキリー達のもとに』
ブリュンヒルデの願いは届かず、オーディンは館を後にしたのだった。

「あうあ……」
ブリュンヒルデが声にならない声を上げ、じりじりと後ろに下がると、片翼を大きく広げて飛び去ってしまった。
「と、まあ、このような形で我は呼ばれたのだ。来た瞬間にフギンがムニンを消そうとしているのを見た時は、若干肝が冷えたがな」
その言葉にノルンが反応する。
「そういえばオーディン様、さっきムニンとフギンに何をしたんですか?突然2人が消えてびっくりしました!」
オーディンは、「ああ」と返事をし、事も無げに口を開く。
「互いを別々の場所に飛ばしたのだ」
「えっそんなことが出来るんですか」
オーディンは少しだけ柔らかく笑い、尊敬のまなざしを送るヴァルキリー達を見た。
「初めてやった」
「えええ!!」
「なんでかわからんが、出来た」
「絶対酔ってる!」
ランドグリーズがツッコんだ。酔いは醒めてしまったしまったらしく、口調はしっかりとしている。
「では、2人はどこに……」
おずおずとヘルヴォルが尋ねた。
「わからぬ、適当に飛ばしたのだ」
「顔に出てないだけで絶対酩酊状態~」
ころころとヴェルダンディが笑う。その頃、ムニンは高天ヶ原に、フギンは巨人の国に飛ばされていた事は誰も知る由がない。
「さて……」
仕切り直しとばかりにオーディンが咳ばらいをする。ヴァルキリー達は先ほどまでの興奮を収め、オーディンの声を一言一句聞き逃すまいと静粛になる。
「此度は、皆よくやってくれた」
オーディンはどこからともなく酒がなみなみと注がれたジョッキを出す。皆もそれに倣い、酒を手にする。
「多くの犠牲を払い、世界の危機を救っ……ンフっ」
静謐な空気の最中、演説中にオーディンが噴き出す。その視線の先には厚化粧の「レギンレイヴ子」が真剣な顔をしてオーディンを見ていた。
「ンフ、フ、コホン……世界の危機を救ってくれた。この感謝は言葉だけでは表しきれないが、便宜上、この場で言わせていただく」
ジョッキを大きく掲げる。
「ありがとう!乾杯だ!今日ばかりは無礼講、飲みたまえ、歌いたまえ!」
宴はまだ、始まったばかりだ。