眷属 1
長女に見えている『眷属』。
文学者達が神の遣いを『眷属』と表現していたので、私達も『眷属』としている。
先も述べた通り、神様の遣い。
ほとんどの人に生まれた時から最低一体(匹や頭などは何だか気が引けるので体で数えている。)ついている。
人についているだけでなく、山や海などの自然の中や寺社仏閣などにも存在している。
眷属の種類は様々で、龍や天狗、朱雀のような架空の生き物はもちろん
犬、猫、小鳥、馬、鷹など現実に存在する生物、
クジラ、イルカ、エイ、クラゲ、タコ、鯉などの海や池、川に存在する生き物
蜂や蛍、トンボ、蝶などの現実に存在する虫、
樹木や草花、苔などの現実に存在する植物、
甲冑や刀、招き猫や雛人形、仏像などの置物類や道具、
水晶や紫水晶、トルコ石などの鉱物、
さしずめ人の姿の眷属はまさしく守護霊というものかな?と思っていたら陰陽師が眷属として働いていたのを見た事もある。
(陰陽師だけはちょっと特殊なようだ。)
と、その種類は現存するもの以上の豊富さで
まだロボットなどは見た事は無いものの、そのうち現れるのではないか?とさえ思う。
人の数よりずっと多く存在しているのである。
眷属の姿は現実に存在しているそれと役割が同じだそうで神様はそれを見分ける為もあってその姿を与えているらしい。
長女が、どの神様の遣いかをどう見分けているのかというと色で違いを見分けている。
これは魂にもだいたい共通する。
(魂についてはまたまとめていきたいと思う。)
土地神さまの遣いは現実のものと同じ色合い。
天照大御神の遣いは太陽のような色合い(輝き)、
素戔嗚尊なら青、宇迦御魂神なら白……といったように神様ごとに色がある。
又、植物類は色が現実と同じでもたいてい宇迦御魂神の遣いで、たまに色のついた他の神様の遣いの植物もいるが極少ない。
眷属の種類、どの神様の遣いかだけでもそれぞれの特徴があるが
眷属それぞれ個別にも性格がある。
その性格はだいたいがついてる人の本質的な人格ととてもよく似ている。
眷属の影響を受けてその性格でもあるが、
魂自体がパワフルな神様の分霊だと眷属の方が人側の性格の影響を受けている場合もあり
持ちつ持たれつなところはあるが、
いずれにせよ、神様はその人の人生に必要な能力としてその眷属を遣わすようだ。
街を見渡すと犬、猫、小鳥、ウサギなどの眷属がとても多く
現実世界の人気のペットの流行はこれが反映されているのではないかとさえ感じる。
エネルギー量もその姿の大きさに比例していたりする。(体力などとは違うが反映する時は大いにある。)
視点もまさに反映していて、
例えばウサギなどは地にいて認識する範囲がそんなに広くはないけれど、ワシなどは空から全体を見渡せるので全く視野が違う。
なので、同じ言葉を使っていても指し示す意味が違ったりして意思が通じ合わない感覚を覚えるかもしれない。
例えば水の中の生き物がついている人と地の生き物がついている人とでは感性が大きく違い、互いに刺激されたりもする。
それぞれの視野や環境の違いの特性が反映されている。
架空の生き物がついている人は共通して割とエネルギー量も多く注目されがちである。
例えば龍ならば下手をすると神様より人に人気ある。
そういうものの姿を保つのにもエネルギーを使うようでエネルギー量の多い眷属でなければその姿でいられない、という要素もある。
眷属もその姿はしていても元は単にエネルギー。
見分けの為の姿なだけ。
どの眷属が良いとか悪いとか凄いとかではない。
一貫して、その人の人生に必要な能力、エネルギー量を踏まえて遣わされる。
なのでエネルギー量の大きい眷属を遣わされた人はそれだけのエネルギーが必要な人生であり、
エネルギー量が小さい眷属を遣わされた人はそのエネルギー量で足る人生ということになる。
また周りの人やもの、環境にエネルギーを分ける側な為の場合や、エネルギーを周りから得る為であったりもする。
エネルギーは循環しなければその役割を成さないので、巡るように出来ているらしい。
例えば蝶などの虫が眷属でついていたりすると、架空の生き物がついている人とは違った注目のされ方をしていたりする。
架空の眷属がついている人にはエネルギーを分けて貰うべき状態の人がより注目し、
虫などの眷属がついている人にはエネルギーを注ぎたい人が注目していたりする。
そうやって循環している。
皆がよく憧れる龍や朱雀(鳳凰)も、時に家系の呪いが強いところについていたりもする。
この場合はその人がその家系の呪いを終わらせる役割だったり、その血筋を絶やさない為であったりとエネルギーの必要な人生だったりする。
何かで有名になり大役を成す人ももちろん多くいるが、きっと波乱万丈であろうと思う。
それだけ乗り越えるべき事、学ぶべき事を多く設定した人生なのだろう。
また逆もしかりで、小さな虫などがついている人も多くのエネルギーを集めねばならない独特な人生を送っていたりもする。
私が観察してきた感想でいうと、架空の生き物の人はいかにも人気者的である事が多く、
虫類の人は中毒性のあるようななんとも言えない魅力がある事が多かった。
これは現実世界でも例えば龍のような雲を見たら人は注目するし、ほんの小さな虫が飛んでいるだけでも注目してしまうのと同じではないだろうか。
蝶や蛍、てんとう虫にカブトムシ…そういった虫達に魅了される人の感覚と
龍や朱雀などに魅了される人達の感覚の違いなだけだろうと思う。
又、その他の種類についても同じ事が言える。
同じ種類の眷属同士はやはり共感しやすい。
視点や感覚が同じところだからだろうが、これは魂の分霊や磨き具合によって大いに違いがあったりもする。
が、感覚的に共感するところは非常に多い。
眷属の働きとしては、日々その人の選択した事を補佐し助けている。
その補佐の仕方は眷属各々、様々である。
眷属としてどのくらいの年数(私達が出会ってきた中では若い眷属は若くて100年くらい、年長で4000年程眷属として存在していた。)を眷属として働いてきたかでも違いはあるが、やはり人目線からみるとどれだけ人についてきた経験があるかで補佐の仕方に大きく違いが出るように感じる。
眷属は時間に囚われる階層にいない。
そのサイズも大きくもなれれば小さくもなれる。
なので、人がもつネックレスや置物などを依り代にしたりもする。
ただ人についているだけの眷属、人につきつつ自然や磁場の調整の為に兼任する眷属と様々だ。
眠る眷属もいれば眠らない眷属もいる。
(人につく事で眠るという事を覚えると以前言っていた。)
引き寄せというものを担うところも大きくある。
(引き寄せとの関連についてはまた別にまとめようと思う。)
スーパーなどで買い物をしていると、
「○○忘れてるよ!」と耳元で熱心に伝えている眷属もいれば、
向かう先に地縛霊のようなものがいて、それを避けさせる為に服の裾をクイッと引っ張る眷属もいる。
するとふいっとショーウィンドウなどに惹きつけられるかのように地縛霊のようなものを避けて行く。
私達が日々、ただちょっと買い物へ出掛け当たり前のように無事に帰宅出来るのは眷属達に支えてもらっている賜物だったりする。
もちろん、経験として痛い目を見る事もあるが、その場合は確実に大きな学びを得ている。
眷属達は神様の遣いであるので、やはり波動というべきか周波数というべきか、それが高い。
自分の眷属が何かを知り認識しただけでも何だか安心感を覚えたりする。
眷属同士がいがみ合ったりする事も当然無い。
人間が自分の正しさを通そうとするが故なだけで喧嘩し合ってる人同士の眷属同士は仲良くしていたりする。
眷属の階層に意識を向けるだけで、人の心に平和が灯るのではないかと私は感じている。
今日はこの辺にて…。