小説 「吉岡奇譚」 15
15.言葉の部屋
私は、午睡から覚めたら荷物をまとめ、夫と坂元くんに留守を任せ、電車に乗って例のゲストハウスに向かった。
国語の教科書にも載っている偉大な詩人が寝泊まりした部屋で、岩くんとの『最後の一冊』に関する構想を練り上げるのだ。
宿に着いたら、チェックインをして部屋に入り、ひとまず藤森ちゃんにLINEを送る。彼女は今日も清掃の仕事に行っているのか、休日なのかは知らない。なかなか既読が付かないので、どこかに出かけているのだとは思う。
私は、まずは自分が泊まる部屋を隅々まで観察した後、建物内の至る所に展示されたアート作品を鑑賞しながら、シャワールームの場所や、1階のカフェの営業時間を改めて確認した。
いきなり自室に篭ってしまうのも味気ないような気がして、私は またカフェで紅茶だけを注文し、席から中庭を眺めながら、次回作とは無関係な恐竜の絵を描いて遊んでいた。この庭に小さな恐竜がやってきて、植木の枝葉をむしゃむしゃ食べている姿を想像しながら、自由にシャーペンを走らせる。
気さくな店主が、入店してきた客に「吉岡先生、来てるよー!」などと言う。
(今日は『お忍び』のつもりなのだが……)
本音を飲み込んで黙々と絵を描いていると、その客が私の席にまでやってきた。
サインなど求められたら面倒だなぁ……と思っていたら、やってきたのは藤森ちゃんで、私はとても安心した。
「やぁ、おかえり。今日は、お休み?」
彼女は「休みです」とか「買い物をしてきました」と、だんだんと手話で語れるようになってきた。
「私は今日から2泊するんだ。よろしくね」
彼女は、声こそ出ないが、よく笑う。
「後で、私の部屋においでよ。詩人の泊まった部屋だよ」
彼女は「わかりました」と応じてくれた。
別々に夕食を摂った後、私は彼女を自分が泊まる部屋に招き入れた。ここに泊まった詩人について ひとしきり語った後、私は今日描いたばかりの絵を彼女に見せた。彼女は「可愛い」と評価してくれた。
彼女は、同じ部屋の中で、いくつかのアパートの間取り図をLINEで送ってきた。
「おぉ!早くも探しているのかい?」
私が彼女に給与を出す日は、まだ先である。
手の中にスマートフォンがあるので、筆談具の出番は無い。立て続けにLINEが送られてくる。私は、それに口話で応える。
【家賃が安くて、先生の家に、乗り換え無しで行ける駅の近くに住みたいんです。】
「なるほど」
【ここ、すごく安いです!】
間取り図が送られてくる。
「ここは……やめといたほうがいい。近隣の治安があまり良くないし、1階の店舗から悪臭が上がってくるんだ……」
【お詳しいですね】
「昔、弟が住んでたんだ」
彼女は、また別の物件の情報を送ってきた。
【ここは、どうでしょう?】
「おやおや。坂元くん家の近くじゃないか。……良いかもね。通いやすいと思うよ」
私は彼の住まいにまで行ったことはないが、住所は頭に入っている。
「坂元くんの連絡先が分かるなら、これを送って、街の様子を訊いてみればいいんじゃないかな?」
【そうします】
「ところで、藤森ちゃん……。荒稼ぎも、ほどほどにしなよ。身体が壊れちゃあ、元も子もないから」
【荒稼ぎなんて、していません】
「そうかい?随分と遅い時間まで、かなりハードな清掃作業をしているように、見受けられるよ。少なくとも、清掃業だけで2種類やってるだろ?」
【副業禁止ではありませんよね?】
「もちろん、禁止ではないよ」
【敷金と礼金を用意するためには、たくさん働かないといけないんです】
「それは解る。けれども……『無理は禁物だよ』とだけ、言わせてくれ」
彼女は、私の義妹が過労で命を落としたことを知っている。
【わかりました。ありがとうございます。】
返事が、坂元くんに似てきた。
私が仕事を進めるために宿泊することを知っている彼女は、あまり長居をせずに退室した。
私は、いよいよ次回作の本文について考える。偉大な詩人が滞在中に使ったデスクに向かい、持参したノートを開く。既に記入してある粗削りの原案を練り上げ、絵本の各ページに掲載する文章と、絵の構図を改めて考える。
次回作の主題は『父と子の絆』だ。父親を亡くした彼女に贈るつもりで書きたい。とはいえ、描く父親のモデルは、藤森博士ではなく、岩くんである。彼は、3児の父なのだ。
私は、彼が「父親」となる前から共に仕事をしてきたが、子が生まれるたびに、強く、逞しく、そして大きくなっていくような彼に、ずっと惹かれていた。自分達の父親とは まるで違うからかもしれない。
彼のような人と暮らせたら、きっと幸せだろう……と、思い描くことは度々ある。私は、彼の奥様や子ども達が羨ましい。
初めて逢った時、彼は既に妻帯者であった。
実際に対面する前から、彼とはインターネットを通じて交流があった。彼は、私が闘病中に書いていたブログの読者だった。当時の私は、重度の うつ病によって『寝たきり』に近い状態で、一日の大半を汚い寝床の中で過ごし、過去に勤務先で受けた冷遇の記憶ばかりが頭を駆けめぐり、だからこそ「ワークライフバランス」と「労働環境に起因する精神疾患」について考えることを やめられなかった。「あれを赦す国家であってはならない」という想いを表現できる場所は、ブログしかなかった。読者は決して多くはなかったが、私は、自分の想いや考えを書き連ねるためだけに生きていた。
そんな中、高所からの転落を伴う交通事故によって脳と頸椎を損傷し、長い静養とリハビリを経て回復した今、出版社で「シュレッダー係」をしているという男性から、非公開でコメントが寄せられるようになった。やがて、コメント欄を介さない直接的なメールの やりとりが始まった。交流を通じ、彼も私と同じ癲癇持ちであり、事故と、その後の訴訟によって生じた【心的外傷】に長く苦しんだことが、次第に明らかになっていった。
私は癲癇と被虐待性の解離性障害を併せ持ち、就職後は それを理由に酷い差別を受け続けた。症状や病態を理由に「気持ち悪い」と嗤われ、あるいは「使えない」と罵られ、勤務先だけではなく、町中や医療機関でも、あからさまな嫌味と侮蔑の言葉を浴びせられ続けた。解離するほどの虐待を受けた実家に帰る理由など無かったが、故郷を離れて働いている間は、事あるごとに「国に帰れ!」と罵られ続けた。
そんな私にとって、事故を機に父親との関係が悪化し、後遺症そのものによる苦痛に加えて、実父からの冷遇にも苦しんだという彼は、かけがえのない理解者となっていった。
当時の私は、明らかに「違憲」といえる社内規定に則って私に労災を認めなかった加害企業を相手に、訴訟を起こすことを想定していた。実際に弁護士事務所に赴くだけの体力は無かったが、職を失った私にとって「高額な治療費が嵩むにも関わらず障害年金が認められない」という危機的状況を打破するためにも「賠償金の請求」というものには、大きな意義があると思われた。何より、私は法治国家に生きる成人として、加害企業が赦せなかった。
しかし、彼は訴訟を起こすことに反対した。
心優しい彼は、自分が怪我をした後、父親が起こした訴訟によって「加害者の人生が壊れた」ことについても、ひどく心を痛めていた。
私の価値観で言えば、自身が経営する会社を継がせようと考えていた長男が、自動車側の過失によって起きた事故で意識不明の重体となり、一年以上に渡って意識が回復しなければ、息子と会社の将来を悲観すると共に、怒りの矛先を運転者に向けるのは、至極 当然の心理である。我が子が、死亡こそしていないが完治の見込めない重傷を負わされたことについて、可能な限り高額の損害賠償を請求してやりたいと思うだろう。
しかし、当の彼は、父親に「もう使い物にならない」と見なされたことが、何よりも悲しかったのだという。長引く治療とリハビリに臨みながら、自分の身体に残った後遺症を理由に加害者と何年も争い続ける父親を目の当たりにし続け、彼は「自分が、生きているだけでは駄目なのか?」「社長が務まらなければ、存在価値は無いのか?」と、ひどく落ち込み、自己肯定感が揺らいでいったのだという。また、彼が言うには、賠償金に固執する父親は『金の亡者』そのもので、息子の回復ぶりには目もくれず、会社の業務さえ疎かにして、事故の加害者への報復ばかり考えている姿は、たいそう醜いものであったという。
彼は、私がそのような人生を歩んでしまうことを危惧していた。【裁判】というものの苦しみについて懇々と語った上で、私に「過去との決別」を主たる目的とした「絵本の製作」を提案してくれた。過ぎ去ったことに固執するよりも、心から好きなものに打ち込んで、どうか前を向いてほしいと、何度も訴えかけてくれた。
当時、彼は編集者ではなかった。しかし、彼の妻が同じ出版社の営業部に所属しており、未来の作家となり得る人材を、日々 探していた。彼は、私のことを「妻に紹介したい」と言い、私は それを受け入れた。
私を発掘した彼は、それを機に、初めて編集の仕事をすることになった。編集者志望で入社した彼にとって、それは大きな転機となった。
総務部での雑務と併行して、私の作品の編集を担当するようになった彼は、当初から、単なる「編集者」の域を越えた働きをしてくれた。私個人の痛みや苦しみにまで、彼は寄り添ってくれた。私は、どんな治療者よりも彼を信頼し、寛解を目指して共に歩み続けた。絵本の売上や自身の名声などよりも、彼の長年の夢を叶えることが、私の望みであり、原動力であった。
結局、私は加害企業を訴えることなく、今日に至る。律儀にも、自分の力で、己の治療費を確保している。
私は、彼を信じて、ここまで書き続けてきたことを、微塵も後悔などしていない。彼がこの世に居なければ、私は廃人となったまま死んでいたか、裁判によって『金の亡者』となっていたか、あるいは死ぬまで精神科病院に閉じ込められて、病院の金づるか医学部生の玩具にでもなっていたかもしれない。
私が、職業を持った人間として自立し、堂々と、そして自由に、街を歩くことが出来るのは、彼が居てくれたからである。
工場長一人に依存していた頃は、あの町工場にしか居場所が無かったが、今では、私は堂々と どこへでも行って、人として当たり前の恩恵を受けながら、この『吉岡 諒』の名を名乗ることが出来る。心無い親から与えられた忌まわしい本名を隠し、自認する性に相応しい名を、堂々と口にすることが出来る。
その彼が、編集者を引退するのだ。私は、過去最高のものを、書かなければならない。
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【16.休息】
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