小説 「吉岡奇譚」 26
26.古巣
昼食を食べ終わり、藤森ちゃんが後片付けをしてくれている。
彼女が食器を洗う音を聴きながら、なんとなくテレビのチャンネルを順繰りに変えていると、スマートフォンに着信があった。またもや、玄ちゃんである。
「もしもーし」
「先生。僕、キノコ屋さんクビになった」
「……何を しでかしたんだい?」
「倉本くんのお父さんと喧嘩した」
「……だから『行くな』と言ったんだ!!」
その後、しばらく口論に近いやりとりをしてから、一方的に「仕事中だから」と偽りの理由を告げて、電話を切った。
私は、スマートフォンを放り投げるように手近な座布団の上に置き、電源の入っていない こたつに入ったまま仰向けになった。
「彼は本当に、もう……辞めてばかりだな!!」
私が一人で喚いていると、藤森ちゃんが様子を見に来てくれた。
「あの玄さんが、仕事をクビになったそうだよ」
彼女は返答の代わりか、腕を組んだ。
「本当に困り者だよ。年に5〜6回は転職しているんじゃないかな?」
彼女の眉間に皺が寄る。
「お父様が大金持ちだから、フラフラしながら、悠々自適に暮らしているけれども」
彼女は、呆れたように天井を見上げる。
やがて、床に視線を落とした彼女は、私のスマートフォンが座布団の上にあることに気付き、拾い上げて食卓に載せてくれた。
「あ、ごめんよ。ありがとう」
彼女は、そのまま淡々と座布団の位置を整えてから、自分の仕事に戻っていった。
(働き者だなぁ……)
我が家のハウスキーパーは、2人とも優秀だ。
こたつの中でひっくり返りながら、私は、以前「新しい福祉作業所を作りたい」と言っていた玄ちゃんを、実際に作業所を創ろうとしている人物と引合わせることを思いついた。
夫の勤務先の社長である。
私は、社長と玄ちゃんの双方に連絡を取り、玄ちゃんに、自らの手で求人に応募するよう促した。
今のところは、一般枠のアルバイトとしての勤務になるが、彼は受け入れた。
数日後。帰宅した夫が開口一番「今日、うちの会社に玄さんが来た!」と言い、私が彼に求人票を送ってやったと応えると「マジかー!!」と叫んでいた。
「採用されたかい?」
「うち、バイトは即決だからな!もちろん採用だよ!明日から来るって!」
顔見知りが同じ会社にやってきたことが面白くて堪らないようで、ずっと腹から声を出して笑っている。そして、いつもなら帰るなり玄関で降ろすリュックを、ずっと背負ったままである。
「お手柔らかに頼むよ」
「俺は指導役じゃねえよ!」
「そうなのかい?」
「まずは、常務が付きっきりで教えるってさ」
「常務が?……珍しいパターンだね」
「そりゃ、学生と同じ扱いにはならねえよ。44なら」
「44なのか!?……私には『来年で40歳』だと言っていたのに……!」
「サバ読んでたんじゃね?」
「何故だ……」
年齢を偽る理由など何でも良いが、彼が、岩くんや坂元くんよりも歳上だったというのが、私にとっては【衝撃の事実】である。
「仕事してくれるんなら、何でもいいや!」
今日の夫は、酒に酔っているかのように、よく笑う。連勤が続いて、気分が高揚しているのだろう。いつものことである。
「早く風呂に入ってこいよ」
「あいよー!」
やっと靴を脱ぎ、リュックを背負ったまま脱衣所に向かっていった。
それから数日経って、夫は夕食時には玄ちゃんの話ばかりするようになった。
「あの人、マジ『仕事しかしない』な!」
「彼は、作業中の雑談が嫌いだからね」
「すげぇわ。3時間しか居ないのに。あの人が来る・来ないで、進み具合が全然違う」
「パワーがあるしね」
「常務が、すげぇ気に入ってさ。『社員にしたい』って」
「そりゃあ、良かった」
今度こそ、定着してくれることを願う。
後日。休日だった夫に留守を任せ、現場で働く玄ちゃんの姿を見に行った。
いつも通り社長に挨拶をして、許可を得てから、雑然とした現場内で雑務をする。
彼は、私と一緒に買いに行った作業着を着て、黙々と手動の研削盤のハンドルを回している。
不慣れな人に、うっかり声をかけると、高速回転させている製品が吹っ飛ぶか、本人が大怪我をするので、私は黙って彼の視界に入り、彼が気付くのを待つ。
しかし、彼はなかなか気付かない。私が まじまじと見ているにも関わらず、粛々と製品の研磨を続ける。研磨前・後を合わせると、おそらく1000個近い製品が、彼の手が届く範囲に置かれた箱に、山盛りになっている。
研磨「前」の箱から取り出した、中心に穴の開いた製品を、機械の回転する軸に突き刺し、ハンドルを回して、回転している砥石に当て、削る。終われば軸から抜き取り、研磨「後」の箱に入れる。至ってシンプルな作業だが、砥石との摩擦によって高温となるゴム製品を、溶かしたり、焦がしたりしないように、均一の厚みに削るには、ある程度の修練が要る。動体視力の弱い人には難しい。また、製品の熱による火傷や、回転部分との接触による負傷に注意しなければならない。特に、砥石との接触は、骨が剥き出しになるほどの深い裂傷を負いかねない。
大急ぎで、それでも怪我をしないように、寸法通りの製品を造り続けるため、意識は、機械と製品にのみ集中している。自分に近寄ってくる人間になど、いちいち構ってはいられない。……初心者とは、そういうものである。
あまりにも彼が気付いてくれないので、私は会話を諦め、彼の師匠である常務のもとへ挨拶に行った。大型の旋盤に向かっていた彼は、すぐに私に気付き、機械を止めて、朗らかに笑いながら挨拶してくれた。
「お疲れ、吉岡ちゃん!彼、すごく良いね!将来有望!」
私が尋ねるまでもなく、玄ちゃんのことについて語り始めた。
「お気に召しましたか?」
「何か、もう……取り憑かれたように『仕事だけ』をするよね!経験者なんでしょ?」
「だと思いますよ」
私は、彼の職歴を、全ては知らない。
「今時、なかなか居ないよ!あんな、作業そのものが好きな子!!」
(44歳男性を『子』……?)
疑問は、胸にしまった。
「彼は、良い職人になるよ!」
「……ご指導のほど、よろしくお願い致します」
私は、岩くんの真似をするつもりで、常務に頭を下げた。
それから二週間近く経った頃、玄ちゃん自身から、新しい仕事に対する感想を聴くことが出来た。真昼間に、電話があったのだ。
私は、自宅のリビングで応答した。
「新しい仕事は、どうだい?」
「あの工場、すごく楽しい!わくわくする!」
「なら良かった」
「なんだか『アトリエ』みたい!」
「何かを作るって、楽しいだろ?」
「楽しい!あとね……僕、先生が なんで悠さんと結婚したか、解った気がする!」
「どうしたんだよ、急に」
「現場での悠さん、すごく格好いい!惚れ惚れするね!」
「…………そうだろ?」
もちろん、それだけが理由ではないが、今それを語る気は無い。(私は、現場での、彼の真剣な眼差しが とても好きだ。)
「すごく良い会社だね!みんな優しい。『一般』の会社なのに、病人虐めが無いんだもの。どんな人も、活き活きしてる。……世界中の会社が、みんな ここみたいになれば、『福祉作業所』なんか要らなくなるね!」
「随分と、気に入ったみたいだね。……嬉しいよ」
「先生が株を買いたくなった気持ち、解るよ」
「そうかい?」
「僕、この仕事がんばる!……社員には、なろうと思わないけど」
「無理せず、頑張って。君なら、きっと上手くやれる」
「先生、ありがとう!」
「とんでもない」
その後も適当に雑談をしてから、私は「仕事に戻る」と言って電話を切った。
彼は、アルバイトを始めた頃の私と、同じようなことを言っていた。
確かに、あそこは楽しい。長年、私を惹きつけてやまない、魅力的な場所だ。しかし……働き続けるには、体質と、身体的なセンスが問われる。いくら「障害者枠」があっても、視覚に障害のある人には務まらない仕事であるし、何らかのアレルギーを発症して辞めていく人が、後を絶たない。
門戸は広いが、あそこで「働き続ける」のは、難しい。常務や工場長は、現場の神に選ばれし【天才】だ。私は、選ばれなかった……。
私は、アレルギーで辞めたのである。特定の素材の粉塵を吸うだけで、意識が混濁するようになり、辞めたのだ。
身体さえ強ければ、正社員になって、一日でも長く、工場長の下で働きたかったのだが……叶わなかった。一年が、限界だった。
それでも、私は未練がましく あそこに通い、株を買い、『株主優待』で雑務をして、日々、人材を探している。
私の心は、今も あそこに在る。
工場長に生命を拾っていただいたことが、忘れられないのだ。
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【27.今ここに在るものは】
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