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心の行方
「ココはおバカで可愛いな。バイバイ」
左ハンドルの運転席から、窓越しに頭を撫でた彼を、ココはうっとりと見送った。
三歳年上の寺簾(てらみす)は、ココのバイト先のカフェの客だった。
仲間の女子にも人気のあった彼がココに声を掛けたのは、二か月前のこと。ココは毎日が夢のようだった。
「那田出(なたで)、変なカッコしてどうしたんだ!?」
家の門扉を入ったココは、呼ばれて振り返った。
中一から高三の今まで同じクラスの岡(おか)太比(たぴ)が、野球部のユニフォームを着て自転車に跨り、めかし込んだココを、物珍しそうに見ている。
「あんたこそ、日曜の夜まで練習?」
「来週試合なんだ。お前見に来るか?」
「誰が行くかーー!」
と、ココは叫んだ。日曜日は、忙しい寺簾に会える大切な日なのだ。
寺簾は、毎週違う場所へココを連れ出してくれる。海や遊園地もいいが、今まで無縁だった美術館や博物館を、寺簾の解説付きで鑑賞すると、自分も知的な大人の女性になれたようで。ココは誇らしい気持ちになれた。
今日はバッティングセンターへ来た。
初めてのココは手続きを寺簾に任せている間、そういえば今日は岡の試合だったな、と考えていた。
まずは寺簾がバッターボックス入る。放たれた球に狙いを定めるが、大きく空振りする。
「プロのようにはいかないな」
と、照れ笑いを浮かべ再度構えるも、その後の24球をことごとく外した。完全無欠のイメージのあった寺簾だが、こんな一面もあるのだと知り、ココはますます彼を愛おしく思った。
息の上がった寺簾と交代したココは、初球からヒットを打った。
大はしゃぎするココの後ろで、
「ビギナーズラックだな」
と、腕組みしてつぶやく寺簾。
しかしココは結局、全打席をクリーンヒットで終えたのだった。
それ以降、寺簾は一言も口を利かなかった。やっと発した
「オレ仕事あるから」
のセリフで降ろされた場所は、ココの見知らぬ山沿いの道だった。途方に暮れたものの、歩くしかない。
スカートから伸びた足はくたびれ、安物のサンダルが指に食い込む。
朝には柔らかに波打っていた茶色の髪も、夕暮れの今は、ココの心のように重く沈んでいた。
「那田出! 何でこんな所にいんだ!?」
自転車に乗った、野球のユニフォーム姿の岡が、今にも泣きだしそうなココの後ろにいた。
「岡、あんたこそ……。あ、試合は?」
「負けたよ。全然打てなくてさー。へへっ。後ろ乗れよ」
そう言うと岡は、愛車の荷台に積んだバッグの上にココを座らせ、軽やかに彼女を自宅まで送り届けた。
「じゃあな」
と、岡は今来た道を引き返す。
ココのために自分の家より遠くまで、自転車を走らせていたのだ。
その泥だらけの背中を、ココは見えなくなっても見送っていた。
〈終〉
写真:フリー素材ぱくたそ(pakutaso.com)