「読書日記」素直な日記に憧れて
2022年4月26日(火)
朝から大雨。濡れるのを嫌がる犬を散歩へ連れ出さねばならず、こういう時に家で排泄できたらラクなのだろうけれど、でも犬は家で排泄するのを嫌がるので、雨の中を強行突破で行こう!と決意。いつもならば必死で抵抗する犬が、今日は素直に(しぶしぶではあるものの)玄関までやってきたものだから、めちゃくちゃ褒めて褒めて褒めまくった。やたら褒める飼い主にウンザリした顔をしているけれど、そこがまた可愛くて「可愛いね~」を連呼していた。いつか本当に嫌われそう(もう手遅れ)。
自分がとても面白いと感じる日記は、素直な日記だと気づいた。人はどうしたって自分を良いように見せたいし、そのためには日々の出来事を脚色することだってあるはず。それ自体を否定するつもりはなく、むしろ脚色バンザイと思ってもいるけれど、もしも出来るのならば、日々の出来事を素直にありのままに書ける人になりたい。そんな憧れがあった。
素直さとは無縁の人生を長いこと歩んできた私にとって、ひねくれているほうがラクになってしまっている。しかしラクなのだけど楽しさは半減するような気もして、素直に喜んだり楽しんだり悲しくなったり怒ったりすることを、ちょっとやってみたい、と思う気持ちが強くなっていた。
素直な日記で思い出したのは、植本一子さんの『かなわない』。
何の予備知識も持たずに読み始め、目をそらしたいほどの感情にぶつかりながらも目をそらせずにいて、おそるおそるながら最後まで読み、「ここまで書くのか!!」という衝撃を受ける内容だったものだから、とても打ちのめされてしまった本だった。人様の日記で打ちのめされることになるなんて、想像もしていなくて、しばらく他の本を読むことができなかったことを覚えている。
植本さんほどのドラマはそうそうないだろう、と思う気持ちもあるけれど、しかし大なり小なり、人はドラマを抱えているのではないか、衝撃の展開が待ち受けているのは誰しも同じなのではないか。ただ受け取り方が違うだけで、誰もが人生に起こる「まさか」を経験していて、でもその「まさか」に気がついていないだけなのかもしれないな、といったことを考えていた。
そして、高山なおみさんの『帰ってきた日々ごはん』を読みながら、こちらも植本さんと同じような状況なのか、よく分からなくなって頭にハテナが浮かんだ。
夫婦間のことだから、お互いが納得していればそれで良いのかもしれない。はたから見たら、どういうことだろう?と思うことも、周りが口を出すことじゃないし。
ただこういった夫婦のこと、恋愛のことを、文章にして残していくというのは、それはとても覚悟のいることのようにも思われて、いや覚悟がいると思っているのは私の価値観だから、植本さんも高山さんも覚悟を必要としなかったかもしれないのだけど、ありのままを言葉できる人を見てしまうと、とてもマネできない!!と思いながらもほのかな憧れも芽生えていて、うまく表現できない思いを抱えながら、何を書くのか、何を書かないのか、というのはとても難しいね、と思っていた。
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