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「読書日記」未来への不安は切っても切れない関係のようでもあり

2022年5月1日(日)

今日は珍しく夫がお休みだったので、夫と息子チームと、私と娘チームに分かれて別行動をすることにした。家族がそろえば、みんなで何か一つのことをやりたくもなるし、家族そろって出かけるということも大事だとは思うけれど、息子のやりたいことと娘のやりたいことは一致しているわけじゃないし、どちらの希望も叶えてあげたい親としては、別行動が最適だと思ってしまうのだった。

親としての「やってほしいこと」を押しつけずに、家族が笑顔で過ごせるようにと考えてみると、これがなかなか難しい。押しつけているつもりはなくても、私が喋るだけで反発心が生まれるらしい子どもたちを眺めながら、お互いに機嫌よく過ごすというのは、日々の努力がものを言うのだろうな、と思ったりした。

ある日突然に関係が良好になるわけじゃないし、努力していれば報われるわけでもないだろうけれど、人間関係はどこでどう変化するのか分からないものだし、どんな状況であっても、相手が心地よくいられるものを目指していくしかないのであって、でもそれは、オアシスを求めて炎天下の砂漠をひたすらに歩き続けるようでもあり、途方にくれそうでもある。

そんな今日の読書は『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』

仕事を辞めてアラームのない生活になり、起こされない快適さを味わいながら、しかしいつまでもこのままで良いのだろうかという思いもあり、生活習慣の見直しをしたり、散歩をして体を動かすことで鬱々とした思いを払拭しようとしてみたり、このままの自分で良いのか、自分とはなんぞやみたいな気持ちも生まれて図書館で本を読みまくったり。

一連の流れはまったく同じではないけれど、著者の気持ちが手に取るようにわかる自分がいて、仕事を辞めて人との関わりが薄れていくと、誰しもがこうなるのだろうか?なんてことを考えていた。

私は著者のように、自分と向き合うことにストイックさは持ち合わせていなかったので、もっとゆるく自分と向き合ったり逃げたりしていて、いつまで経っても不安は消えない。けれど働いていれば不安はないのかと言えば、また別の不安が生まれるのであり、結局は不安と切っても切れない関係を続けるしかないのだろうとも思う。

「連休は終わりがあるから楽しいと思うのかもしれない」と本の中にあって、確かに終わりがあると思うものほど、「今」を楽しもうとする気持ちが芽生える気がするし、大事にしたい思いがぐっと強まる気はする。

いつまでも連休が終わらないとしたら、日々の生活を楽しもうとする意欲はどうなるだろうか、「こんなことをして何になるのだろう」という思いばかり生まれやしないだろうか、といったことを考えていた。

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