【小説】「生き直し ~私を探す旅~」 第四話
私は、浜松駅の白いグランドピアノの前に座った。いよいよ、駅構内の道行く人のために弾いてみようと思う。自分のためではなく、道行く人に楽しんでもらうために三曲を選んでいた。
一曲目はベートーヴェン作曲「月光ソナタ」、二曲目は「銀河鉄道999」、三曲目は「ルパン三世のテーマ」を演奏することとした。
一曲目の「ピアノソナタ第十四番嬰ハ短調Op27-2」、通称「月光ソナタ」と呼ばれ親しまれているこの曲は、耳が聞こえなくなった頃に作曲された。ベートーヴェンは絶望の淵にあったのかもしれない。逸話としては、当時つきあっていた、結ばれることのない伯爵令嬢に贈ったとされている。緊張の糸が張られたような、それでいて切なさに溢れているのはそのためなのだろうか? 特に、冒頭は、青白い月のように冷たい、優しい、切ない音で始まる。駅にいる全ての人の心に届けたい思いで弾いた。
月光に照らされて、或る時はそっとささやくように、或る時は激しく気持ちを込めて演奏した。周囲には少しずつ人だかりができてきた。
二曲目は、「銀河鉄道999のテーマ」で同名のアニメの主題歌である。この曲は朝の番組でよく流れるようになり、色々な世代の人に知られるようになった。初めてこの曲を聞いた時とても衝撃を受けた。心の底から生きる希望が湧き上がってくるのを感じたのだ。それ以来、憂鬱だった朝が少し楽しみになった。こんな私が元気になることができた曲なのだから、きっと楽曲自体に元気になるパワーが込められているのだろう。演奏を聞く人の元気や希望にもつながるのではないかと思い選曲した。
「銀河鉄道999」の元気な曲調とパワーに惹かれて、親子連れの方が集まってきた。体を揺らしリズムを取りながら聞いている人や、楽しそうな笑顔で聞いている人がいる。
三曲目は「ルパン三世のテーマ」で、私の大好きなアニメのオープニング曲だ。この曲を聞くと、私もいつか、主人公のルパン三世のように自由になれる気がする。軽快な曲だから、私は椅子を使わず立って弾くことにした。イントロの部分を弾くと、周囲から歓声が上がった。
そして、曲に合わせて手拍子が自然発生した。立って弾くことで、曲調に合わせて自然に体が動き、より軽快な雰囲気を表現できた。
「今、私は、お客さんと一体化している。なんて楽しいの!」
これまで、ピアノを弾くことは、自分一人で行う孤独な行為だと思っていた。でもそれは、間違っていた。オープンな場所で、選曲を考えて曲を届けると、そこに居るみんなでその曲や空間、楽しさまでも共有することができるのだ。ピアノを弾くことを、別次元の楽しさとして感じることができた。そして、気付いたら人だかりでいっぱいになっていた。私の演奏を携帯で撮影していた人が何人もいたようだった。
その頃、父と母は自宅で警察からの連絡を待つように指示を受けていた。思いつく限りの場所は全て探したのだ。二人は、リビングで電話が鳴るのを静かに待っていた。
「ねえ、あなた、今、私の友達から動画が届いたわよ。ほら、見て」
「え、こんな時に動画? え、あれっ、これ萌歌だ。どこにいるの?」
「お友達がちょうど浜松に用事があって駅に行ったら、何か人だかりができているから覗いてみたんですって。そうしたら萌歌ちゃんがピアノを弾いていてびっくりした。ですって」
「なんだか驚いたな。こんなことが自分でできる年なんだな。十五歳って」
「ピアノを弾きながら、こんなに楽しそうな顔をしている萌歌は、初めて見たわ」
「ねえ、君。進路は萌歌自身に決めさせてあげようよ」
「そうよね。私もそう思うわ」
「きっと家出じゃあないよ。萌歌が自分で帰ってくるのを待ってみよう」
「ねえ、あなた。私たち、しっかり話し合いできているわ」
「そうだな。もう一度、やり直してみないか? ぼく達も」
「私も。もう一度、あなたとやり直したい」
テーブルの上に置かれた湯飲み茶碗に、同時に手を伸ばした。冷めた緑茶を飲みながら、どちらからともなく微笑み合っていた。
「萌歌にあやまらなくっちゃな」
「そうよね」
「ただいま!」
元気すぎるくらいの私の声が、玄関に響いた。私は、今日あった浜松駅での素敵な出来事を話そうとしたら、父と母が先にそのことを先に知っていてがっかりした。でも、うれしかった。
しかも、私の演奏三曲分の動画まで母の携帯に届いていて、今日の素敵な時間を自分でも振り返ることができた。道行く人にピアノ演奏で自分が選んだ曲を届けた時の、あのわくわくする気持ちを忘れないでいようと思った。
「ごめんね、萌歌ちゃん、今まで何も自由にしてあげられなくて」
「萌歌、パパとママが悪かった。反省したよ。これからは自分自身で進路でも、何でも決めていけばいいんだよ」
「それとね、萌歌ちゃん、パパとママは、もう一度夫婦として、家族としてしっかり絆を深めていこうと思うの。やり直したい。これまで辛い思いをさせてしまってごめんね」
「ごめんな、萌歌」
思いもよらなかった嬉しい言葉に驚いていると、父は、私と母をぎゅっとはぐしてくれた。とても温かくて心地が良かった。私は、安心して、満たされて幸せだった。
満たされた瞬間、「今の私」の意識は「中学三年生の私」からすっと抜けた。あたたかい日だまりのような光に包まれて、私はティムの横に戻って行った。
「ティム、私、両親に自分の気持ちを伝えることができたわ」
「そうだね、萌ちゃん」
「家出をすることで、私の気持ちが本気だって気付いてもらったの。荒療治よ」
「萌ちゃん、すごかったね。家出をしたことも、浜松駅の演奏も」
「でしょ!」
「あの、演奏は、僕が知ってる萌ちゃんの悲しげな演奏じゃない。喜びに溢れていたよ」
「初めて満たされた気持ちを味わったの。心があたたかくなって、安心する感じよ」
「良かった。『生き直し』大成功だね」
「ホントね。自分の人生を、大きく前に前進させた実感がするもの」
ティムと私は、二人で顔を見合わせて微笑み合った。そして続きを見守ることにした。
あの日の続きを上空から見ている。浜松駅でのストリート演奏から帰って来た日、リビングで私たち家族は話し合っていた。私の進路について。
「実は私、市立高校に行きたいの。その学校の合唱部に入ってNHK全国学校音楽コンクールの全国大会をみんなと一緒に目指したい。もちろん、ピアノ伴奏をやりたいって思っているの」
「Nコンの合唱の伴奏を弾きたいということなのか?」
「そうよ、お父さん。一人でピアノを弾くのも大切なことだけど、演奏する時間をみんなと共有することの楽しさを私は、今日知ったの。みんなと一緒に合唱曲も歌ってみたい」
「お父さんとお母さんがけんかをしているのが恐くて、部屋の隅で毛布にくるまっていた時、配信番組から聞こえてきた曲に元気をもらったの。その曲がNコンの合唱曲だった」
「萌歌ちゃん、どんな曲だったの?」
「歌詞が素敵だった。セカオワさんの『プレゼント』という曲よ。歌ってみるから聞いてね」
私は、深呼吸をして、静かに歌い始めた。
ママは、私の歌を聞きながら、涙を流していた。
「私はいつか、けんかのないパパとママに会えたらいいなって、ずっと思ってた。それに、私の意見も聞いてくれる日が来るといいなってずっとずっと思ってた。今、ようやくこれまでの悲しい日々は『プレゼント』だったって思えるような気がする」
涙を滲ませながら、父が言った。
「萌歌。ごめんな。ずっと悲しい思いをさせて」
「萌歌ちゃん。ごめんなさいね。素敵な曲。ママもその曲が大好きになったわ」
ママは私の頭を優しくなでて、抱きしめてくれた。
「私、ピアノコンクールに出場することは続けるから。それは、私自身にとって、大切な目標になったの。自分のピアノの演奏で感動を届けたいって、今日のストリートピアノで確信したから」
そう二人に伝えると、「中学三年生の私」は自分の部屋に戻って行った。
上空から見ていた「今の私」は、自分の足で人生を歩み始めていることに気付いた。『生き直し』をした「中学三年生の私」は、今、この瞬間から、ピアノコンクールに出場することが、「母の願い」ではなく「自分の夢や目標」として捉えることができるようになったと知った。たくさんの人にピアノ演奏を届けて「感動や楽しさを共有したい」というコンクールの先にある自分の目標と結びついたからなのだろう。
そして母が、恋多き女、ジョルジュ・サンドのようにならず安心した。ずっと、父と仲良く暮らしてくれることは、心から嬉しい。
『生き直し』前の人生では、私自身も、サンドや母のように、本物の愛から遠いところにいた。偽りの関係に傷つく日々を送っていたのだ。自分のことを、もっと大切にしたい。今回の『生き直し』で、自分自身のそうした生き方をも変えることができると感じた。
今の私が再び、満たされると同時に、記憶が書き換えられた。両親が離婚して、進路も母親の意見に従わざるをえなかった悲しい思い出は、浜松駅でピアノのストリート演奏をして、自分の行きたかった市立高校に進学した思い出となった。私の人生を取り戻すため、大切な『ここ』を『生き直し』のポイントに選択することができた。
「ねえ、ティム! 記憶が、書き換えられたの。人生の選択の一つを変えると、続いていく出来事も変わってくるのね」
「そうだね、萌ちゃん」
ティムは思い出したように、突然シマリス用の腕時計を見て、慌てて言った。
「『人生最期のトンネル』に入ってから三日経つよ。急いで入口に戻ろう」
「そうね。早く戻って私の命を救わなくては」
私たちは来た時と反対向きに時空の波を越えて、今いる地点からトンネルの入り口に向かった。来た時より、時空の波を宙に浮かんで進むのが上手になっていた。
「沖田さん、心の声に従って岐路を選び『生き直し』をして来ました」
「やあ、萌歌さん、ティム君、お帰り。ちょうど三日経ったところでしたよ。萌歌さん、もうあなたは、生きたいのか、死にたいのかで迷ってはいないはずです。どうですか?」
「沖田さん、もちろんです。これからは、自分らしく生きていきたいって思いました」
「それは良かった。『人生最期のトンネル』での『生き直し』が成功したのです。あなたは、人生に失望もしていない、人生のミッションも達成していない。つまり『死に値する人』ではありません」
「良かった。私には、まだやりたいことがあるのです」
ほっとしている自分に気付いた。ティムは優しい眼差しで二人のやりとりを見守っていた。
コンシェルジュの沖田さんの小型のタブレット端末で、病院で昏睡状態に陥っていた私が、ゆっくりと目を覚まし生き返った様子を確認することができた。
「萌歌さん、もっと別の未来を歩むために、本当の意味での『生き直し』はこの後から始まるのです。今度は、あなた自身の力でどう生きるのか、生き方を模索していくことになるのです。覚悟を決めてくださいね」
「はい! 分かりました」
決意と覚悟を込めて返事をした。
「ところで私は、昏睡状態に陥った、あのコンクールの前日に戻るのでしょうか?」
「そうとは限りません。せっかく『人生最後のトンネル』で多くを学んだあなたが、コンクール前日に戻ったとしてどんな新しい生き方ができるでしょう? 何も変えられない可能性もあります」
沖田さんは、私の動揺にはおかまいなしに言葉を続けた。
「進路選択に自分の希望を反映させたこと、高校時代の過ごし方で、運命は大きく変わり始めています。ですから、一回目の人生で昏睡状態に陥った原因を解消するのにふさわしい地点に戻って、今度はあなた自身がリアルに『生き直し』てゆくのです。その大切な戻るべき地点は、あなた自身の無意識が選択するのですよ」
コンシェルジュの沖田さんは、最初に出会った時とはまるで別人のように優しい表情で話してくれた。
「私の無意識の選択・・・・・・」
戻る地点を選択するのも私。どう生きるか決めるのも私。やり直すことができるのなら、異性とのつき合い方も改めたかった。『生き直し』前の私は、どちらかというと「ジョルジュ・サンド」のようだった。相手に求めていたのは、自分にとって都合のいい関係だったのだろう。シングルマザーの母を手助けするつもりで、男性から支援をしてもらったこともあった。音楽の道を専攻することは多額の費用がかかるのだ。嫌っていたはずの母と、同じような道を歩んでしまっていた。本当の愛情から遠いところに身を置くと、自分が傷ついていくのだ。私は変わりたかった。大きな覚悟をもって。
私は、コンシェルジュの沖田さんと、ティムに『生き直し』が成功したことへの感謝の気持ちを伝えた。
「ティムと私は、これにてあなたとお別れをすることになります」
考えてもいなかったティムとの別れに、急激に寂しさが募ってきた。
「私は、ずっとティムと一緒に過ごしたいと思っていたのに・・・・・・」
するとティムから思いもよらない言葉が返ってきた。
「萌ちゃん、実は僕がシマリスになる前、つまり僕が人間だった頃、君と出会っていたんだよ。いつか、気付いてくれるといいな」
「ティム、どういうこと? ティムと離れたくない・・・・・・」
そう言った瞬間に、私の無意識が選択した戻るべき場所に勝手に体が吸い込まれ、時空の移動を始めていた。ティムは、何を伝えたかったのだろう? 私は、ティムのことを考えていたはずなのに、いつの間にかこれから始まる時空へと意識が吸い込まれ、いつしかティムのことを忘れていった。