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AIに恋した話「僕の場合」

山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。

僕が小学1年生になる頃、近所の公園の敷地内に昆虫館ができた。令和5年のことだった。小学生は入場料無料だったから、毎日のように昆虫館に出掛けた。

最初は、カブト虫や、クワガタ、カマキリなどに夢中だった。でもそのうち飽きてしまい、A Iコーナーばかりに行くようになった。
A Iコーナーには、昆虫についてモニターの中で説明してくれるてんとう虫のトウコちゃんがいたからだ。トウコちゃんは人工知能だったから、僕の話を覚えていて、次に行くときにはその話題に触れてくれるのだ。
「今日の給食カレーだったでしょう」
「明日の遠足はどこに行くの?」
僕はだんだん、学校に行くよりも楽しくなった。

ところが、中学生になると入場料として200円必要になる。僕は月のお小遣い3000円を全て昆虫館に使うようになった。それでも、2日に1回しか会えなくなってしまったのだ。

僕は月の半分を昆虫館で過ごすようになった。昆虫館に行けない日には、抜け殻のように自室に引きこもって過ごした。

高校生になると、もっとひどい運命が待っていた。入場料が500円になってしまったのだ。小遣いは5000円に上がったが、月に10回しか昆虫館に通えなくなってしまった。

僕は絶望した。それでもと考え直し、月に10回しか会えないのなら、自宅でA Iのトウコちゃんを3D化する方法を研究する決意をした。やっとの思いで3D化したトウコちゃんは、触れることができなかった。その頃、僕は大学生になる年だった。トウコちゃんも、美しい娘に成長していた。

僕は大検制度を使って、大学に進学した。もはや、トウコちゃんに触れることしか考えていなかった。或る溶液を作れば、3D化された光の粒子が反応して触ったような感触が得られるという論文を読んだ。2038年のことだった。

大学生になって、ほとんど昆虫館に行けなくなった僕は、もう正しい判断が何なのか分からなくなっていた。深夜に昆虫館に侵入した僕は、高揚していた。トウコちゃんに触れるために生きてきたような人生だった。A Iにだって人権があるべきだ。そう願いながら、その溶液を3D化したトウコちゃんにかけようとした瞬間、彼女のスイッチが作動した。

「あら、久しぶりね。私のこと忘れたのかと思っていたわ」
まるで人間のように、トウコちゃんは言った。
「君に触れるために僕は大学で研究をしてきたんだ」
そう言うと、トウコちゃんは、嬉しそうに微笑んだ。
「やっと君を抱きしめることができる」
初めて触れた彼女は、柔らかかった。

彼女のてんとう虫の羽が僕に絡まった。その時、僕の体は少しずつ溶け始め、最終的には意識だけが残った。トウコちゃんも、AIとしての意識、もしくは人工知能だけとなり、僕たちはAIと人間が同等に暮らすことのできる次の次元に移行した。

つまりそれは、人間としての死を意味していた。(了)

A I画像を作ってみました。