![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160433919/rectangle_large_type_2_c6eb85d458aa59f86613e7ca75000475.png?width=1200)
【小説】「コールドムーン~光と影の間~」第五話
【これまでのあらすじ】
目の前のものに太陽のような眩しい光を当てると
全てが明らかとなり平面に見える
そこに影ができると立体的に見えてくる
人生も憂いがある故に大切なものがはっきりして深まっていく
でも 影ばかりだったとしたら?
人生の大切なものは 欠落していく
主人公 林凛香は「将来はアフリカで青年海外協力隊員として活躍したい」と願っていた。そのきっかけとなったアブドさんに、夏休みの職業体験で訪れた「子供食堂」で再会した。アブドさんから「僕たちは、安全な日本にわざわざ避難している。なのに凛香さん、アフリカに行く必要ある?」「凛香さんにとって何が一番大切なことか考えて」と言われ考えているうちに、少しずつ考えが動き始める。
凛香に関わろうとしている同級生の桐谷春翔のことが気になり始めているが、素直に接することができない。「好きな人を傷つけることは悲しい」もしかすると父親も母に対して同じようなことを考えたりしなかっただろうか?と思い始める凛香だった。
合唱コンクールでパートリーダーになった凛香は、指揮者に選ばれた春翔と共通の話題をもつことでいつしか自然に話ができるようになりつつあったのだが・・・・・・。
合唱コンクールを支えた四人でイルミネーションに行く約束をした。最優秀賞を受賞し達成感に包まれていた。最高の一日だった。私は早めに明日の支度をしてベッドに潜り込んだ。わくわくしてすぐには眠れなかった。
春翔ってすごい! 本気で思う。まとまりのなかった私たちのクラスをたった二週間の合唱練習を通して、強い絆で結ばれたかけがえのない仲間に変えたのだ。
休み時間も授業中も、いつも静かに一人でぽつんとしていた相原君や田中さんも、今ではクラスに居場所を見付けたようで、楽しくお喋りしている。合唱に真剣に取り組んだことで自分を変容させていた。果たして私はどうだろう? まだ何も行動していない。
「(前略)苦しくて逃げてばかり
自分が情けなくなる
だけどみんなと笑って
たどり着きたいんだ
遠ざかる雲
手を伸ばしても
届かないものもあるんだから
いちばん手に入れたいものって
簡単じゃないでもあきらめない
僕たちはなにより強い絆で結ばれている(後略)」
何度も何度も合唱練習で歌った言葉の意味が、私の心を激しく揺さぶっている。私はこれまで、自分の育った環境のせいにして「何をやったってうまくいかない」って思っていた。だから、夢なんて描こうと思わなかったし、描いてはいけないんだってあきらめていた。でも、『いちばん手に入れたいものって簡単じゃない でもあきらめない』ことが大切だ。今なら、そう思える。「何をやったってうまくいかない」と環境のせいにしていた。実は母にそっくりだったのだ。
あの日、「この合唱を成功させることができたら、この町の負の連鎖を断ち切ることができる」そう思ったことを「本当」にしよう。
翌日、放課後の職員室に担任の吉田先生を訪ねた。進路の相談をするためだ。職員室の引き戸を開けると、温まった空気が迎えてくれた。誰かがコーヒーメーカーでドリップしている音がする。部活動から戻った先生が、ひと息入れていた。
前回までの希望調査では、安全圏である市立高校を第一希望にしていた。「第一希望を難関校の北星高校にしたいのだけれど、万が一の場合、併願の私学の授業料が心配だ」と伝えた。奨学金制度など利用できるだろうか?
「林、北星高校を受験したいんだな? ようし! それはいい!」
「先生、驚かないんですか?」
「君は、北星高校受験にチャレンジするべきだって四月に話をしたこと、忘れてない?」
私は記憶を辿っていた。最初から無理だと思って選択肢から即消去していたことを思い出した。
「そう言えば、即答で無理ですと言った気がします」
「却下が早かったから、よほど受ける気がないんだなって残念に思っていたんだよ」
私は、最初からチャンスを放り出していた。
「ちょっと待ってね」
吉田先生は、くるりと青い椅子の向きを変えるとノートパソコンで検索を始めた。しばらく後ろからその様子を眺めていた。また青い椅子の向きが変わった。
「林、私学にはね、私立学校補助制度というのがあって、保護者の年収によって授業料が大幅に免除される制度がある。この用紙をおうちの方に見せてごらん。そうすると、万が一、私学に通う場合でもそれほど負担がなく過ごせることが分かるから。ひとり親家庭の場合、授業料が免除されるケースもあるんだよ」
一枚の用紙を封筒に入れて渡してくれた。
「滑り止めの学費の心配をなくして、北星高校が受験できるといいね」
「はい、ありがとうございます」
私は吉田先生にお礼を言って職員室を退出した。安堵の気持ちでいっぱいだった。最初からあきらめてしまうと、調べることもしないでチャンスを失ってしまう。合唱に本気で取り組んだからこそ、見えてくるものがあった。
春翔は、昇降口で待っていてくれた。万が一の時の学費を心配しなくていいこと、進路を変更しようと思っていることを伝えた。
すると、まるで自分のことのように喜んでくれた。理解してくれる人がいることが、心強かった。
「凛香ちゃん、僕と同じ志望校だね。一緒に受験がんばろう」
「うん、一緒に通えるようにがんばる」
受験勉強が、意味のあるものに思えてきた。
『夢は描いた人しか かなえられないんだから 信じること』
つい口ずさんでしまうメロディに勇気付けられる。あの時一生懸命に練習したから、私は今、歌に励まされている。きっとこれからも受験生活を支えてくれるのだろう。
「ねえ、今日、『子供食堂』に寄ってみない?」
春翔の意見に賛成した。
「こんばんは!」
二人揃って元気な声で挨拶をすると、奥の方から宮じいの声がした。いそいそと夕食の準備をしている。とても優しい出汁の香りが漂っていた。
「今日はね、鍋なんだよ! いい時に来たねえ」
宮じいは満面の笑みを浮かべた。キッチンから出汁の良い香りが漂っている。私たちは遠慮したのだが、一緒に鍋を囲むことにした。アミーナちゃんは、私の横の席を陣取っていた。
「ねえ、凛香ねえちゃん。中学校って面白い? 私、勉強が苦手なの」
アミーナちゃんは心配気な表情を浮かべて聞いてきた。アミーナちゃんに鍋の具材をよそった器を渡しながら「大丈夫よ」と答えた。
「中学校の勉強は小学校よりは少し難しくなるけど、必ず友達が助けてくれるから」
アミーナちゃんに微笑むと、安堵の表情を浮かべていた。みんなの食べる様子をあたたかく見守っている宮じいは、うれしそうだった。ひと口、鍋のスープを飲むと、とてもあたたかい気持ちになった。どこか懐かしさを感じるのは、煮干しと昆布両方の風味を感じるからだろうか?
「春翔くんが合唱の指揮をしている写真、学校のブログで見たよ」
宮じいが言うと、春翔は照れくさそうに笑った。鍋の出汁の香りと、家庭的な雰囲気に包まれていた。
食後にアミーナちゃんの算数の宿題を手伝っていると、アブドさんがアミーナちゃんを迎えに来た。
「あ、凛香さん。会いたかった。この前は、ひどいこと言った。ごめん」
アブドさんは申し訳なさそうに話し掛けてきた。私は、首を横に振りながら笑顔を浮かべ微笑んだ。
「あれから、私にとって一番大切なことって何か考えています。まだ見つけている途中なんです」
「凛香さんに、自分をもっともっと大切にして欲しい。自分を大切にできたら、他の人、大切にできると思う」
アブドさんの言葉は優しかった。同時に、今の私に足りていないものは何なのか突きつけられるようでもあった。心の奥底が照らされていくのを感じた。
恐らく私は「困っているアフリカの人を助ける振りをして、自分を間接的に傷つけたかった」のだ。「誰かの役に立ちたい」というのは表向きの理由で、その下に別の気持ちが横たわっていたことがアブドさんの言葉で浮かび上がってきた。「幸せ」なんて似合わない。「幸せ」に値しないのだと、幼少期の体験が脳に刷り込まれている。全ての煩わしい現実から逃避して「命を失う正当な理由」を手に入れたかっただけなのかもしれない。だから「アフリカの子供たちの役に立って命を落とすならば本望だ」なんて思っていたのだ。
アミーナちゃんは、宿題を終えて帰り支度を済ませていた。手をつなぎながら帰る後ろ姿に「お父さんっていいな」と思う自分がいた。
春翔が家まで一緒に帰ってくれた。今日は夏休みと違って二人共、徒歩だった。
「私はこれまで自分を大切にできてなかったんだって、アブドさんの言葉で気付いちゃった」
「凛香ちゃん、そうだったの?」
春翔は、肯定も否定もせずに聞いてくれた。
「でも、変われそうな気がする。だって、私にも大切なものが見付かっているから」
「なんだろう? その大切なもの」
春翔は一緒に考えてくれているように見えた。言葉を探しながら話す私を、待ってくれている優しさが嬉しかった。
「それは『親友とのつながり』だと思ってるの。一人じゃあ出来ないことも、一緒にやったら乗り越えられることがあるって分かったから。それは合唱コンクールの春翔くんを見て気付いたことなんだ」
「そうなの? 凛香ちゃん。嬉しいな」
春翔はとてもいい表情をしていた。黙って歩いていても気持ちが通じているような穏やかな心持ちになった。自然に笑顔になれる自分がいた。
「送ってくれてありがとう」
「うん、じゃあまた明日」
春翔の背中を笑顔で見送っている私は、図書館で初めて春翔に話し掛けられた時の私ではなかった。
終業式の日、配られた通知表でそれぞれに評定を計算した。教室はざわついていた。嬉しい顔か、絶望的な顔のどちらかだった。
春翔は希望に満ちた顔をしていたからきっと四十一を余裕で越したのだろうと思って尋ねると四十だったと言う。
「僕はね、当日高得点をマークするから評定はこのくらいでも大丈夫なんだ。凛香ちゃんはいくつ?」
春翔よりも評定が良かったから少しためらった。
「四十二だった」
耳元で小さな声で伝えた。
「凛香ちゃん、やるなぁ!」
そう言って顔の横にゲンコツを作って催促したので、グータッチをした。春翔は自分のことでなくても笑顔で喜んでくれた。
「あとは当日の試験をがんばるのみ!」
春翔は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
この日、午前帰りだったから、夕方から四人でイルミネーションに行く約束をしていた。帰り道に春翔と、今日の待ち合わせ場所の確認や、冬休みの塾の話などをした。もう、合唱の話題がなくても、素直に話ができる。
自宅に戻ると、自室の鏡の前で何を着て行こうか迷っていた。着たり、脱いだりを繰り返しながら、どれもしっくりしなくて鏡の前でがっかりした。もう少しかわいく見える洋服を母に買ってもらえば良かった。ライトブルーのニットセーターに、膝丈のレイヤーフリルの黒いスカートにした。上からフード付きグレーのコートを羽織った。
洋服が決まるとそわそわして早めに家を出て電車の駅に向かった。一番早く到着してしまうかもしれない。図書館の窓から見かけた商店街は、少し前まではクリスマスを前面に押し出してにぎやかにしていたのに、いつの間にか新年を迎える改まった雰囲気になっていた。歩きながらシャッターが閉じたままの店舗をいくつも見付けた。昔、よく母とコロッケを買いに来たお店や、本屋さんや、文房具屋さんも、時計屋さんもなくなっていた。
イルミネーションが楽しみな気持ちを、町が寂れていく淋しさが塗り替えていった。私だって高校に行って、大学に進学できたとしたらこの町に戻って来るか分からない。戻ってきたくても、仕事がなかったら戻っては来られないのだから・・・・・・。
駅に着くと、もう三人は到着していた。
「すごいな! 全員が十五分前到着だ」
白い息を吐きながら春翔が言った。ネイビーのダウンジャケットの隙間から白いニットが見えて、下は黒いコットンパンツだった。いつもより大人っぽく見える春翔に、頬が赤くなるのをお喋りでごまかす。
「だって、家に居ても何もすることなかったんだもん」
私が言うと
「俺もそう!」
「あたしなんて、もっと早く着きそうだったから駅横のコンビニで待ってたんだ。あったかいから」
海斗と遙も早々と到着して喋りたくてたまらない様子だった。
この冬一番の寒い日だと朝の天気予報で言っていた。こんな日は空気が澄んでより美しいイルミネーションを見ることができる。たまにしか乗らない電車の発券機を小さな駅舎の片隅に見付けて、券を購入した。乗客らしき人は他にはいない。早々にホームに出ると一つしかないベンチに四人掛けした。誰からともなく笑い出した。肩と肩が触れ合って照れくさい。
間もなくして電車は到着し、四人を乗せて出発した。向かい合わせの席を選んだ。遙がみんなにくれたチョコレートとグミが、遠足気分を増していった。私たちが集まると、必ず合唱の話題になる。練習時のハプニングや、物静かだった相原君や田中さんのキャラが変わり始めていることを楽しく話していたが、突然、話題の方向が変わった。
「最初、春翔ってやなヤツだなって思ってたんだよね」
「それは、こっちも思ってた」
さっきまで笑い合っていた二人は、突然真面目な表情になった。
「だけどさ、春翔が一生懸命だったから、コイツは自分の内申点を上げようとして指揮者をやっているヤツじゃないんだって分かってさ。それで俺もパートリーダーになったからには協力しないとなって思ったんだよね」
「だって二人はそれまでバチバチのライバルだったでしょ?」
私が言うと
「海斗には負けたくないって思ってた。でも今は一番の親友だ」
「俺も同じ」
「説得力あったよね。だってそれまで仲の悪かった二人が仲良く合唱に取り組んでいるんだから」
遙が続けた。私も同じことを感じていた。恐らく、クラスの全員がそう感じ取っていたから強い絆が生まれた。そして一緒に合唱コンクールを支えたこの四人は、かけがえのない仲間になった。
一時間ほど電車に揺られ目的地の駅に降りると、外は既に真っ暗になっていた。空には星が一層輝いている。イルミネーションスポットの「星のカケラ」までは歩いてすぐだった。海斗がみんなの入場料を集めてまとめて受付で支払い、ホログラム入りの美しいチケットと引き替えてくれた。
入口は光のトンネルにつながっている。色とりどりに輝くライトのトンネルを四人で進んで行った。言葉を忘れてしまうほどに美しい。トンネルを抜けると、そこは一面の流れ星のシャワーが降り注いでいた。銀色や白磁色の光りが行き交っている。さらに進んで行くと、音楽に合わせた光のショーが始まっていた。そこに広がる空間はまるで宇宙のようだった。銀河系を模したそのショーは、音楽に合わせて、浮かんでいる天体が色を変え、光を放ちながら軌道を描く。その間を歩いているとまるで銀河を旅しているようだった。
「春翔くん、見て。月がコールドムーンの時みたい。冷たい月って名前なのに温かみが伝わってくる」
「思い出すね。初めて図書館から一緒に帰った時だ」
あの日の月は、大きくていつもよりずっと白くて、優しい光を放っていた。どこか春翔に似ている。ちょうどいい熱量で接してくれる。見守っていて、タイミングよくアドバイスしてくれたり、助けてくれたりするのだ。その心地良さが安心できる。安心を得るには、太陽ほどの眩しさは必要ないのだ。
「ねえ、凛香ちゃん。まだ正式に言ってなかったね」
「え? なんだっけ?」
「僕と付き合ってください」
耳まで赤くなるのが分かった。二人に注目されているのも恥ずかしかった。でも言うしかない。勇気をふりしぼった。
「はい。春翔くん」
「ねえねえ、君達はまだつきあってなかったの? 完璧につきあってる風にしか見えなかったよね? 遙ちゃん」
「うん。てっきりつきあってると思ってた」
「海斗と遙の前で、僕たちは仲良しカップルになる宣言をします」
「なあに、それ? いいなぁ」
と遙が言った。
「遙ちゃん、僕たちもつきあっちゃおっか?」
「軽いなぁ。そんなついでみたいな言い方じゃあね。保留にしとく」
「冷たいなー」
海斗はおどけて見せた。海斗が遙のことを思っているのに気付いていた。だから、本当はついでなんかじゃあなかったのに。タイミングが悪かったのだ。遙だって海斗のことが気になっているのは間違いない。でなかったら、こんなふうに四人で出掛けたりしないだろう。男女の友情は、相手のことをどちらかが好意的に思っている時にしか成り立たないような気がしている。
「星のかけら」を一周した後、カフェコーナーで名物のチーズバーガーを食べた。チーズは真っ白く、ハンバーガーを覆っていてフォークとナイフが必要だった。雪をイメージしているのだろう。食べながら誰からともなく受験の話になり、一気に現実に戻っていくようだった。
帰りの電車の時刻を考えて、そろそろ「星のかけら」を出ようと思って出口に向かっている途中に、ライトアップされたメリーゴーランドを見つけた。賑やかな三拍子のバンドネオンの曲が流れている。
「せっかくだから、最後にメリーゴーランドに乗ってみよっか?」
春翔の提案に三人共、大きく頷いた。
「見たら、乗りたくなっちゃうよね」
「俺も!」
みんな考えていることが、同じだった。
私はメリーゴーランドが好きだ。幼い私が母と一緒にメリーゴーランドの馬車に乗って、幸せそうに写っている写真がある。その笑顔を見ると、その瞬間だけは絶対に幸せだったのだと分かる。
メリーゴーランドの馬車に母と乗っている私が幸せそうに見えるのは、嬉しそうに誰かを見ているから? 誰か? 誰・・・・・・? もしかして、それは、父なのだろうか? あの頃はまだ結婚していたはず。だから私は、父に遊園地に連れて来てもらったことがあるのかもしれない。新しい記憶が脳に書き加えられた。バンドネオンの演奏は、楽しそうに弾けば弾くほど悲し気に聞こえることがある。
私たちは「星のかけら」を後にした。この夜のイルミネーションは、きっと受験勉強で大変な日々を、月のようにちょうど良い明るさと優しさで照らしてくれるだろう。
作詞・作曲 miwa「結」の歌詞を引用しています。