⭐️【企画】あなたの「大事にしていたから『大切なもの』に変化する話」募集
「初めから大切なものなんてない」
セカイノオワリさんの「HeyHo」のこの言葉がとてもしっくりと響きます。
大切なものは最初から大切なのではない。
大事にしていたから「大切」なものへと変わっていくのですね。
あなたの「大事にしていたから大切になったもの・人」や、現在「大事にしているもの・人」は何ですか?
良かったら教えて下さい。コメント欄でも、記事でも構いません。(*^_^*)
ではまずは自分から
大事にしていたから「大切なもの」
に変化する話
「教師という職業」のこと
松下友香
私が、結果的に大事にしていたものは「教師という職業」である。最初から、教師になるつもりはなかったのだ。なぜなら、「勉強なんて自分でするものでしょ」「あんな気の毒な仕事なんてないよね」と思っていたからだ。
私が中学生の頃は、全国の中学生は荒れに荒れていた。勿論、自分の中学校もそうだ。若い女性の先生は男子生徒にからかわれて泣きながら職員室へ戻っていく姿を見ていたのだ。だから、絶対に中学校教師だけにはなりたくなかった。
大学進学を考えた時、福祉に関心をもち「発達支援学校(当時の養護学校)の教員」になろうと思った。そして大学時代はボランティアをしたり、こども病院で言語治療士の方から御指導を受けたりしながら発達支援について学んだ。だが学んでいるうちに、色々と思うところがあり自分は小学校の教師になってみようと思ったのだ。
そこで、小学校教員枠で採用試験に何度かチャレンジした。試験に合格していない時には講師という仕事があった。だがそれは、中学校枠での依頼だった。そして、小学校教員枠で試験に合格したのだが、英語教師の数が少なかったため採用は中学校(外国語)となった。あんなになりたくなかった中学校教員になぜかなってしまっていた。
時代は変われども、荒れた中学に勤務することもあった。面識のない中学生と校内でただすれ違うだけで「死ね」「ばか」と言われることもあった。
心を無にして過ごすのみだ。
また時には、授業中に筆入れからカッターを出してカーテンを切りつける生徒を制止しなくてはならないこともあった。
エスケープした生徒を探しに行った際に、跳び蹴りをお見舞いされたこともあった。(あたらなかったけど)
なぜ、こんな仕事をしているのだろうかと自問自答する日々は続いた。
そして今から25年ほど前になるだろうか。新規採用2校目に勤務した或る学校では、ベテラン教師も含め、みんな疲弊していた。授業を教える仕事以外のことが多すぎたのだ。(廊下を自転車で通る生徒、3階から自分の机を投げる生徒、授業に集中しないたくさんの生徒 といった状況が当時あった)
そんな中、期末テストの「保健・体育」の試験監督に行った際に、集めたはずの答案用紙が1枚足りないということがあった。恐らく、その生徒が自分で提出しなかったのだろう。だが、慌ただしい中であったとしても、その場で枚数を確認できなかったこちらのミスであり責任である。担任からは責められ、翌日、生徒に謝罪をした。
その日の夜、無力感でいっぱいになりながら残業をしていると、ある先輩教師が話を聞いてくれた。そして、「今から教室に答案を探しに行こう!」と言ってくれたのだ。その先輩教師ともう一人の方が、夜の教室で一緒に紛失した答案用紙を探してくれたのだ。出て来るはずもなかった。だが、その気持ちが嬉しかった。
こうした仲間が居てくれたからこそ、辞めずに続けてくることができたのだ。
辞めずに続けたことで、この職業のやりがいに気付くことができ、大事にしてきたから結果的に「大切なもの」となった。
教師の仕事は「勉強を教えること」だけではない。その児童や生徒の「伴走者」となることだ。今は小学校に勤務している。小学校では1年ごとに担任は代わることがほとんどである。1年の間に自分にできることを精一杯して、次の担任にバトンをつないでいく。できるだけ色々な大人に出会った方がバランスが良いのだろう。
いつか「#教師のバトン」というものが流行ったことがある。教師の仕事の大変さ、しんどさがクローズアップされた。どの人の気持ちもよくわかる。だが、どの職業にも大変な部分はあるものだとも思う。
私は「教師という職業」のやりがいや、可能性も伝えることができたらいいと思っている。