【バトン企画】#心に残るあのエピソードをあなたへ 「母の教え」 光と陰
【バトン企画】がやなぎだけいこさんに回っているあたりで、「なんだか自分に回ってきそうかも?」なんて頭をよぎっていたのですが、予感が的中しまして、Kobayashi muさんからバトンを頂きました。丁寧に、「クリエイター問い合わせ」を使って、引き受けるかどうか打診をして下さいました。「頼まれ事は断らない」をモットーにしていますので喜んで引き受けさせて頂きました。(仕事や役のこと💦)
ちなみに、やなぎだけいこさんからもう一つのバトンは、最近「筋トレ部」というメンバーシップを立ち上げたなちこさんへ回っています。
バトンを頂いた方を御紹介します!(^^)/
Kobayashi muさん について
「母の教え」光と陰 松下友香
1 大人になってから母に叱られた話
それは、私が大学4年生の時、教育実習のため実家から付属小学校に通っていたときの話です。2週間の教育実習を終えて、帰宅した日の夜、私はお世話になったクラスの学級便りを母に見せました。教育実習生とのお別れを特集して下さったものでした。
母は、その便りの私からクラスのみんなへのコメントを見て、こんな話をしたのです。
「友ちゃん!お母さんは、何十年経った今も、小学校でお世話になったH先生の言葉に励まされているの。こんなメッセージでは誰の心にも届かないでしょ。」母は、涙ながらに強い口調で言いました。
私が、その学級便りに寄せたのは、教育実習でも使ったうさぎのイラストに、「ありがとうございました。またね!」といった簡単な言葉を添えたものだったのです。
母が、何十年経ったその時も、お世話になった担任の先生の言葉に励まされているという話は、その時、初めて聞きました。私は大変、驚きました。「誰かの言葉が、その後、何十年にも渡って励まし続けていた。」なんていうことがあるのかと。
母の言葉は、私の心の片隅で息づいていたのではないかと思います。
それから三十年近く経った今、自分が生まれてきたことの役割の一つとして、微力ではあっても「誰かを応援する」ということがあるのではないかと、ようやく自覚できるようになりました。そして、自分の使命を意識する前に選択していた「教師という仕事そのもの」が、目の前にいる人を応援する仕事だったのです。自分のクラスの子供たちや、自分の周辺の方々をそれぞれに合わせた形や温度で応援すること。もちろん、相手にその気持ちが届く時ばかりではありません。
たとえその時、その人に届かなくても、本当に辛くなった時に、「そう言えばあの時、先生が自分のことを思ってくれていた」というあたたかい記憶となって、その人の悲しみを包み、少しでも和らげることができたなら、それでいいのだと思います。中には、表だった応援を必要としない場合もあることは承知しながら、お節介にならぬよう、自戒しながら、歩んでいきたいと思っています。
ある時、自分の娘と同級のママ友からこんなことを言われたことがあります。そのママ友の夫は、私が中学校勤務していた頃の教え子だったのですが
「うちの夫が言ってました。『先生だけは、俺たちのことを見捨てなかった』と。」私は、自分の耳を疑うような気持ちでその話を聞きました。最も、学校が荒れた状態の時の教え子だったのです。その時は本当に、自分の無力感しか感じることができませんでした。誰かの役に立っている実感もなく、何をどうしたら良いのかも見失いかけ、毎日が辛かったことを記憶しています。
このように、私たちの仕事は、後になって成果や不成果を知ることになる仕事でもあります。また、教え子に、その後の人生で別の形で出会い、お世話になることもたくさんあるのです。
ここまでにしておけば、ちょっと「ほっこりするよい話」でこの記事を終えることもできました。
しかしながら、「人生には、よいことも、そうでないこともあり、どんな人にも光と陰がある」という陰の部分も書いていきたいという思いから、もう一つのエピソードも紹介してみることにしました。陰があるからこそ、人間らしい魅力につながるのだと、私は考えています。
2 母を反面教師にしていること
昭和の父親というものは、往々にして頑固親父が多かったのではないかなと思います。我が家の父親も、今でいう「モラハラ」、「ワンマン」「怒りやすい」「暴言」的な父親で、それに伴う様々なトラブルがありました。
私は、母親から父に関する愚痴や相談を、日々、聞いて育ちました。父親に対しては、いつの頃からか、すっかりマイナスのイメージを抱いてしまいました。また、母親から、対等な大人のように相談を受けながら育っていたので、少し大人びた感覚を内側に持った子供だったように思います。
父親が悪者であるかのようなイメージは蓄積され、嫌悪感や反発的な気持ちを、大人になっても心の中で引きずっていたのだろうと思います。
ところが、私が第一子を産んだ時に、そのマイナスの感情は解消されることになりました。病院の待合室で、娘の出産の無事を待つ父親の姿、そして自分が初めて自分の子供を抱いた時に感じた「我が子への愛情」から、「自分も父親からきっと愛されて育っていたに違いない」という確信をもつようになったのです。そして、そのことを確かめるため、私は自分が赤ちゃんの頃の写真をもらうことにしたのです。すると、赤ちゃんだった私は、まるい耳のついたくまの帽子をかぶり、安心した表情ですやすやと眠っていたのです。それまでの父親へのわだかまりは消え、むしろ、家庭の中にあって、母親の肩ばかりもつ子供に、寂しい思いをしていたのだろうと推察することができました。(弟も同様でしたので・・・。)
「おじいちゃん」となった父は、本当にかいがいしく孫の面倒を見てくれています。父親としては、距離ができてしまいましたが、おじいちゃんとしては最高の存在だと感謝しています。
このような経緯を経て、「家族の愚痴」や、ついでに「仕事の愚痴」も絶対に自分の子供には言うまいと心に誓いました。愚痴を日常的に子供に聞かせてしまうと、フラットな認知が育ちにくいのだと思います。(そのわりには、まっすぐに育った気がしますけど (^_^;))💦
自分の子供時代を振り返り、それをひと言で表すなら「混沌」、「暗いトンネルの中にいたよう」な気がします。でも、だからと言って、幸せではなくても、不幸せでもありませんでした。
長い人生の中には、それぞれの人に、それぞれの暗いトンネルの時代があり、その暗いトンネルは、いつかトンネルを抜け別の道に進んだ時に、そこが「明るく心地良い場所」だと気付くために用意された「必要な半分」のように思います。
次にバトンを渡す方を御紹介します! (^^)/
たいたけさんについて
バトンを受けて下さりありがとうございます
《プロフより》教育ひと筋20余年。社会×教育、平凡な道をただ歩む。いたずら好きな一児の父。千葉ニュータウンから
たいたけさんは、2021年7月からnoteを始められているようです。
初期の記事を御紹介します。
<最新の記事はこちらです>
そして、初めての有料記事で、恐らく最も心を砕いて作成されている記事がこちらです。この記事は、たいたけさんの並ならぬ責任感によって、記事がどんどん加筆されています。つまり500円の対価となる記事にするべく、「円安×インフレ対策」を追究している姿勢が伝わってきます。「もう充分ですよ」とお伝えしたいところです。
ちなみに、たいたけさんは「悪人シリーズ」を執筆しながら、御自分も、どうやらアウトローな「悪人」を目指していらっしゃるようなのです。アイコンは、善人にしか見えませんが😆気になる方は、記事を御覧ください。
★企画について~バトンのつなぎ方~★
※期間は 9月30日(金)まで です
1.記事を書いてほしいとnoterさんから指名=バトンが届きます。
2.バトンが回ってきたら「心に残るあのエピソードをあなたへ」の記事を書いてください。
3.noteを書いたら、次にバトンを渡すnoterさんを指名してください。指名したことがわかるように、指名するnoterさんの一番最新のnoteをシェアしてください。※指名するnoterさんは、最大2名まで。
4.チェーンナーさんの下記の記事を埋め込んで下さい。
★バトンリレーに参加しないときは・・・
1.バトンをもらったけど、noteを書きたくない、という方は、バトンをチェーンナーさんにお返しください。
方法①「チェーンナーさんに返します」というnoteを書いて、上記の記事を埋め込んでください。チェーンナーさんが「心に残るあのエピソードをあなたへ」を書いてくださいます。
方法②上記のチェーンナーさんの記事のコメントで「バトンを返します」とお書きください。