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【小説】「コールドムーン~光と影の間~」第二話
【これまでのあらすじ】
目の前のものに太陽のような眩しい光を当てると
全てが明らかとなり平面に見える
そこに影ができると立体的に見えてくる
人生も憂いがある故に大切なものがはっきりして深まっていく
でも 影ばかりだったとしたら?
人生の大切なものは 欠落していく
主人公の林凛香は、幼い頃に両親が離婚し母親に育てられる。幼い頃は、祖母がくれた僅かな菓子などを食べ、仕事で帰宅の遅い母を待ちながら夕食も食べずに一人で眠りについた。そんな凛香は小学生の頃、シリアからやってきたアブドさんの話を聞き、またアブドさんの幼い娘であるアミーナちゃんに接することで「将来はアフリカで青年海外協力隊員として活躍したい」と願うようになる。中三の夏休みの職業体験で訪ねた「子供食堂」でアブドさん親子に再会するも、「僕たちは、安全な日本にわざわざ避難している。なのに凛香さん、アフリカに行く必要ある?」「凛香さんにとって何が一番大切なことか考えて」と言われてしまう。その職業体験には同級生の桐谷春翔も参加していた。
「子供食堂」の職業体験以降、図書館の自習室で時々春翔を見かけるようになった。向こうは、何か話し掛けたそうな雰囲気だった。でも「愛嬌ゼロ」を臭わせると少し淋しそうな顔をして、話し掛けてはこなかった。夏休みに、図書館でほぼ毎日受験勉強を続けたのは、集中できる上に高熱費の節約にもなるからだ。
少しだけ熱波が和らいだ八月の末に、二学期初日を迎えた。受験生にとって本番が近づいたきたことを意味していた。
学期始めの模試が終わると面談が始まり、月日は足早に過ぎていく。面談は誰にとっても深刻だった。志望校について「希望」ではなく「本音」で相談をするからだ。
「凛香さんの志望校は、市立高校と書いてありますが、気持ちに変わりはないですか?」
先生の前でなら、母は北星高校受験に反対しないかもしれないと思った私は、少しだけ意思表示をしたのだ。
「先生、実は迷っています」
「凛香さん、他に行きたい高校が見付かったのかな?」
先生の温かい眼差しが私に向けられた。その一方で、隣に座る母の機嫌が急降下していく様子が見えてしまった。
「あ、いえ。市立高校で・・・・・・」
本心と異なる言葉が、咄嗟に出てしまう。九月の三者面談でさえ、私は自分の「本音」ではなく母の「希望」を伝えてしまったのだ。「県立北星高校に通いたい」だなんて言えば、母親はきっと「もし落ちたらどうするのよ!」と先生の前でも声を荒げてしまったに違いなかった。
三者面談で何も現状を変えられなかったことにがっかりして教室を出ると、面談の順番を待っていた春翔と、父親に出会った。
「こんにちは」
「あ、春翔くん」
春翔は、私と母親に軽く会釈をしながら挨拶をした。面談にお父さんが来るなんて、春翔の家は進路に熱心なんだと感心した。
最近、春翔のことが少し気になっている。気が付くと目で追っている自分に気付いた。気にはなっているものの、素直に話すことはできずにいた。自信に満ち天真爛漫に育っている彼は、きっと恵まれた家庭環境なのだろう。私とは居る場所が違う。
誰からも好かれる春翔は、投票の結果、体育祭実行委員長に選ばれていた。二学期のメインとなる行事だ。「誰もが楽しめる体育祭にしよう」と全校にアンケートを取り、話し合いを進めていた。これまで疑問をもたれることなく踏襲されてきたプログラムを変更し、種目内容を工夫している様子が、昼の放送や、クラスでの呼び掛けから伝わってきた。
これまでの体育祭競技種目は、体育の延長となる種目ばかりだった。「玉入れ」「綱引き」「徒競走」に加え、今時、男女別々の演技種目まであるのだ。春翔はアンケートの結果に沿って、Tiktokで話題のダンスや僥倖的な種目を増やすことで、「誰もが楽しめる体育祭にしよう」と奮闘している様子だった。
私は「団結」とか「協力」とか「友情」などの言葉で表されるものが苦手だった。だから「体育祭」が自分事に思えなくて、なんとなく練習をして話を合わせ、他人事のように参加していた。まるで、三階の教室の窓から隣町を眺めているかのような遠い出来事だった。
例え私のような人が数名紛れていたとしても、リーダーの熱量があれば、行事というものは進んでいく。春翔の熱量は、やる気のない者も巻き込んで思わず熱中してしまうような、強さとしなやかさがあった。受け身で参加している私でさえ、春翔の熱量ににつられてダンスの昼練に参加し、次第に「楽しさ」を感じるようになっている自分に気付いた。
賑やかだった体育祭が幕を閉じると、中間テストや、模試、小テストが渋滞して、受験生の過酷さを肌で感じることになった。母の「希望」する市立高校が志望校のまま、月日は流れていった。
「このままでいいのだろうか?」
そう思わない日はなかった。それでも従順な振りを装いつつ、勉強することを止めなかった。それは「もしかしたら母が理解してくれるかもしれない」という淡い期待からではなく、母に対する挑戦じみたものだった。休みの度に、図書館で勉強した。図書館の静けさや、本に囲まれた空間は「集中」と「リラックス」の両方を与えてくれる。ロビー広場では「リース作り」イベントが開催されていた。折々のイベントを眺めているだけで季節を感じ気持ちが緩む。
図書館の二階の窓から見えるケヤキ並木は、黄色や朱色の葉は落ちて冬を迎えていた。商店街にはクリスマスの飾りがちらほら見える。灰色の厚ぼったい瓦屋根に駐車場付きの庭。それから低い建物。変わらないこの町の姿が今日もそこにあった。
「ねぇ、そこどいてくれる?」
「えっ? 邪魔してるかな?」
せっかく受験勉強をしに日曜日の図書館へ来たというのに、春翔が少しずつ席を移動して座席を近づけてきた。今は斜め前の席に座ってこちらを伺いながら、話し掛ける機会を探っている。何かと理由を付けて質問をして、答えを引きだすことで喋ろうとする。「うざっ」っと小さく呟いた。「子供食堂」の職業体験以来、ほとんど喋ったことはなかった。
少し気になった時期もあったけれど「私には関係のない人」に分類されていた。同級生の女子から春翔は人気がある。でも私にとってはただのお調子者。ちょっと背が高くて、頭がいいっていうだけで。
「あのさ、来週、英語スピーチあるじゃん?」
「・・・・・・」
「練習してる?」
「当然」
「ね、暗記するの大変じゃない?」
「当然」
「ね、ひょっとして僕が話し掛けるのって迷惑?」
「当然」
私は、英語の問題集から視線を反らすことなく無表情に言った。
「あのさ、今度合唱コンクールあるじゃん。僕、指揮者に立候補しようと思うんだけど、どう思う?」
私は問題集から少し顔を上げて春翔の目を見ながら
「Pardon?」
と言うと、書きかけた英作文の続きに戻った。春翔の心臓は強すぎる。これだけ塩対応をしても話し掛けてくる度胸は、ある意味最強なのかもしれない。私は今、勉強をしているところなのだ。誰にも邪魔されたくない。それだけだ。
「あのさ、林ってさ、こんな冷たい人だったっけ?」
え? それ本人に聞くかな? 心の中でつぶやいた。
「勉強中なの。誰にも邪魔されたくないから」
「あ、うん。じゃあ、終わるまで待ってる」
「君も受験生なんだ。勉強しよ」
春翔は、ようやく自分の問題集を開いて解き始めた。数学の問題集をやっているらしい。斜め前の席なので、見ようと思わなくても目に入ってくる。学校で使っている基礎問題集だ。そう言えば来週がその問題集の提出日だから、慌ててやっているんだろう。私は英語の問題集を解き終えて、「書き込み地理ノート」という問題集に移った。若草色の表紙にリアルな世界地図がプリントされている。受験勉強の中で一番好きな問題集だ。色々な国の特色がカラーで掲載されていて、それを見ながら空欄補充をするタイプ。空欄を補充するだけの単純な勉強だが、写真に併記されたQRコードに携帯をかざすとその国の暮らしが動画で視聴できる。気分転換に、よくアフリカの動画を見ていた。
「子供食堂」でアブドさんと再会したとき、「わざわざ危険を冒してまでアフリカで青年海外協力隊員になることはない」と反対された後も気持ちは揺れていた。アフリカに行くことが、勉強のモチベーションだったのだ。アフリカの動画を見ていると、子供たちの笑顔が眩しい。私にとって「一番大切なもの」って何だろう? アブドさんからの問いの答えは見付かっていなかった。
図書館の空気は、迷っている私にも集中力を与えてくれる。今日の分の英語と地理の勉強、それから塾の五教科問題集を大量に終わらせた。毎日五教科を五ページずつ、計二十五ページ進めないと提出日までに完了できない分厚い問題集だ。数学のページだけ時間がかかった。面倒見の良い厳しい塾である。それにも関わらず、塾生はみんな課題をしっかりこなしている。全員がライバルだ。塾の座席は最新模試の結果で決まる。成績の良い順に右前から座るというシステムがある。私は今、前から二列目の左端だ。もう少し右寄りの座席に行けるよう奮闘したい。この塾の一列目の座席が確保できれば模試でトップ高のA判定を獲得するレベルであり、市で一番の進学校である北星高校に余裕で合格すると言われている。
北星高校は留学のプログラムが充実しているのは勿論、トップ校であるプライドに加え、その校風で人気がある。生徒の手に様々なことが委ねられ、自由がある。制服がないのはもちろん、校則もない。生徒は、規則に縛られずとも好ましい行動をすることができるという信頼を得ているのだろう。北星高校は私にとって憧れだった。この学校に入ったら、自分を変えることができる気がするのだ。
当日の試験結果に加えて、通知表の評定の合計が最低でも四十一を超したいところ。技能教科も加えた九教科でそれぞれ五点ずつだから、そのうち四教科まで評定で四を取ることを許される。残りの五教科は、全て五でなくてはならない。
評定四十一を勝ち取った上で、当日の試験でも成果を出すという危険な賭ができるような恵まれた環境ではなかった。母は相変わらず「私学に通わせるお金はないからね」と口癖のように言っている。
万が一を心配して、私には挑戦する権利がない。北星高校に落ちた場合の私学の学費が払えそうにない。塾だって、成績が優良なおかげで特待制度が適用され、無償で通うことができている。だから、成績を下げる訳にはいかず必死で勉強しているのだ。私にとって勉強することは、お金を稼ぐことと同義語だった。置かれた状況を頭では理解しているが、市立高校を志望校とすることにまだ納得できずにいた。
勉強道具の一番上に若草色の「書き込み地理ノート」がくるようにして、端が揃うよう机でゴトンと整えると、その上にペンケースも載せてバッグに入れた。すると、春翔も慌てて片付け出した様子が見えた。手をつけた問題集や参考書はそのまま開きっ放しになっていた。机上のあちこちに置かれた問題集をかき集めて、慌ててバッグに詰め込んでいる様子だった。
私は椅子を机の下に収めて席を立ち、カウンターにいる職員に軽く会釈をして図書館の自動ドアを後にした。
「ねぇ、待ってよー」
振り向くと、春翔が息を弾ませながら走って来る。「用はないんだけど」と思いながら、また前を向いて歩いていた。
「林さん」
珍しく「さん付け」で呼んできたから立ち止まった。
「それで何か?」
「ねえ僕がさ、指揮者やって大丈夫だと思う?」
春翔は、子犬のような目をして私を見ていた。なぜ、こんなに人を信頼した目で話し掛けることができるのだろう? 優しい言葉を掛けた記憶なんてないのに。春翔の瞳をまじまじと覗いてしまった。
「それはさ、自分がやりたいって思ったらやってみたらいいんじゃない?」
「ちゃんと曲に合わせて指揮ができると思う? 合唱コンで最優秀賞目指したいから、できなそうなら止めるっていう覚悟で聞いてる」
春翔の目は意外にも真剣だ。いつものおちゃらけた様子とは違っていた。
「私が思うに、音楽のリズム感やセンスはね、認知力がある人には備わっているの。だから・・・・・・」
「だから?」
瞬きもしないで私を見つめてくる春翔の視線は、まっすぐで痛いくらいだった。
「できるよ」
春翔は飛び上がって喜んだ。
「そう? 僕のこと認知力あるって褒めてくれてるの?」
はしゃいでいる春翔を置いてけぼりにして私はまた、歩き始めた。
「林! 待ってよ」
春翔は駆けてきて、私の前で両手を広げて通せんぼした。
「何? 保育園児じゃあるまいし」
「僕はさ、林のこと保育園の頃から知ってる。いつもきつい言葉を使うけど、ほんとは優しい子だって覚えてるよ」
覚えている? 私は幼い頃の記憶はほとんど忘れてしまった。保育園の頃はまだ、確かに父親と一緒に住んでいたということだけは記憶している。
「林と僕はね、仲が良かったんだ。よく一緒に園庭で遊んでさ、僕が鉄棒で逆上がりしてる途中で手を離しちゃって地面に落ちた時なんかね、大声で泣いてくれてたんだよ」
「えっ? そんなことあったの?」
「そう、その時、なんて言ったかなんて覚えてないと思うけど・・・・・・」
私には幼い頃の記憶がほとんど残っていない。それに比べ、春翔の記憶力はずば抜けている。
「小さい声で言っとくけど『春くんのお嫁さんになりたかったのに、死なないでぇ』って手を握って言ってくれたんだよね」
私は顔中が熱くなるのを感じ、無言のままだった。
「ほら、覚えてないでしょ? その後、すぐに先生を呼びに行ってくれて僕は医務室に運ばれて、その後病院に連れて行かれて、念のためMRIを撮ったんだけどさ、この通りなんともなくって、林のおかげじゃん」
「全く覚えてないな。そんな昔の前言、撤回しとくから」
「いいよ、いいよ。僕はさ、その時決めたんだ。この子にもし何かあったら守ってあげたいってね」
「ああ、それで話し掛けてくるわけね? 心臓強いんだなって思った」
本人も覚えていないような昔のことをずっと覚えているなんて、ただのお人好しなのか、ストーカー的なのかどっちかだな。
「僕の見立てでは、お父さんがいなくなった頃から、林は少し変化してる。でもさ、林は林だから」
あなたに私の何がわかるの? 心の中で叫んだ。
「失礼ね」
私は春翔を睨んだ。
「心配してるんだ。林のこと」
「馴れ馴れしくしないで」
「昔はさ、凛香ちゃん、春くんって呼ぶ間柄だったんだぜ」
「それ、思い出した! 小学校の高学年になったのにちゃん付けで呼んでくるから『気持ち悪いからやめて』って言ったんだよね」
「さ、帰ろっか」
自分で通せんぼしておいて勝手だなと思いながら、春翔と並んで歩き出した。二人共、無言だった。一人で帰りたいと思いながら、図書館から続く長い坂道を下った。
「林の志望校はどこ?」
「まだ、はっきり決まってないし、あなたには言わない」
「林の頭脳ならどこだって行ける」
「色々事情があってね・・・・・・」
一番の難関校を受験したいけれど、万が一落ちた場合、私学に通うための学費が心配だなんて言えない。
「数学だいじょうぶか?」
「だいじょうぶ・・・・・・。じゃない」
「教えてあげるよ」
「なんで数学ピンチって分かったの?」
「それはさ、林の勉強の仕方見てたら分かるって」
私の方が観察眼あると想っていたのに、春翔に見抜かれていた。春翔の顔を横目でチラリと見て黙って歩いていると
「どうしても解けない問題があったら言ってよ。こう見えて僕の数学はさ、学年トップなんだ」
朗らかに言うと、軽やかにジャンプして縁石の上に飛び乗った。縁石の上を横歩きして私の顔を見ながら歩いている。
「危ないよ! また怪我しちゃう」
「そうだ! それはまずいよ。また林が泣いちゃうかも」
「泣かない! 絶対に」
また無言で歩いた。私の強い言葉は時々、誰かを傷つける。枯葉を踏む音が聞こえてしまうくらい静かな田舎道には、車も通らなかった。無言で歩いているのに春翔の横顔はなんだか嬉しそうに見えたのが不思議だった。私は、少し気まずくて下を向いて歩いていた。
「ほら見て、林」
春翔の声に顔を上げると、空には満月が優しい光を放っていた。
「これって、コールドムーンだ」
朝の情報番組で今夜の満月について紹介していたのを思い出した。
「何それ? 月に名前なんてあんの?」
「春翔君、月にはそれぞれ名前が付けられていてね、十二月の満月の名前をアメリカでコールドムーンって呼ぶことから、最近では日本でも同じ呼び方をすることあるんだ。満月の周期は平均約二十九・五日だからまた来月の初旬に満月になります」
私は先生みたいな口調で説明をした。
「へえ! 詳しいね。今日の満月はおっきく見えるな」
「そうね。大きくって、いつもより一層白い」
「こんなふうに月をじっくり見たことってなかった」
「そう? 私は意外と満月の度に気になって見ちゃうけどね」
誰かと一緒に満月を見るのは初めてだった。さっきまで嫌な人だと思っていたのに・・・・・・。コールドムーンのおかげなのだろうか?
満月は願いを叶えてくれるという。太陽と地球と月が一直線に並んだ時に見える月のことを満月と呼ぶ。太陽の光が月全体を照らしているから丸く見える。満月には神秘的な力があると信じられていて「満月の日の願い事」は既に叶ったように書くと良いとされている。
私は、満月の日の願いを日記帳に書き留めている。最近はずっと同じ願い事だ。「私は、志望校に合格するために勉強をたくさんしました。おかげで北星高校に見事に合格しました。ありがとうございます」七夕の短冊に願い事を書くのに似ている。ポイントは既に叶ったことのように書くと良いとされている。「予祝」というらしい。この時ばかりは、志望校を本心で書いている。願い事をより意識することで行動が変化し、叶える確率を高めているのかもしれない。
「こんなにきれいだと、月に願い事をしたくなるね」
「えっ? 春翔くんってあんがい乙女ね」
春翔は両手でハート型を作って、目をぱちりと大きく開いた。
「だって受験生でしょ? 願い事はただひとつ」
「そうだね!」
「合格しますように」
春翔とちょうど同じタイミングで願い事を口にした。春翔は満月に向かって手を合わせていた。二人で顔を見合わせて笑った。
家に着くと、冷蔵庫の余り物で夕食を作った。日曜日だというのに母は休日出勤をしていた。冷蔵庫の中からベーコンとコーンの余りを発見した。あとはじゃがいもと玉葱があればジャーマンポテトを作ることができる。今では自分で料理することができるから、「夕食がない」なんて日はなくなった。
恵まれているはずのこの国でも、子供の約七人に一人は貧困で、うちはそれに当てはまる。貧しいだけならまだましな方で、この国に生まれる赤ちゃんのうち二週間に一人のペースで遺棄や虐待死が起きているのだという。遺棄する人は、心が貧しいのか、生活が貧しいのか、望まない妊娠だったのかは分からない。大切なものが大きく欠落してしまうような事情があったのだろう。恵まれている人生もあれば、恵まれない人生だってある。私は恵まれていない方に分類されているから、妊娠はしたくない。
月に一度の無料食品配付会でもらう食料は、私と母の命をつないでいる。「生活に困窮している子育て世帯」が対象で、お米や缶詰、乾麺などをもらうことができる。でも配付される食材は限られているから、ある物で作って食べるだけ。
今日は残念ながらじゃがいもが切れていたから、ベーコンとコーンと玉葱をケチャップで炒めて食パンの上に乗せ、さらにチーズを被せてオーブンで焼いた。ちょうど良くチーズを溶かした、とろとろのピザトーストの出来上がりといったところ。もう一品は、お得意なんでもコンソメスープ。さっき使った玉葱とコーンを少し取り置いてスープに使うのだ。常備している乾燥わかめを入れたら完璧! 食事を作ることは、脳に良い刺激を与えてくれるから、受験生にとってマイナスだとは思わない。
母の帰りが遅くても今は淋しくないのは、自分で夕食を作ることができるから。「遅くなる」と連絡があれば、食べて、片付けて、お風呂に入る。ここまでやったら後は好きなだけ勉強すればいい。
母の仕事は生命保険のセールスで、残業が多い。昼間は営業で外回りをし、会社に戻ってから事務仕事をして退社するので遅くなるのだという。あの感染症が流行った時に営業成績が下がり、お給料が激減したと嘆いていた。
母の分のピザトーストは、帰ってからオーブンで温めるばかりにしておいた。夕食に何を作っておいても、母は無邪気に喜んだ。
「りんかちゃん、今日、ママが企画したキャンペーンの悪口を言う人がいてね、本当に腹が立ったのよ・・・・・・」
自分の意図に反した考えを言ったり行動したりしなければ、母は私に声を荒げることなく優しく接してくれる。母がおいしそうに食べてくれる姿は、家事を任された私にとっての救いであり、張り合いだった。