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【掌編小説】「青い炎」ブーケ・ドゥ・ミュゲ


 私には青が巣くっている。鏡に映る自分の心臓の辺りに、今日も青々とした炎が灯っていることを確認する。今日は少し碧い。つまり、緑がかった青色だ。こんな日は、淋しさと後悔が入り混じり絶望的になる。
 玄関に用意した花束を抱えて、私は地下鉄の駅へ向かう。五月の連休ならば墓参りにすずらんを選ぶが、秋は白いリンドウを選んだ。彼は白い花が好きだった。敢えて言うなら、すずらんのような楚々とした女性が好きだったのだろう。私は、天に向かって咲くリンドウの方が好きな自分を変えられなかった。


 彼と出会ったのは、「ル・コルドン・ブルー」のパリ校だった。パティスリーコースは洋菓子を極めたい誰もが目指す学校だった。私より少し先に渡仏していた藤堂瑛士は、受講コースの選択から、講師の人柄、治安の良い地区まで教えてくれる親切な人だった。彼は、誠実さと気品を兼ね備えた印象の好青年だった。パティシエとして成功したいという強い願いをもっていた。
 藤堂と私は、同じ講師の元で厳しい指導を受けながら、毎日のように深夜までケーキ作りを繰り返した。
「藤堂君は『クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー』みたいなコンテストを目指したりしてる?」
「いや、僕はコンテストよりも、ケーキを食べた人がおいしい、もう一度食べたいって思ってくれるようなケーキを作りたい。穂乃は?」
「私も同じ。食べる人の笑顔が見たい」
 藤堂は憂いに満ちた瞳で私を見つめ、微笑むと、またメレンゲを泡立て始めた。調理台横に掛けられた身支度を確認する鏡の中の私を覗くと、青色をした炎が灯っていた。穏やかな心持ちの時には、フラットな青色が灯る。私は、シェフハットの端を持ってかぶり直した。少しでも藤堂に美しく見られたい。思った瞬間、青色に朱色が混じった。
 「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」というスイーツ界最高峰のコンテスト、あれはもはやケーキではなく、チョコレートを使った彫刻だ。私が目指したいのはそういうものではなかった。藤堂もそこは同じだった。生チョコタルトの滑らかさや、ふんわり柔らかな口当たりのムースを作るにはどうしたら良いか、均一にキメの細やかな優しいケーキスポンジにするにはどうしたら良いか、思考錯誤していた。
 帰り道、試作品のケーキを一人で食べるのは味気ない。どちらかの家に寄ってスイーツを肴にワインを飲み交わした。
「藤堂君は、日本に彼女さんとか残して来てたりして」
「それはないよ」
「ほんとに?」
 言いかけた私の唇を藤堂の唇が塞いだ。「穂乃好きだよ」とつぶやきながら何度も唇を重ねた。ほんのりバニラエッセンスの香りがした。異国の地で出会う同胞というのは、それだけで分かり合えるような錯覚に陥ってしまう。私たちが、恋人として肌を重ねるまで、それほどの時間は要しなかった。
 その頃、藤堂はフランスにはすずらんを恋人に贈る風習があると知り、可憐な丸みを帯びた白い花を時々、私に贈ってくれた。その花束は嬉しかった反面、「すずらんのような楚々とした女性であって欲しい」と願われているようで窮屈だった。すずらんの花はどれもうつむいている。

 無事に一年で「ル・コルドン・ブルー」を卒業した。残って指導を受ける道もあったが、藤堂も私も帰国してホテルのスイーツ部門で実践を続ける道を選んだ。日本のホテルレストランからの二名分の枠、スイーツ部門に配属されることになった。
 帰国して働くようになると、現実はそう甘いものではないと知った。藤堂と私に任されたのは、厨房とフロアの掃除、そして接客だったのだ。私よりも藤堂の方が落ち込んでいるように見えた。
 たまに任されるのは、ホテルのロゴが入った贈答用のクッキー作りだった。クッキー作りが、つまらない仕事ということではなかった。だが、せっかく学んできたケーキ作りをしたかった。先輩シェフが作るケーキスポンジは、目が粗く、均一ではない。食べるとぱさついた。現実の空しさに私は、日に日にやる気を失っていくのが分かった。
 翌日、重い足取りで職場に行くと、先輩シェフが命じた仕事は、贈答用クッキー缶の底に付いた日付ラベルを貼り替えることだった。藤堂も私も絶句した。売れ残りの消費期限を延ばして店頭に並べようというのだ。私は絶対に嫌だと断った。
「君が断った仕事を、いつもしているのは僕なんだ」
 消え入りそうな声でつぶやくと、蒼白い顔のまま作業を始めた。

 誰への怒りなのか分からない激しい強い感情が込み上げた。その瞬間、藤堂は深紫色の炎に一瞬包まれて倒れた。救急に運ばれた彼の心臓が動くことはなかった。私は紫がかった青黒い炎を灯しながら泣いた。両親は彼の死因が「不明」なことに納得できない様子だった。

 帰り道を照らす有明の月に、見透かされた感情が浮かび上がる。降り出した小糠雨に打たれ魂まで凍りついた私に、青白い炎が灯った。




うたすと2に参加させて頂きます。よろしくお願いします。本文1998字。「曲の雰囲気、歌詞と歌声の全てが絡まった神秘的な美しさに惹かれました。今日は運動会代休だったものでこんな時間に投稿させて頂きました。(^^)