テーバイ(新国立劇場)
新国立劇場の演劇のプロダクションはとにかく贅沢だなあと思うのです。芸術監督が毎シーズンのテーマを決めて、それにふさわしい作品を世界中から探して、スタッフ、キャストを集めて…。舞台装置も斬新かつオシャレで毎回客席に座るたびに(上質~!)って思います。そして内容も、エンタメでありながら見たあとに何か心にひっかかるような後味があり、人物がリアルな手触りで描かれている作品が多いです。新国立劇場の制作した演劇で、これはハズレたっていうものは少ないと思います。
今回観劇した「テーバイ」は、いつ上演するかを決めずに(!)ワークショップ形式で制作された舞台という商業演劇界にとって贅沢の極、まさに新国立劇場にしかできない、日本の演劇の水準を上げるプロジェクトの成果です。テーマがギリシャ悲劇なので、難しいかなぁ、眠くなるかなぁと思っていたのですが、すごくわかりやすくて面白かったです。王の執務室にいろんな人が出たり入ったりする舞台装置や、椅子を出演者が自分で動かしていくスタイルがワークショップぽいなと思いました。脚本演出の船岩祐太さん、これからますます活躍されそうな予感です。
一幕ではオイディプス王の呪われた運命を描き、二幕ではその子供たちのこれまた悲劇的な人生を描いています。この物語の中では「神託」が絶対に正しいというルールがあります。神託を人々に伝える盲目の預言者が出てきて、彼の言うことは100%正しいのですが、信じたくないような酷い神託ばっかりなので聞いた人は受け入れられなくて「そんなのウソだ!金をもらってるんだろ!」と言います。でもほんとなんです(涙)
オイディプスはつらすぎる神託が当たっていたのを知って自分の目をつぶすのですが、そこからのオイディプスはちょっと神がかっているというか、普通の人間ではなくなります。目が見えないというのは何か神聖な存在になることを表しているのでしょうか…。
私が特に印象に残ったのは二幕です。車いすに乗った盲目のオイディプスを娘のアンティゴネが介護しながら旅をしています。ちょっとでもアンティゴネが自分の側を離れると、オイディプスは「アンティゴネ!手を!」って言って自分の手を握らせます。もうね、これが本当にウザいんです!(笑)いるよねこういうワガママおじいさん…って思いました。家族の中でアンティゴネが貧乏くじを引いているというか、いつだって優しくて責任感のある人が面倒を押し付けられて自由を奪われるんだなぁというやるせない気持ちになってしまいました。
でもアンティゴネに同情できたのはそこまで。アンティゴネが悪いわけじゃなくて私が個人的に男のために我を忘れる女が嫌いっていう理由ですけれども。兄のポリュネイケスが出てくるとなんかやけに嬉しそうなんですよね…プレゼントを手にしたときの思い入れとか…。いや兄妹でしょ、ってツッコミたくなりました。もうひとりの兄エテオクレスに会ったときとは声の感じが違う。法で禁じられたポリュネイケスの埋葬をしようとして、妹のイスメネに思いとどまるよう説得されたときも、家族を失いたくない妹の必死の訴え(それもすごく合理的)を真っ向から否定します。本当に家族思いだったら、残される妹のことを第一に考えるはずじゃないでしょうか?アンティゴネがポリュネイケスの埋葬にこだわるのは、家族愛とかじゃなくて、それがほかならぬポリュネイケスの遺体だったからではないかと思ってしまいます。「私はずっと自分の人生を生きることを我慢してきたんだから、最後の命の使い道くらい好きにさせてもらう」って感じがしました。この解釈は間違っているかもしれません。でも私が見てそう思ったので書きとどめておきます。
俳優さんについて。
クレオン役の植本純米さんが元花組芝居の植本潤さんだということに見終わるまで気が付きませんでした(爆)改名されていたんですね…。昔花組芝居が好きでよく見ていたので植本さんにはすっかり奇矯な役柄のイメージがついちゃっていました(汗)クレオンは龍の牙から生まれた凡人といいますか、一幕のちょっと控えめな感じから二幕の無理しちゃってる感じまで幅広く、でも一貫性をもって一人の人間を演じられていてとても素敵でした。
オイディプス役の今井朋彦さんは登場の瞬間から良く通る声のインパクトがあって、一般の人はこういう話し方絶対しないよな、演劇を見ているな~という実感がわきます。でもその雰囲気はオイディプスが王として精彩を放っているときだけで、そこからどん底に突き落とされ、盲目になり、車いすに乗ってみずから生贄になり…と年齢や境遇が変化するにつれどんどん引き込まれていきました。
イオカステ役の池田有希子さんはずっしりした存在感で大きなドレスにも負けてない大女優でした。死に方が…独特…。