上機嫌の価値
「宙」は、人間の「先生」と一緒に暮らす猫である。風邪で寝ていた「先生」が自分のために食事を作ってくれるのを見て、「猫は役に立たないね」という。
自分は基本的には毎日わりと機嫌良く暮らしている方だと思う。それでも、一緒にいる人の機嫌にひきずられて不機嫌になることはある。それが好きな相手で、不機嫌の原因が自分なのではないか、と思いでもしたら気が気ではない。おどおどしたり暗くなったりすることもある。逆に、好きな人が自分と一緒にいる時ご機嫌で、つられて自分も、という時はうれしくて仕方がない。ある人にその話をしたら、「相手がご機嫌だから私もご機嫌」ではなく「私がご機嫌だから相手もご機嫌」という世界観を持つといい、と言われた。大切なことを言われたと感じたが、意味するところはよくわからなかった。
しかし「先生」が猫にわかるように(!)やさしく説明してくれたおかげで、誰かと一緒にいる時機嫌よくしていれば、相手は存在価値を認められた気になる、ということがわかった。それなら、「相手の上機嫌を見て、自分の存在を認めてもらった気になる」よりも、「自分の上機嫌を見せて、自分が相手の存在を認めてあげる」方が、相手にとってはうれしいだろう。
この「上機嫌」の大切さを、手を変え品を変え説いておられるのが田辺聖子さんだ。対談集にもたとえば
とある。そりゃあ相手が不機嫌だったら辛いよね、とわかったつもりでいたのだが、それだけの話ではなかったようだ。
情けは人のためならず、上機嫌は自分のためならず。 (2019.1→2024改)