人間には、我を忘れる時間が必要です
『粗食のすすめ』シリーズのシンプルな料理が好きだったので、食べ物に関する情報を期待して読んだのだが、食べ物の話より「人間には・・」の一文が印象に残った。筆者はブータン旅行をきっかけに、酒・タバコ・甘い物、は「我の忘れ方」としては比較的穏やかなもので、無理に禁じる必要はない、と考えるようになったという。それまでは「多くの人々が酒やタバコや甘い物に走ってしまうのは、社会全体があまりに近代化されすぎたことで、自然から切り離された人間たちが、心の空虚さを埋めようとしているのではないか」(同書)と考えていた。しかしほとんど近代化が進んでおらずテレビもないブータンに行き、農家に寝泊まりしてみると、そこでは濁り酒が造られており、子供たちは噛みタバコを嗜み、おじさんたちは輪になってギャンブルをしていたのである。その上夜這いの風習もあるという。「これはもう、なにかで我を忘れようとするのは人間にとって必然的なことだとしか思えません」(同書)。なかなか衝撃的な話である。
もちろん一番よいのは「酒・タバコ・甘い物」以外に我を忘れて夢中になれるものがあることだろうが、それにしても程度が問題である。通常推奨されるものも、程度が過ぎると、仕事中毒、恋愛中毒、などと言われて非難される。
あるいは、ある程度の年になると、何かに夢中になることが難しくなるとも言われる。石井ゆかりさんの『美人の条件』に次のような話がある。
我を忘れる時間の作り方を知っているということは、おそらくそれだけでとても幸せなことなのだ。 (2017.2)
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