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アドバイスはほどほどに

実はいいアドバイスを持っている方ほど、「伝えすぎ」の傾向があります。アドバイスを聞く側はすでにその日のアドバイスの許容量を超えているのに、伝える側は、おいしいからもっと食べさせたいと思ってしまうような場合です。 (中略)一方、腹八分を意識して伝達量を調整すると、満腹にならない人も出てきます。アドバイスに自信があるという方は、ここで初めてアドバイスを追加すればいいでしょう。

藤井貴彦『伝わる仕組み』

「アドバイスは出し惜しみするくらいで」という章の一節である。見出しに違和感を覚えたが、読んで納得した。自分も伝えすぎる傾向がある。

藤井さんによれば、アドバイスを短くすると、終わった時にほっとした表情を浮かべる、そそくさと帰り支度を始める、といった態度から、相手のスタンス(自分のアドバイスを聞きたくない、その問題には興味がない、等)を知ることもできるという。たしかに、「(この件については)アドバイスいらん」「この人からアドバイスされたくない」という場面は確実に存在する。

目の前の人が困っていることに対してヒントになりそうなことを知っていれば、何か言ってあげたくなる。でもその「何か」、相手は知っているかもしれないし、試したことがあるかもしれない。その前に、この人にはアドバイスされたくない、と思われているかもしれない。

「相手の知らぬことをいうときは、羞じらいをもっていうべき」(田辺聖子『上機嫌な言葉366日』)ともいう。相手の知らないことをいう、とは教えるということでもあり、そのつもりはなくても一瞬優位に立つことになる。えらそうだと感じさせるのは本意ではない。実は知りたくない、もしくは聞くにしても自分からは聞きたくないことである可能性もあり、慎重にならざるを得ない。しかし、これがアドバイスとなると、相手のためという大義名分の前に羞じらいが形を潜めるのはどうしたことか。

何年も前、男友達にアドバイスをして硬い顔をされたことがある。後になって、差し出がましいことを言ったかな、と思ったが、その時は、困ってるっていうから教えてあげたのに、という気持ちが先に立った。むっとするvs釈然としない、である。数年後、何かで「男にアドバイスをしない」という話を読み、その時のことを思い出していたたまれない気持ちになった。男の求めているのは共感であってアドバイスではない、らしい。 (2022.8→2025修)


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