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#21 おじいちゃんありがとう、んでばまた!

7月6日。
父からの電話で、祖父が亡くなったという知らせを受けた。

私はその日のうちに岩手へ帰り、
祖父に会いに行った。

岩手に着くと、思ったよりも人がたくさんいたので、
自分の感情よりも、周りの人の気持ちや、
喪主としてやる事べき事を沢山抱える父に対してアンテナが向き、
カラカラの状態で気を張っていたためか、
自分の気持ちについては、よく分からなくなっていた。

それでも、最期に祖父の顔を見ることができたり、久しぶりに、祖母や親戚と時間を過ごすことができ、帰ってよかったと思う。

そのとき、直後に試験を控えていたため、
火葬や葬儀には出ないことにして、
1泊だけして、私は群馬に戻った。

群馬に戻ってからの数週間、
正直気持ちを切り替えられていなかった。
中途半端なままでいて、弱気な自分もいた。

自分の言葉できちんと祖父とのことを語ってみて
大切な思い出たちに、そっと封を閉じようと思う。

祖父からもらったもの

祖父:「あなた誰?」
わたし:「え?知らないの?りゅうこうさんの宝孫だよ!」
祖父:「アホ!自分で言うな!笑」

ふざけて、ボケたフリをして、
誰?と聞いてくる祖父に対してこう答えるのが、
帰省した時や電話をした時の、
2人の中のお決まりのやり取りだった。

祖父との最後の会話は、4月末。
祖父の調子が悪くなってしまったとき。
心配して、電話をかけた。

その頃祖父は、精神状態がかなり不安定になり、
お決まりのやり取りも、出来るような状態ではなかった。
私は生まれて初めて、
泣いて辛そうな祖父の声を聞いた。
とてもショックだった。

祖父の精神状況が不安定な中、
気まぐれで一方的な連絡はよくないと思い、
その日以降、電話も、会うことも控えた。

そんな中、祖父との別れは突然だった。

祖父の調子が悪くなり、入院した時から、
こんな日が来るとはわかっていたし、
祖父の変化を少しずつ感じてはいたけど、
実際にその日を迎えた私は、
思ったよりも冷静ではいられなかった。

訃報を聞き、飛び乗った新幹線の中で、
ボロボロと涙が止まらなかった。

それだけ、祖父が私にしてきてくれたことは
自分にとって尊く大切なものであった。

私からみた祖父は、「The 昭和男」。
周りがなんと言おうとも、
ダメなものはダメ。こだわりが強い。
たとえ根拠が無かったとしても、
こうだ!と1度決めたら、必ず貫き通す人。

一方で、サービス精神旺盛なところもある。
周りの人へ対する奉仕の気持ちはものすごくて、自分の損得に関わらず、なんでもやってあげる人。
損してでも、やってあげる人。

昭和男なので、自分の意見は絶対に曲げないし、なんて説得しても聞く耳をもってはくれない。
でもそんな祖父が唯一、折れるのは祖母。

私は幼少期から祖父母の家で過ごす時間が多かったが、
2人はしょっちゅう言い合いをしていた。
ばーっと言い合いをしてヒートアップした時に、
先に折れるのは、なんといつも祖父の方だった。
「んだっか。」と言ってその場をおさめていた。

※※ なるほど!と思った私は、昔、『パパも夫婦喧嘩になったら、「んだっか。」でおさめてみたら?』と父に勧めてみた。しかし、父には、「無理!絶対無理!」と瞬時に両断されたので、私は、こりゃだめだ!と諦めた記憶がある(笑)

そんな人柄を持つ祖父には、
何か相談をしたり、
深い想いを打ち明けたことはない。笑
話していると、いつの間にかお互いふざけて、
祖母もそのやり取りを見て、
3人で笑い合う。
私は何より、その時間が好きだった。

色んな場所に連れてって貰ったり、
高い場所に登らされて怖い思いをさせられたり、
スリリングな遊びを教えて貰ったり、
時には亀の掃除をするかしないかで喧嘩をしたり、、

小さい頃からの数え切れない思い出の中で、
「豊かな感情」を私に教えてくれたのは
祖父なのかもしれない。

楽しくて大笑いするとか、
楽しませたいと思ってふざけるとか、
喧嘩して、怒ってカッとなるとか、
面白くなくて拗ねるとか、
そういう気持ちの表現の仕方は、
ぜんぶ祖父が教えてくれた。

頑張れ!と言われたこともないし、
褒められたこともない。
でも、何かの時に、お前これ分かるべ?できるべ?
と言われたときは、
祖父が私を誇らしげに言ってくれてる感じがして、
とっても嬉しかった。
たくさんの思い出を作ってくれた祖父に、
私はとても感謝をしている。

祖父と父

祖父のことを思うと同時に、
父のことを気にしていた。

両親2人ともの介護をしていた父が今、
どんな想いでいるのか、
正直全ては計り知れなかった。
異常な程に責任感の強い父は、
もしかしたら、
どこかで自分のことを責めているか、
自分の判断を悔いているかもしれない。

でも、私は、お疲れさまと伝えたい。
おじいちゃんを大好きだった人を代表して、
おつかれさま。ありがとうと伝えたい。

祖父のことを一番に想っていた祖母が、
祖父のことも、自分のことも、父に託し、
父はそれを全うしたのだから、

私はそれが全てだと思う。

***

先日、高橋家の新しいお墓が完成したと
父からLINEが送られてきた。

以前、
「お墓のデザインを考えてちょーだい!」
と、父に頼まれたので、
父と対話しながら、私が考えた。

お墓に刻む文字に、
「楚々」
という言葉を選んだ。

楚々は、清らかで奥ゆかしく美しい、
女性の美を表現するような言葉だ。

祖父母に対して思いを馳せると、
「感謝」「思いやり」といった印象があるが
2人は、意識して、わざと、
周りの人に奉仕している訳では無い。
それらを踏まえたときに、
この言葉がぴったりだなと思い、選んだ。

今度帰った時に、出来上がったお墓へ
行くのがたのしみである。

久しぶりに、祖父へ挨拶できるのが
とてもたのしみである。

おじいちゃん、ありがとう。
んでば、またね!

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