創作: 私は子供がほしいのか

アラサー女というのは非常にデリケートである。25歳~34歳をアラウンドサーティと表現するなら特に扱いに困られてしまうのが30過ぎてからなのは分かっているつもりだ。(本当は28歳が結婚適齢期だそうなので、30過ぎたらもはやデッドラインなのだ。)


世の中はと畜場の牛のごとくアラサー女をまくしたてて焦り散らかしてギロチン場へ追い立て回していく。女は自身の年齢に追いかけられて、先が曲がって見通しの悪い道を振り返る余裕もなく突き進んでいくだけ。


途中鼻先しか水面から出ないような深い水場を通り、長いたわしのロールで汚れを落とし、みんなが進んでいる方向へ一緒に進むうちに、首さえ動かすことができない固いフィットしまくる鉄格子にはめられてしまうのだ。


そして、と殺後は足場が真っ赤になるくらいたくさんの血を動脈からドビュドビュ吐き出しひっくり返されて次の工程へ移される。





これがアラサー女です!とのたまえば一気にアンチに袋叩きにもされそうであるが、女の若さとはこのようなものだと思う。と畜場は言い過ぎたがアラサーの期間というのはやれモテなくなっただの、お肌の曲がり角だの、年齢に合わせた新しい眉メイクだの、流行のファッションだの、答えがない先のない道を突き進まされていく。周りのみんながそうしているから。


行った先に(アラサー明けに)何が残るのか。

というか齢30も過ぎると誰からも相手にされなくなるのを肌で感じる。ギロチン後の牛のような「体だけ有る。頭から上は何もない。」というような虚無のようなお葬式のような空気感が漂いはじめる。いっちょ前に床は汚す。


汚れていく。


私の中のと殺場で何頭もいる私が何回も同じルートを通って、同じ行程を繰り返されてギロチン処理され食肉として加工されていく。


さて私は子供がほしいのだろうか?首から上のない今の自分が産んだ子なんぞがまともに育つのだろうか。

子供を産んでそれが娘だったとき私は同じ光景を娘で繰り返してしまうのだろう。

そして一番つらいのが今の私の想定は母がすでに私に強いているのではないかという疑念を拭えない所にある。誰もと畜場から抜け出す方法を教えてくれない。

あそこの柵が緩いからワンチャンガチれば抜けられるよくらいアラサーになる前に教えてくれてもいいのに。

私は自分に子供が(特に娘が)できた場合、どうやってルートから抜け出せるかをできるだけ教えられるのだろうか?今もどうやって抜け出せばいいのか分からないのに。



子供に関して自分から「絶対にほしい」と思ったことは無い。周りが持っているから私も持ちたい。その程度だと薄々気がついてきた。自分の体裁を保つために姑からつつかれないように。



周りが婚活してるから私も彼氏に高い金を出させて婚約指輪を買わせる。



周りより少しでも幸せを噛みしめたいから金をかけてこのコロナの中クラスター覚悟で結婚式を強行する。



ゴールはギロチンなのに皆と同じところへ向かいたいのである。


おそらく子供にも自分のルートを話してどうやってギロチン場へ進んだかその道のりだけをひた話すだけだろう。みんながそうしているから私もそうしたい。





この行程はアラサー後アラフォー、アラフィフと同じ世界を連綿と繰り返していくだけ。微妙に差は有れど永遠にここから抜け出す術を見いだせないうちに首に刃がかけられていくのである。











この記事は創作です。

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