一人のひとを愛するのってめちゃくちゃこわい
私の自己肯定感のこじらせのお話。
私には3年ほど恋人がいない
私にはかれこれ3年ほど恋人がいない
むしろ3年前の恋人も「自分は恋人関係を継続できるのか?」という問いに対する答えみたいなものだった(答えは「我慢すればいくらでも継続できるがメリットは感じない」だった)ので、私の人生において「何よりも大事なかけがえのない恋人」みたいな存在がいたことがない。
そもそも恋人というものに対して「何よりも大事な かけがえのない~」みたいな定義が必ずしも適応しなければならないわけではないということは頭でも認識しているが、どうにも持ったことがない存在についてはイメージが進行してしまってどうにもならない。
と、いうことが今現在わたしの大きなコンプレックスになりつつある(気がする)。
少しずつの、進歩
人と話すことがアホほど好きな私にとって、マッチングアプリは長年の趣味である。
ここ3年、いろいろな人と出会ったり、デートしたり、途中からはセックスする機会すらつくってきたことで、
少しずつ課題も解消されてきた。
例えば
・人に気を使いすぎてセックスが楽しめない
・恋愛/性愛市場において自分は評価されない存在だと思っている
・体型に対するひどすぎるコンプレックス
・「モテるオンナ」像に対するしがらみ
等である。
けれど、それでもやっぱり、「恋人をつくる」ということに対しては、いまもものすごく高いハードルと、謎の自信のなさがある。
そもそも「恋人」ってなんだ
あらゆる活動で重要なのは「軸」である。
それを私は知っている。
では、私の恋人づくりの軸はなんなのか、それが全くわからない。
この3年間で
・いろいろなところに出かけられるデート相手
・価値観のあるお話相手
・刺激をくれる相談相手
・セックスを楽しめる相手
・おうちでのんびりが楽しい相手
・おいしいお店を楽しく探せる相手
等々いろいろな素敵な人とは出会ってきた。
私は多趣味な方なので、友人関係でも「これをするならこの人」という相手がいる。
恋人(もどき)づくりの中でも、タイミングがあえば友人以外の複数の○○相手をつくり楽しむ生活はできるようになっていた。
私は一定の役割として彼(性別は限らないのだが)らを必要とし、
彼らもまた、私に何等かの役割を求めた。
もちろん何の役割も見いだせず一度だけお話をした相手は星の数ほどいたが、それは恋愛市場のお約束、と思ったので、
自分自身が選ばれないことで傷つくことはいつしか減ってきた。
大きな修羅場もなく、
大きく愛されることもなく、
おおむねそれぞれとの関係は良好だった。
が、私が「たったひとり」を求めていないように彼らも私を「たったひとり」に選んでくれることはなかった。
当たり前の話なのだが、なかった。
セフレを好きになった
そんな中で何人かを「好き」なような気がしたことはある。
居心地が良すぎて、セックスが楽しすぎて、話しはじめるとキリがなくて、理由は大体上記の3つあたりが多かったような気がする。
そしてこれが当てはまる人の希少価値についても私はわかっていた。
気遣い屋で多趣味でそこそこ頭の回転がはやい自分が「楽しい」と思う相手は非常にレアであると。
その希少価値も相まって余計に「好き」なような気持ちが高まるものの、
入り口の扱いや、自分自身ほかの「役割」の人達を失うことにもったいなさが出てしまって、やはり「唯一無二の恋人」にもいまいち踏み切れない。
とまあ、悩みまくってドツボにはまりつつある、3年目。
セックスを楽しめるようになったのは進歩なのだが、
セックスを先にしてしまうことはどうもこの市場と、私のニーズとはミスマッチなようで、またそれも悩ましい。
たまに、酔いすぎてさみしさをこじらせすぎて
「たった一人になりたい」と「特別になりたい」と泣くことがあるけれど、
冷静なもう一人の自分は「自分がやってないことが人から帰ってくるもんか」とつぶやく、そんな夜もある。
脳みそではいろいろとわかっているんだけれど、
あと世の中の恋愛至上主義と、結婚というある種の「ゴール」に洗脳されるとどうしても私は「たった一人」を求めたくなってしまう。
自分はそんな一人に気持ちを全部乗っけるようなこと、こわくてできないのに。
たった一人、なんて今も昔もいないのに、それをつくってしまって、ある日突然失うことがいまのうちから怖いんだから、できるわけないのに。
それでも、今日も私はたった一人候補を求めてマッチングアプリを開き、候補者を並べて悦に浸ることしかできないのかもしれない。
そんな自分が楽しいからこじらせた人間はどうにもならんのだよね。
救いがない。
はやくこの文章を読み返して恥ずかしくなりたい。
あーあ。しがらんでるね。