推しの朝ドラ出演楽しみにしていたらオネエキャラだった件について
どうも志賀です。
コロナしんどいですね。しんどいって言葉じゃ足りないくらいしんどいですね。
いろいろと書きかけの記事があったりして、上げよう上げようと思っていたのに、今日は掲題の件を吐き出したいと思っています。うだうだ書いたら5000字だよあほか。推しの朝ドラ楽しみにしていたらオネエキャラだった件について。もうこれは発信でもなんでもなく吐き出しです。
数週間後に「登場は奇抜だったけど結果的に良く描かれていてよかったあ」って笑っていたくて書いています。
推し
私は推しの事を推しと表現していますが、推しはイデアなんです、私にとって。10年来の推しで私のイデアで、それはもう売れるときも沈んでいるときも推してきた推しなんです。役者でミュージカル俳優で歌手で、トークは昔よりはうまくなったけどずっとふわふわマイペースなところがあって、頭がとりたてていいタイプではないけど深く考えているところとか真面目さ実直さがあって、スッキリした見た目に反してかっこつけじゃなく、自己評価が常にあんまり高くない、すでに持っていることよりも自分の足りないところを常にみている、ストレングスファインダーしたら回復思考が上位に入ってきそうな、そういうところが素敵な推しです。
推しは10代で上京してから、某テーマパークのダンサー、2.5次元ミュージカル、若手俳優が通るよくわからんB級映画とか、ドラマのちょい役とかを経て(もう一人の大好きな人本郷奏多と共演とかしてうれしかった)、東宝ミュージカルの名作に出させていただく機会を得て、そこからテレビドラマにも取り扱われるようになって、ZIP!とかまでやるようになったんです。その推しの弛まぬ努力と成長にいつも私は励まされていて、数年前の公演の映像を見ては、これ○年前?○年でこんなに人って変わるんだ!とか、〇年前はまさかこの作品に出られるとは思っていなかったなあと推しの成長を親のように喜ぶそれはそれは気持ちの悪いファンのひとりなのでした。
NHKの朝ドラ
そんな、イデアであり、我が子のようでもある推し。そんな推しの出世を今年改めて感じた機会が、そう、朝ドラでした。NHKの朝ドラです。出演が決まったときどれほど驚いたことか。そして楽しみにしたことか!今日が待ちに待ったその初登場回でした。
朝ドラって、大河と並んで俳優の中では一個大きな節目として扱われることも多くて。特に田舎の家族とかおばあちゃんとかが喜ぶぞとか言ってね、小さな舞台とかを抜けてテレビメディアにでる若手俳優にはあこがれの場所みたいなところがありました。特に推しがこれまで通ってきた道を考えると地上波で、日本中に朝推しの姿が流れるなんて本当にうれしいような悲しいような我が子を見守るような気持ちで本当に楽しみにしておりました。
初登場前から少し不思議なキャラクターとして扱われていた推しの役どころは果たしていったいどうなのか…(いい役どころで好感度上がってくれでもそれで人気になりすぎたらさらに推しが遠い存在になってチケットの倍率g)そう思っていたのですが まさかのオネエキャラでした。
オネエキャラ
正直オネエキャラという言葉自体私はあんまり好きではありません。「オネエ」という言葉自体定義があいまいで、職業として女装をし、辛口トークで場を盛り上げるゲイ(男性同性愛)アイデンティティの方から、それと混同されがちな、出生時の戸籍が男性であるが女性自認で女性的な表象をして生きることを望むMtFトランスジェンダーの方、はたまた職業として「面白いから」そういった装いをするシスジェンダーヘテロセクシュアル(自認と体が一致しており、異性が好きな男性)までいたりするので、そのあたりを混同した表現から、リアルで存在するゲイやトランスジェンダーの当事者の方に間違った悪い印象(ステレオタイプ)を植え付ける原因となっていることも少なくないからです。
そのため、現にお仕事としてオネエキャラをされていらっしゃる方々はともかくとして、映像作品で安易にそういったキャラクターが用いられることを私はかなり懸念しています。
LGBTQの映像作品の中での扱いもまともになってきた昨今、NHKのドラマ内でもさまざまなセクシュアリティの方が役として出てくることも増えてきました。
そんな中、今日朝ドラで初登場をした推しの役どころは女性的な口調で独特の世界観を放つ、まぎれもない「笑いどころ」の「オネエ」だったのです。
トランスジェンダーなのか、同性愛者なのか、
トランスジェンダーで同性愛者なのか
そんな中公開されてしまったのが、推しのインタビュー記事でした。おそらく本日の初登場に合わせて世間が「何このイケメン?」「誰?」と検索しだすのに合わせて各社一斉に記事を出すのです。これにより推しの知名度は向上しファンは増大です。わくわく、といったはずのものでした。
記事を漁るより前に私のアカウントに流れてきたのは堀先生のツイートでした。
”トランスジェンダーの声楽講師役”
”御手洗はトランスジェンダーなので、演じる時には“同性が好き”ということを誇張しすぎないように意識しました”
これ、燃えちゃうやつやん…。
まあ燃える燃えない以前に「よくわかってないなこの人」というのが感想でした。本人発言の「トランスジェンダー(戸籍性と性自認が異なる)」と「同性が好き」この場合の同性が何か(男性なのか女性なのか)もいまいちわからない、トランスジェンダーで同性愛の役(もちろんそういった方もいらっしゃるのだが)なのか、トランスジェンダーの「オネエキャラ」なのか、なんなのか、はたまた「同性が好き」な「オネエキャラ」なのか…。
少なくとも、このインタビュー記事、そして本日初登場の「先生ではなくミュージックティーチャーと呼びなさい!」と言い放つ奇抜なセリフやキャラクター性からはまだ、推しの演じる役どころのセクシュアリティは一切不明というのが感想だ。
なんでこんな記事でちゃうのよ
ひとつだけ言えることは、この発言をしてしまう役者も、この発言を記事にしてしまうインタビュアーも、この記事をリリースしたインタビュアーの上司も、この記事をチェックしたであろう製作陣もしくは役者の事務所の人間も、だーれもこのよくわからない発言に「おかしい」と思わなかったということだ。
急ぎのニュース記事でもないし、少なくとも事務所のチェックは入っているはずだが。まあ芸能事務所の方々にセクシュアリティの知識を期待するのもまあ違うかなと思うし、キャラクターとのずれのなさと写真うつりくらいしか気にしないのかな。
いずれにせよ、こういった記事をリリース前に見た人、誰かひとりでもおかしいなって思ってくれていたらよかったのに、と思わざるをえない。
が、根っこは記事が問題というわけではないと思う。
演じている役者が役のセクシュアリティをわかっていない、と少なくともこの記事からは伝わってしまうということだ。
こんなことを書くのはすんごく心ぐるしい。言葉としてよくわかっていないだけど、きっとわかったうえで演技をしているはずだとは思う。そう思いたい。
だって推しは自ら命を絶つ役を演じたとき半年以上プライベートですら暗くなりすぎてしまったり、日々役のことを考えて生きているそんなような人なのだ。本当に。だから、彼なりに役についてはきちんと飲み込むところまでしているはずだ。
だから彼に、脚本家が、演出家が、どのような表現で役を説明し、何を彼に求めたかの方が本当は気になる。養護したい立場だからこそ余計にそう思う。
記事には以下のような言葉もある。
”昔はたくさんつらい経験をしていて、たくさんのエールをもらってきているからこそ、今の御手洗がいると思います”
初登場シーンが「お笑い」「インパクト重視」だっただけで、徐々に役の深見が描かれることは長期ものの漫画なりドラマなりではよくあることかもしれない。
今後、丁寧な表現にシフトする可能性については期待をしたい。
物語の中の「オネエキャラ」「ゲイキャラ」
推しは過去にも「オネエキャラ」を演じたことがある。典型的な「ヒロインの友人」のゲイという立ちどころだが、私はそのキャラクターは好きだった。
今回も、演じる役は「ヒロインの声楽講師」だ。「オネエキャラ」の先生(ティーチャー)が、ヒロインのよき理解者や、つまずいたときのピリリと厳しいセリフを言う存在として機能するのであれば、少し陳腐すぎるという感想も否めない。
ちなみに朝ドラでは過去にも志尊淳がゲイ役で出演はしていた。全国のお茶の間には衝撃的だったかもしれないが、やはり「暗い過去を持つから深いことを言える」的な立ち位置であった。
LGBTQ(といってもどうしてもゲイ、もしくはトランスジェンダーに偏りがちだが)のキャラクターがメディアに出てくるということは大変喜ばしくはあるのだが、描く側はそれなりの知識とその映像が招く今後の社会への影響は意識してほしいなあとどうしても思ってしまう。
前は一人のLGBTQALLYとして、これをカミングアウトしていない家族とみる当事者が傷つかないように、という目線でいたのだが、
今回はそれを演じさせられる役者のファンとしても思っているところだ。
製作や役者に学ぶ機会を
役者はよっぽどえらい人でもない限り、役を選べない。それどころか、事務所にはよるが多くの芸能人は個人事業主扱いであったり、よっぽど売れるまではどんなに仕事が増えても固定給であったりという話も聞く。つまり芸能界はいろいろとよろしくないらしい。
ダンスや歌のレッスンは有料で受けられることもあっても、ポリティカルコレクトネスを含めた発言の訓練や、一般常識的な知識については得る機会がなかなかないだろう。もしかすると、事務所から見たときその部分は彼らの「商品価値」ではないのかもしれない。が、せめて現場でそういった役をやるなら周りも本人も学ぶ機会を持ってほしいなと思う。
今回推しが「オネエキャラ」としてお茶の間に現れて思い出したのは、映画「バイバイ、ヴァンプ!」のことだった。同性愛差別的な稚拙な映画だったが、役者陣は若手が中心で、内容に物を申せるような立場ではないことが容易に想像できた。
バイバイ、ヴァンプの騒動の時も、ラジオでも話したけど私はLGBTQイシューに物申す自分と、若手俳優ファンの自分とで悶々としていた。
圧倒的にその界隈は無知で、何も考えていないのだということを私は知っていたからだった。
まあ今回はそういったB級映画とはまた違う(バイバイ、ヴァンプはB級じゃないのかもしれないけど)、天下のNHKさんのことだからまた残念さがある。
何人かお会いしたことのある素敵なディレクターさんたちもいるが、まあ大きな会社なので、社内にもいろいろなスタンスがあるのだろうと思う。ただ、社内にちょっと手をのばせば情報があるのなら、集めて欲しいし、せっかく集めるのなら役者にも還元してほしいなあと思ったりもする。
終わりに
正直何がいいたいのかわかんなくなってきたから終わりにするけど、一言でいうと悲しい!んだよね。コロナのこんな中、推しを生で見る機会もなく(2020年のエリザ20周年どれだけ楽しみにしていたと)、でも出世してくれたおかげで朝ドラで見られる!嬉しい!!!わくわく!!!だったわけです。
周囲にもうれしくて言いふらしたさ。日本中のお茶の間で朝から推しがみられるんですよ。そりゃあ嬉しいさ。
別にトランスジェンダーを演じることがあかんかったわけではまるでない。断じてない。ただ浅すぎる!その情報を放送まで出さなかったことって、何か理由があるんでしょ?と思ったりもする。
LGBTQを消費するネタに推しが消費されたらどうしようと今私は盛大にびびっている。どうかすべてが私の思い過ごしで、これから話しが思わぬ方向に進んで、推しの素晴らしい演技が際立って、「良い作品だったな」と思って終わってくれることを切に願っている。
推しのSNSに感想が書けないのがつらいんです。他のファンが、「面白かった!」「朝から笑っちゃいました!」とか書いているのを見るのもつらいんです。まあ奇抜なキャラクターだったから、笑ってあげるのは正解なんだと思うんだけど、だったらセクシュアリティにも言及せず、「古いオネエキャラ演じさせられたな」で終わってくれてもよかったのに……はあ……。
過去推しの舞台にそれこそ性的指向と性自認ごっちゃのトランスジェンダーのような役が出てきたものがあったんですよ。もう 5年以上前かな。それも推しが珍しく主演で嬉しい舞台だった。でも脚本がそんな感じで残念で感想長々と書いて帰ってしまった。素直に推しにきゃっきゃ言いたいけど、言えないのはつらい。でもこれが悪いことだとは思っていない。
あ~でも何年も前の小さめの舞台でがっかりして書いた感想を、いまNHKの朝ドラに思っているってなんかすごく残念だな。世の中は進歩しているけど、まだまだな部分もたくさんあるなあ。
やっぱり私はお芝居や作品が好きで、物語はプラスにもマイナスにもものすごい力を持っていると思うんです。だからこそ、そのプライドを持ってつくられていってほしい。描かれていってほしいとおもいます。
ちなみにアメリカだとGLAAD(LGBTQ関連のメディアモニタリングをしている団体)がセレブにそういった研修とかしているみたい。すごい(で済ませたらいかん)。
そういったところにも切り口入れていきたいなあと思うだけの志賀なのでした。
頼むよ~~~~~推し!!!!!!