モジユメな土日[後編] 講師:実川れお
モジユメの1日は、毎年会場にいる全員が自分を語るところから始まる。
この「自己紹介タイム」は受講生一人ひとりの言葉を皆で共有する大切な時間。今年も例年通り、受講生同士が共通の趣味を持つ参加者を見つけるたび、拍手を送ったり同調の意味の少しオーバーな頷きをしたり歓喜の雄叫びを上げたりと温かな雰囲気に包まれていて安堵。この雰囲気に浸かれることが講師としての幸せのひとつ。今年は特に、数人のリピーター(複数年参加の受講生)の成長に驚かされもした。たった1年ですっかり大人びてしまう不思議。中高生にとっての1年がどれほど大きく貴重なものかをまざまざと見せつけられた思い。それもこの時間の醍醐味だと感じるようになったのは、自分が年齢を重ねた証拠だと思う。
講師の自分にとっての大仕事であるトークショー。物語や小説は「何を書いたらいいのか」「どうやって書いたらいいのか」をできるだけシンプル且つコンパクトに伝えることにした。今年はスクリーン脇の席に座ったまま講義を行った。立っているのがしんどかったわけではなく、受講生と目線を合わせて語りたかったからだ。この数年はスライドを使って話をするようにしている。聴き手にとっては講義資料のひとつになるが、語る側にとっては台本代わりとなる。できるだけブレないように、語りたかったことを忘れないようにするための一工夫。もちろん、スライドを読み上げるだけにはならないように随所で力を抜いたり、少しだけずらしたりすることも忘れずに。「ホンマでっか」とか「ザワつく」なんて言葉を挟んだりするのが実川流だと勝手に思っている。予定調和をできるだけ求めないようにし続けるのがこれからも自分のモットーだ。
続く吉野せいと吉野せい賞を伝える時間「SEI TIME」は、昨年に引き続き前年の吉野せい賞で青少年特別賞を受賞した受講生2名に登壇してもらい、受賞作執筆にまつわる話をインタビューさせてもらった。2人とも昨年のモジユメ受講後のわずか3日で作品を書き上げ(令和5年度の吉野せい賞の〆切はモジユメの3日後だった)応募したというから驚きだ。吉野せい賞への応募を決めたのもモジユメ受講がきっかけだったとのこと。2人の受賞はもちろん嬉しいが、何より嬉しかったのが、受賞者の2人が今年のモジユメで隣同士の席に座って笑顔で語り合っていたことだった(モジユメ会場の座席は自由席)。創作者同士の縁が繋がり続いていくことが吉野せいさんも喜んでくれることだと思う。
ランチタイムは15周年とあり企画を盛り込み過ぎた。それでも、モジユメを大事に思い続けてくださっている人々が集い、それぞれに熱いメッセージを受講生たちに送ってくださった。ゲストのうち講師とのトークセッションのトップバッターとなった朝来縷々さんはモジユメ2010の受講生。現役大学院生作家として昨秋自著を出版。重版出来が続いている。作品は新聞でも取り上げられるほどだが、朝来さん本人が人前で作品について語るのは初めての経験とのこと。しかし、初めてとは思えぬほど軽妙な語り口調で作品について、延いては創作について受講生たちに語ってくれた。いつかの受講生が志を果たしモジユメに里帰りしてくれる幸せを感じた。続く文学館紹介の時間、今年は3名の学芸員さんが登壇してくださった。ランチタイムに市内2つの文学館の学芸員さんたちが、各館の紹介をしてくださるようになり今年で2年目だが、年々パワーアップしてくださっていることも喜びのひとつ。今年は「学芸員」という仕事についてわかりやすい資料を作成してくださり、会場に展示してくださるというサプライズな演出も。現役の学芸員さんと直接話せる機会など中高生の頃の自分にはなかった。縁を作るのが自分の役割。この日がきっかけで学芸員という職に就く人が出ることだってありえるかもしれないと思うとわくわくする。この日はイラストレーターのこぼりまさこさんにも3年ぶりにモジユメ会場にお越しいただき、文学館の紹介に続く形で、まっすぐな言葉で受講生たちに自身の想いをお話しいただいた。こぼりさんとのアートワークも気づけば5年目。この間、こぼりさんはモジユメとは全く関係なく文学館とのコラボレーションのお仕事も行っている。文学館、こぼりさん、モジユメ。不思議な縁で結ばれ繋がり続ける三者が一堂に会し若い世代にメッセージを送り創作をサポートする。講師になりたての頃の自分がいつか実現したいと考えていた、いわき市内の文化とモジユメとの「連携」の夢が叶った瞬間だった。
ランチタイムの最後に集合写真を撮ったら、お楽しみのワークショップの時間。この時間、司会進行はスタッフたちにバトンタッチ。講師はしばしの休憩時間となる。控室にお弁当が用意されているのだけれど、やっぱり自分は会場の空気を感じていたくて、舞台袖に運び開講前に座っていた椅子に腰かけて味わった。壁の向こうから、アイスブレイクや感想交換の時間を楽しむ声が聞こえてくる。遠くから、モジユメを感じてみる時間。突拍子もない受講生の発言に吹き出したり、スタッフのナイスな切り返しに驚嘆したり。一人せわしなくリアクションしている姿は誰も知らない。食事を終えるとのこのこ会場に参上して、あちこちのグループを覗きに回る。スゴロク★ストーリー。準備期間中、スタッフたちが講師にあれこれ茶々を入れられながらもめげずに一生懸命ブラッシュアップし仕上げた新企画だ。スタッフたちの表情を見ればその手ごたえは明白だった。もちろん受講生たちの盛り上がりは例年以上。最高に素敵だ。さまざまな性格の手書きの文字が、テーブルの上のそこここを埋めている。スマホやタブレット端末が整えてくれる机の上とは一味違う、紙に筆記用具が重なる取っ散らかった景色がモジユメにはまだある。受講生は前のめりになったりのけ反ったりしてアイデアをひねり出している。それを優しく介助するスタッフたち。かつて、そして今なお同じようにひねり出し続けている先輩たちだからこそなせる技だ。受講生たちが安心できるのは、この先輩たちに見守られているからだと確信している。
16時。モジユメの司会進行役が再び自分に戻ってくるが、それはつまりおわりのはじまりを意味する。講座の要旨をおさらいした上で、1日を通して伝えたかった思いやアドバイスをまとめ、伝える。すべてを語り終えたら、この講座の運営に携わってくれた人物のうちその日会場に集った人々を呼び寄せ、皆でステージに並んで受講生たちと向き合う。バンドのメンバー紹介さながらに一人ひとりを改めて紹介し、各々感謝を伝えつつ別れを惜しむ。会場が暗転し、エンディングの動画が流れ始める。温かなBGMが、15周年の今年はことのほかせつない。動画の最後の最後に、昼に撮りたての集合写真が組み込まれ映し出される。動画の展開は知っていても、やっぱり万感こもごもいたる。
今年のテーマは「セレンディピティ~偶然から生まれる物語~」。端的にいえば「偶然」そのものがテーマだった。「偶然」という言葉をテーマにしようと思いついたのは、2024年の年明けすぐの頃だった。15周年という節目の年を象徴する言葉を選びたいと以前から思っていたのだけれど、なかなかうまい言葉が浮かばずにいるうちに年が明けてしまった。チラシのイラストも依頼しなければならないギリギリのタイミングになって、改めて講座が始まってからの15年を振り返り、さらには講師を引き受けることになった頃のことを思い返していて、ふと、様々な場面で「偶然」な出来事や出会いがあったことに気がついた。それで、その言葉がテーマとしてふさわしいと確信したのだった。昨年が「編集部」、一昨年が「まつり」、その前が「クリスマス」と、このところ具象的なテーマが続いていたこともあり、今回は敢えて抽象的なテーマに挑戦してみたいという思いもあった。
「セレンディピティ」という言葉はもとから知識としてあったわけではなく、今回「偶然」という言葉を検索していて、まさに偶然にたどり着いた言葉だった。小説家による造語だったということにも、何か運命を感じた。
講座の最中は「セレンディピティ」を感じる出来事が至るところで起こっていた。受講生同士が初対面にも関わらず、すぐに打ち解け笑顔で語り合っていたことはもちろんのこと、身内と縁のある人物と図らずも会場で巡り合えたという子もいた。午後になってから会場のエアコンが故障してしまい、急遽大型の扇風機が運び込まれるというハプニングが発生したのも、講師の自分と古参のスタッフにとっては「偶然」を感じずにはいられない出来事だった。2017年のモジユメで、同様の事態が発生していたからだ。このエアコンが故障した回は「伝説の回」として当時を知るスタッフたちの間で語り草になっていたのだが、15周年の節目の年にそれを彷彿とさせるエピソードが生まれてしまうとは、奇妙な巡り合わせとしか思えなかった。しかし、エアコンに代わり会場に設置された扇風機は、閉講後に偶然功を奏すことになる。部活のイベントのため、やむなく参加を見送ることになってしまった受講申込者の高校生1人が、撤収作業の進む会場に顔を見せてくれるという嬉しい出来事があったのだが、このとき彼女を涼ませてくれたのが例の扇風機だった。扇風機の前に椅子を置いて、少しの時間話ができたことは「セレンディピティ」のひとつだったと感謝している。
モジユメな土日はこうして今年も幕を下ろした。モジユメ色に染まっていた会場は、魔法が解けて元の「生涯学習プラザの大会議室」に戻る。半年もの間、モジユメ探しの旅を一緒に続けてくれたスタッフたちもそれぞれの暮らしに散っていく。自分の頭の中にしかなかった世界が、共に歩んでくれる人々の頭の中に言葉になって届き、形となってこの世に姿を現し、賑やかな時となり音となって流れ、一瞬で消え去っていった。七夕のように年に一度、夏の季節に舞い戻り巡り合うことのできる蜃気楼。今年のモジユメもまた、自分にとってまぎれもなくセレンディピティだった。
モジユメな土日。土日は「土の日」とも読める。土と文学に生き続けた吉野せいの魂を引き継ぎ、若い文学の畑を耕すための2日間になっていればめでたしめでたし。
※たくさんの受講生の皆さん、そして全力で向き合ってくれたスタッフ、支えてくださった関係者の皆さんにこの場を借りて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!!