見出し画像

#モジ活 あの頃から今まで(始澤)

今も何かしらのモノを書いている。正直、何か特別な道具も使ってないし、書きたい衝動が起こったら、逆算して、どうしたら完成させられるだろうと、逆算してから書いているだけである。
では、文章を書き始めたのはいつからだろう? 

きっかけは高校時代だった。なかなか友達ができずにクラスで浮いてしまい、当時、逃避のように出版界でささやかなブームになるちょっと前のライトノベルを読むようになったことだった。その頃はまだライトノベルはかなりマイナーな方の趣味だった。前提としてアニメやゲームが市民権を得る少し前の時期で、思春期のアイデンティティとして胸を張って自分の『好き』を表明するには、社会的に不適合なタイプの人間が好むもののような危うさのようなものが残っていた。

自分自身その頃は、自己表現の仕方がわからず、他人がどうも苦手で軽い対人恐怖のような傾向があったと思うから、正直なところ的を射た表現だったのかもしれない。ただ、高校時代同年代と適切な人間関係を育むことができず、苦悩していた自分には、ライトノベルは、日常的な表現よりも高度な文章を取り扱っていて、不足している感情を補ってくれるものだった。

なにより、今じゃ当たり負けかもしれないが、その頃にはハードカバーを出す作家や、ライトノベルから一般文芸の大きな賞を取る作家も出てきており、急激に環境が変わる過渡期だった。そういう意味でも自分が背伸びできる感じのするメディアだった。自分の本棚の一つには、そんなライトノベルが、高校時代のまま置いてある一角がある

高校時代(2003-2005)に購入したライトノベルや本の一部

そんな、面白い文章に触れているうちに、何というか、自分でもかけそうな気がしたし、「小説を書いて、売れて、有名になることができれば何かが変わるかもしれない」そんな風に思っていた。今思うと、自分の外側にある他人や、社会のことが見えてない安直で単純な考えかもしれないが、それくらいしか、すがれる物もなかったともいえる。

正直言って、「どうしたら文章や小説が上手くなりますか、書けるようになりますか?」といわれると、単純に言って読んで書くしかないし、自己というものを確立し、自分で考え、見てきたものに対して、一般の人が感じていることのギャップを表現したり、周りにどう考えたのかを無駄なく伝えるスキルを上げるしかないと思っている。

それより大切なことは、

『あなたはどうして文章というメディアに引き寄せられたんですか?』

と、問いに答えることだと思う。きっと何か、惹かれるものがあったはずだ。それは、文章かもしれないし、本という物かもしれないし、文字かもしれない、もしくは文章を彩るデザインかもしれない。ささいななきっかけが、文章の世界に踏み入れるきっかけだってかまわないと思っている。

ただ何かしら、文章に惹かれるものを感じたから、書いている人は、いまだに文章に触れているのではないかな?

文章の書き方というのは、その中で効率的に表現することや、たくさんの作品の中で共通する『型』や文字記号の使い方を覚えるものであって、一番大切なのは、結局、自分が何を伝えたいか、文章の中の物語に『魂』をどうやって込めるかなのだ。と思う。

あっという間に、30代も中盤になってしまったが、大人(?)になった、自分の目からみた今の、物を書きたいと思うモジユメ受講生の世界は、自分たちとは違っていた部分もあれば、普遍的な部分もある。きっと似たような立場に置かれている人には響くものもあるかもしれないな。と思っている。

現在の本棚(一部)

いいなと思ったら応援しよう!