死刑について考えた。
市川市で猫6匹の惨殺死体が見つかり、ネットニュースやTwitterで話題になっています。
私もこのニュースについて、Twitterでコメントしました。
私は、これまで数多くの刑事事件を被疑者被告人の弁護人として、担当してきました。
被害者が亡くなった事件も数件担当しています。
死刑確定者の方から依頼を受けて、民事の事件を受けたこともありました。
依頼者の中には、既に死刑が執行された人もいます。
殺人を犯した加害者にも暮らしがあり、人格があります。
事件の後も手紙のやりとりが続くことがあり、そういった中で、その人たちの普通の部分にも触れたりします。
元々、死刑は冤罪だった場合に取り返しがつかない、殺人を禁じている国が殺人を起こすことの論理矛盾、執行に立ち会う刑務官らの精神的負担等々の理由から、私は反対でした。
そして、担当する被疑者被告人、死刑確定者とコミュニケーションを取る中で、彼らの人の部分に触れて、その思いは固くなりました。
ただ、私はどうしても、弱い者を有無を言わさず痛ぶる行為が心情的に許せません。
動物虐待、殺害はその最たるもの。
なので、法律家としての信念はあれど、心情的には死刑にしてやりたいわ!!と思うわけです。
この市川の事件の被疑者の弁護を頼まれても、私は受けられません。私の事務所の他の弁護士が受けることになっても、耐え難い気持ちになると思います。
私のこの件に関するツイートのリプやリツを見ると、死刑を認容する方がやはり日本は多いのだな、と改めて気づきました。
私は今まで、アムネスティからも非難される日本の死刑制度は国際的に非常に恥ずかしいもので、日本人の多くが死刑に賛成していることが今ひとつ理解できませんでした。
しかし、今回の市川の猫の件で、死刑を認容する人の気持ちがなんとなく理解できるような気がしました。
善良な市民としての素直な感情が吐露されているのだろうと思います。
私は今後も法律家としては、死刑に反対と言い続けるでしょう。
法律家としての視点から見ると、やはり死刑にはリスクがあり、論理矛盾は解消できないと思うからです。
ただ、死刑を認容する方達の気持ちに寄り添うことも大切なのだと思うようになりました。
私の死刑廃止論はこれから新たな展開を迎えそうです。