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【ラブライブ!】「蓮ノ空を推す」ということ

「2年生が卒業したら、自分も引退するかもな」

蓮ノ空を推すにあたり、今までの私はそう思っていた。

蓮ノ空はリアルタイムと連動するコンテンツである。時の流れが我々と全く同じなわけだが、そうなるといずれ来る「卒業」も視野に入れなければならない。サザエさん時空のように、「卒業は保留」とか「永遠に年を取らない」ということにはならないのだ(つい今日も、夕霧綴理ちゃんが誕生日を迎え17歳になったところ)。ある意味、わたしたちはこの問題から逃げてきたのかもしれないな。

そりゃ、卒業は悲しい。当人たちは今のところ微塵も考えないであろうが、観測者たる我々はもう怯えている。いずれ来る「終わり」を…。過剰に恐れるのは、μ'sのトラウマが残っているに違いない。
ピリオドがある。その一抹の悲しさを背負って応援しているのだから、推し方も本気でないわけがない。一時も気を抜けやしない。

それだけ熱を上げて応援できれば、彼女たちが卒業しても未練は残らないだろう。そして私も悔いなく、共に卒業できるだろうな、と…。
あと、私も歳なので2年生と同時に卒業するのがキリがいいと思ったりする。「そこまでは全力で推そう」という、期間限定みたいなやつである。

と、半ば投げやりに思っていたのだが、最近は心境に変化が起こっている。

「推し続けたい」と思うようになってきたのだ。

これはやはり、残された花帆ちゃんやさやかちゃん、瑠璃乃ちゃんを見捨てられないというのもある。彼女らを残して自分らが卒業?とは虫がいい話なのかもしれない。まあ、「在校生を残しておけん」とズルズルとジジイになるまで推すことにもなるかもしれない。

そうではなく……一番の理由は、蓮ノ空の伝統の目撃者となりたい、という思いである。

With×MEETSや活動記録を見ると、102期の話がちょこちょこ出てくる。また、「伝統曲」という概念があり、ユニットに属していた卒業生が書いた曲が残されている。
私たちが見ているのはイマ、そして未来なのだが、102期にもわたる伝統(過去)が残されているのだ。

それをもっと知りたい、見ていたいと思ってしまった。
この時、私は「あっ」と思った。「じゃあ推し続けるしかないじゃん」と。

我々はイマを見るとともに、「伝統」の1ページを覗いているのだ。
「伝統」をもっと知りたいと思った時点で、私は負けた。残念ながら過去のことは知りえないかもしれない。だが、これから知りたいのなら、今起こっている一瞬一瞬の「伝統」の1ページを観測し、また未来においても見続けていくべきだ。

そうすると、例えば今浴びている新規曲が数年後に「伝統曲」となって受け継がれたり、発掘されたりすることも起こりうる。そうなったら泣くな。間違いない。
そして、上のようなことが起きた時に私は当時を目撃した「伝統」の証人となるのだろう。多分。今からでも遅くないのだ。

103期だって、これからも歴史を刻む「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」の一部である。卒業したからといって終わるわけではない。まあ、3月を迎える我々の心理的ダメージは図りしれないと思うが……。

だから私は、104期、105期と追い続けたいと思う。103期ではなく、「蓮ノ空」の箱推しとしてよ。そして、彼女たちがいたということを、心に刻んでいくのだ。

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