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お盆のおきゃくさま

「去年さぁ、お盆にお客様が来たでしょ。」

夕食後に唐突に話した私の言葉に、彼は

「うん、クワのことだろ」

とまるで今まで考えていたように直ぐに応えた。

「もっと具体的に教えてくれなきゃね~」

「そんなの難しかったんじゃない(笑)」

次の会話でも、何を具体的に教えて欲しかったのか、説明の無い唐突な私の話の展開に、内容はしっかりと伝わり会話が成り立っていく。

その出来事は、会話の日の前年の8月のお盆のことだった。

うぉ!
バスルームから彼の驚く声が聞こえた。

頭に疑問符が付いたまま
「どうしたの?」
と私。
「いゃあ驚いたよ。」と言いながらシャワーの途中で出て来たその手には
クワガタがいた。

初めは、まさかクワガタだとは思わなくて驚いたらしい。
彼は、かなりの近視でいつも入浴する時は、裸眼だし、認識するまで時間がかかった。
因みに別のあの虫だとしても、全く怖がらない人ではあるのだけれど、バスルームで虫に遭遇することは無いので
思わず声が出たらしい。

クワガタは、コクワガタのオスだった。

我が家は東京都23区内の住宅地。

少し離れた公園やお寺一帯の自然公園には意外とクワガタも居るのかも知れないが家に入って来たのは初めてだった。

猛暑のバスルーム、空の浴槽で弱っていたところを発見された。
バスルームの窓は網戸の隙間もなく、どこから侵入したのか?

その時の私の感想は、久しぶりに見るクワガタの実物、可愛いなあ、だった。

受け取ったコクワはピクリとも動かなかった。

彼は、シャワーの続きのためにバスルームに戻っていった。

もう駄目かな?

私はすぐに新聞のチラシを折って四角い箱を作り、ひとまずコクワを入れた。

それから、コクワって何食べるんだっけ?
昔の記憶を高速で辿っていく。

スイカはないし…
キュウリがある!

冷蔵庫から急いでキュウリを出して
横に半分、それから縦に半分。
そのうち1つを箱に入れ、その上にそっとコクワを乗せた。

キュウリのサーフボートに乗ってるみたいなクワガタは、熱中症で動けないようだった。

そのままじっと見守ること数分…

まずは触覚が僅かに動いた。
やった、生きてる!

その後はぐんぐんキュウリの水分を吸い取っているのか、触覚を動かしながら
サーフボートに張り付いている。

クワ、生きてる?と彼がシャワーを終えてリビングにやって来た。

その日の彼は、仕事で会食があり、かなり酔っていた。
そのせいかなのか、「お盆に家に突然来るなんて、コイツおじいちゃんじゃないかな。」

「おじいちゃんだよ。」

「おじいちゃんが会いに来たんだよ。」確信したように言っていた。

彼のおじいちゃんが来るなら、旧歴のお盆の時のような気がするけど。
などと、東京で旧歴でお盆をする彼の実家を思い出して何故か真面目に心の中で突っ込みを入れる(笑)

「何かお知らせに来たのかな~」と私。

「仕事がんばれとか(笑)」
後は何かな?

その後は、2人でクワガタを眺めながらとりとめの無い会話をしたように思う。

「よし!結構元気になったみたい、公園に連れて行って放してあげよう」
私の提案に、
「もう、放しちゃうの。」と名残り惜しそうな声。

渋る彼とコクワを連れて、近くのクヌギの木がある公園に行った。

そっとコクワをおくと、お別れを惜しむ間もなく、さっきまでとは、別人のように驚くほど機敏な動きで去っていってしまった。

元気になってよかったね。
二人とも、温かい気持ちになりながら

テクテクと暑い夜を歩いて帰った。

それから半年後、突然の出来事だった。彼は酷い交通事故に遭ってしまう。

国道沿いの広い歩道を通行中に、暴走してきた車に猛スピードで跳ねられたのだ。

予期など出来ない一瞬の出来事。

過失は0。

それから半年、やっと元気になってきた彼との冒頭の会話に戻る。

やっぱりあのおきゃくさまはおじいちゃんだよ。交通事故に気をつけてのお知らせだったんだ。言葉の使い方は違うけれど文字通り虫の知らせ…
何だかんだと会話は続く…

九死に一生を得る。

その言葉のように生還してくれた彼。

お互い、口には出さないけれど、生きるとか死ぬとか、生かされるとか、いろいろなことを山ほど考え続けてきた事故からの半年。

何も考えたことに結論や答えがあるわけではなかった。

ただ今ふと思う。結婚してから26年が過ぎた。
こうやって、共有した日々の小さな小さな出来事がお互いの心をつくっている。

それが時には柔らかい若葉のようになり辛い出来事(辛い心)の周りをふわっと包んでくれる。

あの事故で彼が帰らぬ人になっていたら
あのおきゃくさまのことは私しか知らないことになる。それはただただ悲しい。

小さくても誰かと共有した優しい気持ちは、間違いなく心の中に救いの小さなタネを落としてくれている。

#エッセイ部門


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