【短編】 読了家族
我が家は「読了家族」。
本を読むことが私の家族全員の生きがいで、家族の一員で居続けるためには、毎日3冊の本や新聞、出版物を読み切らなければならないという、少し変わった「掟」のようなものがある。
まずは父。父は家族の中で一番速読が得意だ。
彼の特技は、新聞をサッと斜め読みするだけで、内容をすべて頭に叩き込むこと。
今朝も食卓でスポーツ紙を手に取り、パラリとめくって「ふむ、今日の試合は阪神が勝つな」と断言した。
実際に夕方のニュースを見ると、本当に阪神が勝っているから驚きだ。
だが、どうやら父は新聞の広告欄も同じように読んでしまうらしく、先日は「新発売のシャンプーが降水確率60%だな」と真顔で話していた。
これに対し家族は「ふーん、そうなの」となれた様子で軽くあしらうのが日課となっている。
次に母。母は小説が大好きで、特に推理小説を読むのが趣味だ。常に山積みのミステリーを片っ端から読破する。
だが、そのせいで最近、何でもかんでも「事件」と捉えるようになってしまった。
夕飯を作り終えると、必ず言う。「さて、犯人はこの中にいるわね…」と。そして家族を見回しながら、「このカレー、少しスパイスが多いわね。これは何かを隠そうとしている証拠よ」と真剣な表情で睨んでくる。
どうやら母は、誰かが何かを企み、スパイスを追加過剰投入したと思っているらしい。
社会人の兄は理系書を好む。特に化学、物理学分野に興味があり、日々、分厚い専門書を黙々と読みふけっている。
彼は常に「すべての現象には法則がある」と豪語している。先日、家の電球が切れたときも、「これはエントロピーの増大が原因だ」とか言い出した。
さらに「この家は量子もつれが起きている!」と叫びながら、玄関から出ようとしたが、靴紐が絡まって転んだ。量子力学を用いても足元の危険は回避できなかったらしい。
そして、大学生の僕はというと、なんでもかんでも読みたがる雑食系読書家だ。
絵本から哲学書、漫画から古典文学まで、何でも読む。最近は電子書籍が便利すぎて、紙の本をあまり読まなくなってしまった。
それでも家族の伝統を守らなければと、日々せっせとスマホやタブレット端末で読書している。
そんな我が家には、毎年「読了大賞」という家族行事がある。
家族全員がその年に読んだ本の数を競い合うのだ。優勝者には豪華な賞品が用意されている。
実は僕は一度も大賞を取った事がない。なぜなら、毎年後半無理な追い込み計画を立て、「読了」を意識しすぎる事も手伝って疲労が蓄積して読書中に必ず寝落ちするからだ。
家族からもナメられたもので、「今年もお前の大賞受賞はあり得ないな」などと言われている。
勿論家族でいるためのボーダーラインである「1日3冊」はクリアしているのだが、他のみんながケタ違いにスゴいのだ。
今年も大賞を決定する時期がやってきた。
リビングテーブルには積み上げられた本の山、新聞、雑誌、そして電子書籍の購読履歴をプリントアウトしたものが並び、家族全員が見つめるなかカウント係の兄が慎重かつ素早く読了冊数をカウントしていく。
「今年の読了大賞は・・・・父さん、母さん、俺が同率一位 !」
兄はそう告げ、僕以外の家族は安堵や喜びの表情とともに互いの健闘を称えあった。
「今年こそ大賞取るぞ」と意気込んで臨んだが、やはりこの人たちにはかなわない。いったい、どうやってそんな読書量をキープしているのか。
結局、僕はまたしても勝てず、根本的に読書との関わり方を見直さなければならないか?と思案する。
別に、ただの読書量対決じゃないか。どのくらい知識になったか、満足できたかの方が重要だろ。
そう自分に言い聞かせて、勝敗が決定した時点でもう読む気を無くした本を手に取り、せっかくだから最後まで読もうとページをめくったその時、
「なあ、大賞を取る方法、教えてやろうか」
兄がそう言ってコーヒーが淹れられたマグカップを2つ持ってきた。
「方法?そんなもの、あるの?」
いきなりの兄からの申し出に僕は驚いて聞き返す。
「あるさ。家族でお前だけがまだ知らない世界が」
知らない世界?なんだそりゃ。
僕にも流れる本好き一家の血の、知識欲がたちまち刺激される。
「いいか。ウチはな、明治初期から続く【読書道】の【耽想流】という流派で読書を嗜んでいるんだ」
え、何て?
僕は意味が分からず、アタマの中はグルグルと、思案に余る。
「耽想流は、まさに字のごとく【想いに耽る】ように読書する流派だ。まずはそれを体感するところからスタートしろ。」
翌週、家族に連れられて僕がやって来たのは、郊外の幹線道路を車で1時間ほど走って到着した、小さな谷戸の集落。
昭和期に建てられたと思われる瓦屋根の一軒家に、【読書道 耽想流】のトタン看板が何ともリアルな風情を醸している。
「こんにちは~」
父が挨拶とともに一軒家の玄関の引き戸を開ける。
「早速、連れてきました」
やあやあ、ようこそと迎えた人物こそ、耽想流 第6代家元の夏川 叶多だった。
40代とおぼしきその男性と対峙した瞬間、僕は「ああ、世の中にはこんな爽やかで、見た目だけで好感度を上げられる人っているんだな」と思った。
しかし、この男性からは読書家が持つ知的な雰囲気は正直あまり感じない。
そんな僕の反応を見透かしているかのように、兄が玄関から続く大きな部屋の6人がけテーブルの椅子を勧める。
着座した僕の正面に、夏川さんは座った。
「ようこそいらっしゃいました。耽想流の夏川です」
そう言いながら彼は懐から小さめの電子書籍リーダーを取り出し、少し画面を操作して、僕に見せる。
「あなたが最近読んだものは、この中にありますか?」
書籍一覧の中に、最近僕が読んだ【クリームベア、帰る】があったので、
「これですね」と指差した。
夏川は「ああ、これ、良いですよね」と言いながら、
ではこちらへどうぞ、と今居る大きな部屋の隣にある部屋へ案内した。
一歩踏み入った僕は驚いた。
ドアの向こうに、こんな空間が広がっていたとは。
円形の部屋。広さは15帖ぐらいだろうか、壁は一面に本棚。そしてその本棚は螺旋状に、頭上高くそびえ立っている。最上部に収納されている本が判別できないほどに高い。
「さあ、鍛練です。これらの書籍の【想い】に、そしてあなた自身の【想い】に耽ってください」
夏川はそう言い、椅子を一脚僕のところへ持ってきて勧めた。
椅子に腰かけると、何だか脳が、いや思考がパッと違うステージに移動したような、妙な感覚にとらわれた。思わず「あれ?」と声を漏らす。
「早速、耽想に入りましたね。さすがです」
夏川の言っていることは良く分からなかったが、とにかく不思議な気分だ。今なら、すごいスピードで本を読めそうな気がした。
「二十歳になったら、お前もここへ連れて来ようと決めていたんだ。鍛練部屋で耽想に入りやすいとはいえ、もしかして資質はお前が一番持っているんじゃないか」
後ろで様子を見ていた父が言う。もはや何を言っているんだこの人達は、訳がわからない。
と思いながらふと上まで続く、隙間なく書籍が収納されている本棚を見上げると、書店の棚にある「著者名別プレート」のようなものが所々に差し込んであるのが確認できた。
よく観察すると、プレートには人の名前が書いてある。
「気がつきましたか?門下生の皆さんが、どこまで読了したかを示すプレートです。当然、ご家族のプレートもありますよ。かなり上の方ですけど」
夏川が言う。なんだこれは。こんな世界があったなんて。僕なんか、全然読んでないじゃないか。そりゃあ、父さんたちに勝てないわけだ。
この【耽想流】で修行すれば、もっと読書量を増やせるのか。
やってみるか。
こうして、僕は【読書道 耽想流】の門を叩くこととなったのだ。
耽想流が、後の僕の人生にどんな影響をもたらしたのか。それはまた次の機会にお話しようと思う。