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【短編 七十二候】 魚上氷(うおこおりをいずる)
ヨシハルは万年Bクラス。
学生時代、大して努力をしなくてもそれなりの成績だったヨシハルは、それなりに受験勉強をしてそれなりの大学に進み、それなりの企業に就職。
それなりとはいえ、社会人としてスタートを切ったヨシハルはフレッシュな環境での仕事にモチベーションを上げていた。。
一定の成果も挙げていた。
「自分は価値のある人間だ。会社からも必要とされている。さほど苦労も無しにここまでやれる自分はすごい。」
そう思っていたヨシハルだが、毎年の評価で決まるクラス分けでは一向に最上クラスの「A」に昇格出来ない。いつまでたってもBクラスのままだった。
疑問は焦りに、焦りは苛立ちに変わっていく。
口を開けば会社批判ばかり。ヨシハルの周囲の雰囲気は悪化していった。
上長も始めは静観していたものの、思いきってヨシハルをAクラスに引き上げた。
評価と同時に責任を与えて、本質的な意識改革を期待したのだ。
「会社もようやく俺の価値を認めたな」
精力的に業務に当たっていたヨシハルだったが、Aクラスに求められる成果はケタ外れなものだった。
全く付いていけない。レベルが違いすぎる。
たちまちヨシハルは打ちのめされた。
Aクラスに上がるには、上位2%の能力が必要だった。
B以下とAのあいだには、天と地ほどの差があったのだ。
上長の思惑をよそに、再び不平不満を撒き散らすヨシハル。
その日も後輩を連れて飲みに行き、鍋をつつきながらさんざん愚痴っているとすっかり遅い時間になってしまった。
「ったくよう。最初からAで始めさせてくれないから、こんなことになってるんだ。会社は本当に人を見る目がない」
郊外へ向かって走る終電のドアにもたれていると、何気なく動画広告が目に入る。
天気予報とともに日本の「暦」にまつわる雑学が紹介されていた。
「二月十四日~十八日頃を指す、魚上氷 = (うおこおりをいずる)は、凍っていた川や湖の表面が割れ出す頃。(うおこおりをいずる)は、そんな割れた氷の間から魚が跳び跳ねる様子を表した候です。」
七十二候、だっけ。なんとなく聞いたことはある。
二十四節気の、さらに細かいやつだよな。
「魚上氷、か。俺なんか、氷が割れてチャンスが目の前に来ても跳ねることも出来ずにいる。ホント、ダメだなあ」
ヨシハルは「それなり」の限界を思い知らされていた。
やはり、全力でやり抜いた者にしか到達できない世界があるんだ。
こうなったら、とことんやってみるか。
万年Bクラスが、どこまでやれるか挑戦してやろうじゃないか。
ヨシハルは恥もプライドも捨て、元のBクラスのポジションからやり直した。
他人より劣っている部分は、誰よりも早く出社して時間でカバーした。
休日も学びや自己研鑽に当てた。
始めは冷ややかな目で見ていた同僚たちも、ヨシハルが本気だと分かると
次第に理解を示し、サポートする者も出てきた。
そうして1年が過ぎた。
七十二候の第三候「魚上氷」の頃を迎えていた。
わずかに寒さが緩んだある日の朝、ヨシハルは上長に呼ばれていた。
「改めて、Aクラスに挑戦してみないか。今のお前なら、大丈夫だと思うぞ」
「はい。ぜひやらせてください」
飲んで帰ったあの時とは違って、今日はまだ日没前で日がある。
電車が河川を渡る鉄橋の音を聞いていると、昨年も見たあの動画広告が流れていた。
「二月十四日~十八日頃を指す、魚上氷 = (うおこおりをいずる)は、凍っていた川や湖の表面が割れ出す頃。(うおこおりをいずる)は、そんな割れた氷の間から魚が跳び跳ねる様子を表した候です。」
ヨシハルは動画広告を見ながら思う。
「氷が割れたって、そこにいるすべての魚が跳び跳ねて上にあがれる訳じゃないってことか。。そのチャンスをモノにするために、コツコツ準備してきたやつだけが割れた氷の間からジャンプ出来るんだ。」
ふと窓の外に目をやると、西日でキラキラ光る河面に、魚が跳び跳ねたような気がした。