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【短編】 川底から、意見します

静かな田舎町に、小さな川が流れていた。

その川は町の人々にとって、生活の一部であり、子供たちは夏になるとそこで泳ぎ、大人たちは橋の上からぼんやりと流れを眺めていた。

しかし、その川には少し変わった伝説があった。

町の年寄りたちによると、川底には「意見を言う石」が存在し、その石にお願いをすれば、石が「意見」を聞かせてくれるというのだ。
ただし、その意見を取り入れなければ、必ず不幸が訪れるという。

大抵の人はその話を迷信だと笑っていたが、町のはずれに住む男、木下は違った。木下はその話を真剣に受け止めていた。彼は何度も失敗を繰り返し、仕事も家庭も思うようにいかず、自分の判断力に疑いを抱くようになっていた。
そんな彼は、「意見を言う石」が自分を助けてくれるかもしれないと考えた。

ある日、木下は決心を固め、川へ向かった。
彼は町の伝説に従い、川の浅瀬に入り、大きな平たい石を探し始めた。
5日目、ようやくそれらしき一つの石を見つけた。手に持つと、ずっしりとした重みがあり、確かに何か特別なものを感じさせた。

木下は川の中で静かに願いを込めた。
「お願いだ、どうか私に助言をくれ。この先どうすればいいのか、何をすればいいのか、教えてほしい。」

すると、石が微かに震え、木下の耳元に声が聞こえた。「まずは家に帰り、机の上を片付けることだ。」

木下はその指示に驚いたが、素直に家に帰り、言われた通りに机を片付けた。
すると、机の下から古い手紙が出てきた。その手紙は、数年前に亡くなった母親からのもので、木下に向けた温かい励ましの言葉が綴られていた。
木下はそれを読んで涙を流し、母の想いを再確認した。

「意見を言う石は本物だ」と確信した木下は、それからというもの、ことあるごとに川へ行き、石に意見を求めるようになった。
石は毎回、的確なアドバイスをくれ、その結果、木下の人生は次第に上向いていった。
仕事も順調に進み、家庭も円満になり、彼の評判も良くなっていった。

しかし、そんなある日、木下はいつものように川に向かい、石に新たな質問を投げかけた。
「これから先、どの仕事に集中すればいいか教えてほしい。」


石はしばらく沈黙した後、静かに答えた。「何もせず、ただ流れに身を任せるがいい。」

この答えに、木下は戸惑った。

これまで石の意見は具体的で有益だったが、今回は漠然としていた。木下はそれが理解できなかったが、石の言葉を信じ続けてきた彼は、今回も従うべきか悩んだ。
しかし、言い伝えが確かなら、従わなければ不幸になるかも知れない。

日が経つにつれ、木下は次第に焦燥感に駆られ始めた。
「ただ流れに身を任せる」とはどういう意味なのか?具体的な行動を取らないことは、これまでのアドバイスとは正反対だ。
彼は自分が怠け者になってしまうのではないかと恐れた。

そんな思いが積もる中、木下は再び川に行き、石に問いただした。「本当にこれが正しい選択なのか?」

石は再び震え、今度は少し苛立った声で答えた。
「意見を求めるたびに、私に質問をするのではなく、自分自身で考えることも大切だ。答えはいつも他人から与えられるものではない。」

その言葉は木下にとって落雷のようだった。
そして、ふと気づいた。「これまでずっと石に頼りすぎていたのではないか?」と。

木下は川底の石をじっと見つめた後、静かにそれを川に戻した。
そして、自分の足で歩き始める決心をした。もう石に頼るのはやめよう、自分の力で人生を切り開いていこうと。

それから数ヶ月後、木下は自分の力で成功を掴み取ることができた。彼はもはや川へ行くこともなくなった。
しかし、ある日、木下は散歩中にふと川の近くを通りかかり、懐かしさから川を覗き込んだ。


その瞬間、木下は驚いた。川底には無数の石が並んでいたのだ。
すべてが同じように平たく、どれがあの「意見を言う石」か見分けがつかない。
それどころか、彼がずっと意見を求めてきた石が本当に特別なものだったのかさえ、疑わしく思えてきた。

そして、木下は静かに笑った。
「結局、あの石が本当に意見を言ったのか、それともただの錯覚だったのか、もうどうでもいいことだ。」

彼は川の流れを眺めながら、心の中で感謝の念を抱いた。
あの石が何であったとしても、彼を正しい道へ導いたのは間違いなかったからだ。そして、木下は改めて分の力で人生を切り開く覚悟を決めた。


以来、町の人々の間では「意見を言う石」の話はますます語り継がれるようになったが、木下はもうその話に耳を貸すことはなかった。
彼にとって、最も大切なのは自分自身の意見であり、他者の意見に左右されることなく生きることだった。

川底の石たちは、ただ静かに流れの中に佇み続け、時折、誰かが願いを込めて拾い上げるのを待っていた。

「なあ、最近の人間は聞き分けが良すぎないか」
「そうだな。たまには誰でも良いからめちゃくちゃ不幸な目に遇わせてやりたいもんだ」
「確か、最後に不幸な目に遇ったのって、120年前の茂兵衛だろ。アイツは、そりゃあもう不幸だったな」
「しょうがないさ。俺たちの意見に耳を貸さなかった茂兵衛が悪いのさ」
「あの、茂兵衛さんは、どんな不幸な目に遇ったんです?」
「おう、最近平べったくなった新入りの石、お前は知らなくて当然だ。なんせ120年前の話だからな」
「教えてくださいよ。どんな不幸な目に?」
「ああ、流行り病で命を落としたんだ。肺結核だな。茂兵衛、具合が悪くなった時にこの川に来て、恐ろしい病かもしれん、どうしたらいい、って俺たちに聞いてきたんだ」
「なんて意見したんですか」
「そりゃ、もちろん家族に知らせて、医者を呼べと言ったさ。だが茂兵衛のやつ、言うことを聞かなかった。家族にも言わず、医者にもかからなかったんだよ。まあ、おそらく幼い娘に病をうつすまい、とでも考えたんだろう。」
「そんなことがあったんですね。でも、娘さんを守れたのなら茂兵衛さんは不幸ではなく、ある意味幸せだったのかもしれませんね」
「お、お前新入りのくせに上手くまとめやがったな。全く、近頃は幸せの定義も多様化してやがるからな。お前、今度人間が来たら意見してみろよ」









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