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世界が同意する、魅力たっぷりの日本の食

有料マガジン「ツレヅレの内緒話」は私が「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことなどが入っています。今回はこんなものだよ、ということで全文無料です。

日本って幸せだなぁ。

日本を旅行中、 春までいっときのお休み期間の田畑や山村などの風景を眺め、それぞれの土地の美味しいものや産直のものを口にするたびに夫とふたりで同じことを言い合っていた。そもそもつやつやピカピカした「ごはん」が甘みと香りたっぷりで美味しい。副菜と呼ばれるひとつひとつの皿には主張もありながら飽きさせず、ごはんと一緒に頬張ると幸せだという言葉しか出なくなる。汁物は温かく心までほっこりする。
日本って安全でごはんが美味しくてお酒が呑めて・・・こんな幸せがあろうか。

食に関することは、もっともっと日本人が胸をはって宣伝していってほしいと心からそう願う。いややってるよ、じゃなくて、もっともっともっと、やってほしいのだ。宣伝っていくらやっても「え、知らないよ」ってことが多いし、実際日本の食の魅力は「行ってみて初めて知った」というひとがあまりに多いと思うんだ。

繰り返しになるが、みんな知ってはいるけれど当たり前すぎて「誇る」「恩恵に思う」ことが少ないのが日本の食じゃないだろうか。
「日々の食卓の豊かさ」はもっともっと実感してもらっていいことだし、世界に誇ってほしい魅力に溢れている。

まずは「日本人って素材や素材を生み出すものに手をかけることを知っている」ということがすばらしい。

野菜なら土を。
畜産なら動物そのものを。
養殖なら土壌となるもの(海はなかなか手強いであろうが)を大切にする。

放って置いてそこそこのものは出来ても、手をかけ人に拠っては愛をむけることまでしていると、出来上がるものが明らかに違う。

15年程になろうか、私は自宅の庭の一角に畑を作り野菜を育てている。でも最初のころは収穫も少なく、自分で育てているから贔屓目になっているはずだが感激するほど美味しいものはできなかった。
毎年見よう見まねでこの土地で出来る土改良をやってみた。水やりの方法も夏場の乾燥がひどいのでドリップ方式という地中に水を染み込ませる方法に変えてきた。それでやっと、家庭菜園を始めて7-8年目くらいからやっと夏の一ヶ月くらいは自宅の野菜ですごすことが出来るようになった。手前味噌ながら味も昔より大分しっかりしたとは思う。

味の違いは野菜そのものの違いかな、と思い一時帰国する日本で時々野菜の種を仕入れたりしてきたが、種だけでは期待している味にならない。育てている途中の手入れや土壌改良について日本の知識を入れて良い変化も起きるが日本の普通のスーパーで売られている野菜のほうが美味しかったりする。多分気象条件とか温度とか光条件もあるのだろうけれどワイン作りで言うところのテロワール土地の個性ってやつなのか、どうにもこうにも手強い。

たかだか家庭菜園だがそんな学びと発見がある。その上で 各地の出来上がったもの=食材の味の違いを考えるといろいろ納得することが多い。

少し前に流行ったマンガに「約束のネバーランド」というものがあって、「孤児院(という名の食肉牧場)の子供達に勉強させたり充分愛を与えて育てると その脳が格別に美味しい」みたいな表現があった。うげげ、そうきたかと思ったけれど妙に納得もしながら読んでいた。そしてアメリカで日本で、和牛を戴くときには なんとなくあのマンガを思い出す。

和牛ビーフは今や世界中で高級食材として知られているけれど、実は海外では日本ほどの値段ではない。それでも他より高いWagyu Beefを買ってみる、あのおいしさを味わえるのかな、と期待して。で、どうかというとうっすらと和牛独特の食感と甘み、香りを感じるが・・・うっすら、だ。それも和牛を知っている私達の舌だから感じるのだと思う。これじゃ高級にされている意味が分からんよね・・・と考えてしまう。

味の違いは「種」じゃないんだと改めて思う。だって、和牛を育てている畜産家さんたちがどれだけ愛と手間をかけているかは、(日本に暮らしていたら)有名な話だから。

そういえば先日熊本の「赤牛」を食する機会があった。名前の由来自体は牛の見た目が赤っぽいから、らしい。でも名の通り肉も脂の少ない赤身。しかし一番驚いたのは和牛でも赤身肉がその地域特産で有名、ということじゃなく食味・風味の違いだ。シロウトの私にもわかるほど、赤身でもアメリカで食する赤身肉とは全く違う。

種もちがうだろうが牛が食べている草、そもそも土や水なんかもきっと違うのだろう。かけられている手間もちがうんだろう。そうじゃなければ味・風味の違いを説明できない。

また「日本の食」というのは外のものを取り入れアレンジするのが上手な国民性が貢献しているのだろうか。素材の味がしっかりしていることもそうだが、茶道や剣道でいう「守破離」が、食の世界でも芸術的に昇華する国なのだ。

いろんな国の美味しいものを調理法やスパイス含めて一度取り込み本格派といわれるものを提供し、さらにそこから より自分たちの生活や舌に合う味にもできる。多国籍料理や無国籍料理と呼ばれるようなフュージョン料理が結構当たり前にあって、どれもが美味しいというのは奇蹟だ。

そもそも 何かをやろうとしたときに全方向に努力を惜しまない日本人の気質っていうものが違うのかもしれないが。他国にそれらがないという意味では無い。どんな場所でもどんな人種でもそういう努力をできてしまう人たちはいて、どんな分野でも大きな変化を引き出す要因となる小さなイノベーションを生み出すのはそういうひとたちだ。
ただ、そういうひとが存在する割合が他国より高い気がする。
結果として、

今住むアメリカで、そして私達が訪れたことのある海外で、日本に行ったことがあるというひとに時々会う。彼らは異口同音に そもそもの目的(アニメだったり独特な東洋文化だったり)があって行ったはずが 「食の豊かさに魅了されて帰ってきた」「またあれを食べに行きたい」と言ってくれる。

自分の魅力は自分自身では見つけにくいものだ。
「楽しい思い出の大きな部分が食文化」
訪れた人たちの口から自然にでてくるこの言葉は、まさに日本がもっともっと外に見せていくべき魅力なんじゃないだろうか。

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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