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コダマのいる森は生きている

もののけ姫を見ていて、話の舞台は分からないけれどちりばめられている言葉に「お?!」ってなることがある。今日はそのなかで「森」の話。

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森に、木々に、「土地の性格が出るなぁ」と思い出したのはこの数年だ。ただ写真には撮れない。頑張って撮るのだが、全く思ったようには映らない。なんなのだろう、あれは。

九州の高千穂町に向けて車を走らせたとき、ある場所から突然地底から炎がのような捻れる力がそのまま木々に移ったような感じがして、木々の表情が違う、と感じた。立っている様そのものがが力強いというか、これってなんかのおまじないでもかけたら歩き出すんじゃないの?という感じ。

また、新幹線で東北に向かったときは盛岡が近付く頃に突然土地の雰囲気が変わった。それまでの土地や森の音楽が柔らかい弦楽の音だったのに、急に重低音が重なる、それでいてとてもなじみ深い感じの音になったかのような。

私は仙台生まれで、親族も殆どが宮城にいるので宮城県くらいまではよく行っていて雰囲気は馴染みがあるのだが、あの少々北に足を伸ばしたとき感じた、「何かが違う」という感覚は驚きだった。なんだったんだろう。

決して嫌な感覚なのではない。ただ単に「違う」そしてそれが「心地よい」のだ。

エリアの大小はあれど、こういう風に感じる森は、日本で結構あちこちにある。下手すると「○○鎮守の森」とか言われる小さな一角だけ、とかいうのもある。

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アシタカは東の方からきた、といっていた。それが関東くらいのことなのか、もっと北なのかはわからない。一族の服装をみるとアイヌ?っておもうけど、蝦夷(えみし)の一族って、大和朝廷に従わなかった人達全部だからね。

まぁ、本当の所は宮崎駿監督くらいしか知らないのかもしれないけど、

で、コダマですよ、コダマ(木霊)

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さっき言った様な土地の力が森に現れてるなぁ、ってところにはコダマがいそうな気がする。いてもおかしくないって気がする。
からからからから・・・・って音を立てて、あちこちからこちらを見てる気がするんだ。

コダマとひとが隣り合って生きてた時代、もしかしたらそれは そんなに昔じゃなかったのかもしれない。もしかしたら、今も「え、コダマ?ああ、あのちっこいのか?そのへんにおるべな」って何でもないことのように話すおじい、おばあがフツウにいるのかもしれない。

八百万の神々は 思っているよりフツウに生活のなかに馴染んでいるものなのかもな。


ちなみに、アメリカの森で力があるなぁ、と思っても 私はコダマみたいなものがいそう、とはおもったことがない。ほーんと、なんなのだろう、この差は。

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たなかともこ@ツレヅレビト
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