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とにかく自分でやってみる。

有料マガジン・ツレヅレの内緒話ではこんな日常のエッセイからなんでもないことを綴ったものをいれていますよ、というお試し版で一定期間全文無料にしています。これから徐々にそちらのマガジンに入れていくものが増える予定です。

なんとかと鋏は使いよう、とはいうけれど。

noteでAIアシスタントのβ版がリリースされた(β版なので使えるひとはまだ限定。リンクを参考にして下さい)。実は前記事は試しに使ってみたのだ。
でも結局いつもの自分の書き方、心にひっかかったものを中心に考えをすこし深くしていく、という形で書き終えた。

どう役立てることができるか。
どんな特性か。
どんな場合に使ったら便利なのか。
それをしっかり理解しないと本当の意味での「そのものが持つパワー」は分からない。そのパワーを引き出していくこともできない。

ただ厄介なのは、「しっかり理解する」というのは取扱説明書を読めばイイ、とかそんなことではないのだ。「自分で経験してみる」「その中で利点に自ら気付く」ということが、その手間と時間がかかることが、とても大事だということだ。

オットと娘が熊野古道を歩こうとしている。
友人を訪ねるということもあるし、オットには日本再発見みたいなところもあるのかもしれない(よく知らないが)。娘は娘で、父との旅行みたいなチャンスはどんどん減るし、日本との繋がりを自らの足で知る、というのも興味があるようだ。私としては微笑ましいこと。

そして熊野古道はサンティアゴ巡礼路(キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路)とコラボレーションしている。世界遺産に登録された巡礼路のうちのひとつで、実は世界中の巡礼路ファン?の憧れの地でもある。
ウェブサイトも情報盛り沢山(盛り沢山すぎて「使い方を理解するまで時間がかかる」資料館になっているのがかなり残念)、心惹かれる写真も多い。

だが、熊野古道の旅に出るのに大きなハードルは「宿」である。特に外国からのアクセスは、難解としかいいようがない。
ウェブサイトを通して途中の宿泊休憩地にいつ何名で行きたいか、の問い合わせを送る。あとは先方がアレンジして返信してくるのだが、我が家は返信が一週間経っても来なくてシビレを切らしたオットが日本に「電話」した(何のためのサイト経由の問い合わせか・・・)。「あー大丈夫です、取れてます」って言われたようだけれど、確定のメールが来たのはさらに3日後だった。
これ、日本に住んでたことのある私達だから「待てた」と思う。他の国から期待をもってアクセスしたウェブサイトがこれだったら多くの人がもう心折れて「日本にはいかないでおこう」ってなるのに十分なかんじ。

サンティアゴ巡礼路との大きな違いかもしれない。こちらは基本的に簡易ベッドが並ぶ所に、直接いけば泊まれるらしいし。「歩き」が基本だから旅程が立てられない・立てにくいというのもあるのだろう。いやいや、熊野古道だって基本的にはそうなのでは・・・・もちろん、交通アクセスの良くない場所で、多分に高齢化の進んだ山村だ、そんなふうに「誰も彼もただ寝るだけ」の場所提供が簡単にできるわけではなかろうが。

・・・ということを考えてもまだ、「この宿の取り方、おかしくない?」だ。もちろん「若者が開く宿が勝手にAirbnb経由させる」なんてできない土地柄なのだろう、だから宿の予約を全部一手に引き受けているんだろうが、多分自治体なんかが絡んで。

でも、と思う。2020年も3年目に入ったいま、この超アナログな対応はなんとかしなければと思わないのか。1990年代と違うのに。
・・・・いや、思わないんだろうなぁ。ユーザーが困っても「日本人だってその手間かけるのに、外国からきて同じ様に順番待てないなんてオカシイだろ」くらいに思っているんだろう。
あるいは、「ウェブサイトなら自治体がつくった(私から見るとごちゃごちゃすぎるのだが)綺麗なやつがあるだろ、それでいいじゃないか」なのだろう。

つまりは、そのツールがどんな利便性を提供出来るのか、を実感したことがない、ということだ。

どう役立てることができるか。
どんな特性か。
どんな場合に使ったら便利なのか。
それをしっかり理解しないと本当の意味での「そのものが持つパワー」は分からない。そのパワーを引き出していくこともできない。

もうこの大事な部分がそのまま反映されているのだ。便利さが理解できない、その提供するもののパワーを実感しないから使おうとしない、でも「いつもの日々」のなかでは絶対に 経験に裏打ちされた便利さへの理解は生まれない。

デザインとは「解決策を見せること」だ。しかも誤解を生まないように「すっきり」と。
エンドユーザーというものが存在する世界では欠かせないことなんじゃないかと思う。で、思考を深めたり五感に訴えることを目的にする芸術以外は、エンドユーザーのいない仕事はあり得ない。つまりはデザインを理解しなくていい業種なんて存在しないとも言えるかも。

最近立て続けに、全く違うサイトのこういう部分で引っかかったユーザー=私です。自分が悪いのか、とも思ったけれど、いやいや、ユーザーが困ることや、間違いを起こしやすいっていうのはそもそものデザインがダメでしょ。

ツールは、その使い勝手を自ら知りにいかないと可能性も広がらないし解決策も出ない。当たり前なのにツールを使おうともしないで「これでいい」になっていることの多さよ。
・・・と、ぐるりと考えを巡らせたところで。

つまりは「私も無駄とおもわずとにかくAIアシストを使っていこうじゃないか」と思った、という話です。


※ちなみにnoteのAIアシスタントは登録が必要で、この締め切りが日本時間2月28日(火)23:59まで、となっています。対象に入っている方は早めのご検討を〜 ↓ ↓ ↓

https://www.help-note.com/hc/ja/articles/15386354993561-note-AI%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88-%CE%B2-%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

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