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長い髪 #原稿用紙二枚分の感覚

「お母さん!お母さん、いないの?」

半泣きで走って帰った家は空っぽで、帽子とランドセルを乱暴に玄関先に投げ込むと、由美子は斜向かいの山田家に走った。

5月にしては暑い日で、山田の叔母さんは風を通すために玄関のドアを開け放っていた。玄関先には母のサンダルが並べられていて、奥の居間からは良く通る母の声と山田の叔母さんの笑い声が聞こえていた。

「お母さん!」

まるで自宅かのように靴を脱ぎ捨て、挨拶もせず山田家にあがった由美子は、そこでお喋りをしている母たちに後ろから声をかけた。

「あら由美ちゃん、お帰りなさい。冷たい麦茶、飲む?」

びっくりしながらも、山田の叔母さんは笑顔で声をかけてくれる。家族同然の付き合いをしている山田家に由美子が下校してすぐ現れるのは珍しいことではない。
だが由美子は叔母さんとは目を合わせず首を横に振ると、また「お母さん」と母に声をかけた。

「お金ちょうだい。髪を切ってくる」

「なになに?あなた、髪を伸ばすんじゃなかったの?」

「いいの、何でもいいの、髪切りたいからお金頂戴!」

母は文字通り目をくるりん、とさせながら、それでも手許に引き寄せた手提げの中の財布を取り出し、千円札を二枚出してくれた。
黙ってそれを受け取ると、口を真一文字に結んだままで由美子は近所の美容院に走って行った。


「うん、それからずっとショート」

少し眉を寄せて、しかし優しく由美子の両手を握って話を聞いていた直弥は、ゆっくり離した右手でそのまま由美子の頭を自分の胸に抱き寄せた。

小学5年の春の、見知らぬ男に学校脇の路地に引きずり込まれた思い出を話したのは彼が初めてだった。

「そのまま上履き入れで思い切り相手を殴って逃げたのに、すっかり被害者面よね」

自嘲気味に言いながらも今の由美子の笑顔は柔らかかった。

「バカよね。うん、直弥の言うとおり伸ばしてみようかな、髪。」

直弥は黙って、由美子を今度は両手でぎゅっと抱きしめた。


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ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーより、Muuさんのイラスト作品をお借りしました。Muuさん、記事のイラストは全てご自身で描いていらっしゃるのだそう。繊細でもの言いたげな女の子の目がとても印象的です。

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伊藤緑さんの「原稿用紙二枚分の感覚」参加作品です。

・・・というか!!!800字まで、ってキッツいです〜〜〜
なんとかその辺りまでに収めてから、800字以下になるようにする・・・・
逆にこの短さをいつも書ける方達がすごい。
他の参加者さん達の作品はこちらで。


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たなかともこ@ツレヅレビト
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