考えるだけならタダ、ともいうので
それにしてもよく降る。私の住んでるところの最近の話。
世界で春夏秋冬がある場所なら、大体において春と秋は雨がよく降るんだろう、とさすがに最近は分かって来た。半世紀も生きていればそれぞれの時期・季節の天気への心構えもできてくる。
ふと思ったのだけれど、天気予報を「テレビやラジオなどの番組」のひとつと分類したら(そんな分類はないけれど)、天気予報ってこの50年で世界中で一番よく見られ利用されている番組なんじゃないだろうか。だけど利用の仕方はずっと各個人に任せられているデータ番組・・・なんか、もっと利用法がある気がする。
だって天気を全く気にしない産業や業界って、ほとんどないのでは?道路交通状況、人のうごき、植物の状態、海の状態、各地の河川の水位・・・どんな職種・業界でも多少なりとも天気の影響をうけるものだ。
衛星やデータ管理技術などが発達して、天気予報の当たる確率もかなりあがっている。災害予測みたいなものが各方面に行き届いて未然に防げている災害もきっと多いと思う。
予報が当たる、というのはやっぱり基礎データ量の蓄積が大きいし、それを使って短時間でいろいろシミュレーションできる時代だから、私の住むような大陸に至っては「10日間天気予報」くらいなら大まかに8割以上の確率でその通りになる。これを「すごい」「便利だ」で終わらせているのはもったいない。
私が幼い頃、降水確率なんてもっと大雑把で、それが確率○%みたいに出始めたのは私が小学生くらいのときだと思う。台風の進路予測があんなに詳しくなったのもまだ30-40年程度だと思うんだけれど。
日々情報が細かく、ある意味便利である意味「詳しすぎる」ほどに提供されている。なんだったら天気図の基礎を学んだ中学生くらいで私も天気予報を自分でしたりしてたくらい、基礎情報がものすごく提供されてるよね。
そろそろ、情報の整理が「各個人のニーズに拠って」自動選別される時代に入ってるんじゃないかと思ってかれこれ10年になるのだけれど、このあたりの動きは予想していたより遅い。多分 大元の天気予報データを「無料で」受け取るのが当たり前過ぎて、ここからマネタイズなんてできないと思っている人が多いのだろう。
別になんでもかんでもマネタイズすればいい、なんて思ってない。でも「便利さ」というのは提供されて初めて実感することが多いものだ。前にも「自宅太陽光発電とバッテリー」の使用計画が天気予報と連動して勝手にうごいたらいいのに、という愚痴をつらつら書いたのだが、これは上手く利用出来たら地球環境のためにも、そしていろいろな産業(大抵の産業はエネルギーを必要とするから)の低コスト化にも 実は大きく貢献すると思うのだ。
ま、必要と感じるかどうか、どこまで大きく可能性を見るか、は本当に人によるし、パッションなければそういう「情報を絞るサービス」なんて面倒で作れないだろうしね。そもそも詳しい知識を持たない私が言うところじゃないか、なんて思いながら 毎回こんなことを思っちゃうんだよね。いろんな新しい仕事が創生できそうなんだけどなぁ。