落語を聞いていて 「また次回ね」は奇蹟の積み重ねと理解した話
運転中や庭仕事みたいなとき、音声配信サービスは便利だ。なによりなにかをし「ながら」で聞いていられる。
オーディブルという朗読サービスで英語の本の朗読を聞いているがオーディブルに飽きたときに聞くもの、としてSpotify(スポティファイ・音楽音声配信サービス)の落語も気に入って使っている。
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10年前くらいから、インターネットを使って日本に友達が増えた。
もともと友達を作るのに抵抗はないのだけれど、同時に長く濃く深い付き合いはやや苦手である。その点、物理的距離が近い人よりネットで仲良くなった人達は踏み込みすぎる(踏み込まれすぎる)こともなく私には丁度よかったとも言える。英語ですんなりと自分の想いを表現しきれない、というフラストレーションも溜まっていたのかもしれない。
まぁなんにしても。
ネットでよく話をしていて、そこに加えて一時帰国の時に時間を割いて会いに来てくれたり本当に偶然東京の街中でバッタリ会ったり(すごい事だ)する友達が数人いたのだけれどね。
落語を聞いていてそのなかのお一人のことを ふと思い出したのだ。
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落語家の春風亭一之輔師匠のお名前は、何年も前になるが確かテレビ番組で初めて知ったのだと思う。沢山ある古典落語の有名どころをアニメーション付きで落語に縁の無い人に紹介する番組だったか。そこで出演されていた落語家のお一人として出ていらしたのだと思う。
もともとオットが落語が好きだったのでその番組を録画しておいて時々夫婦で見ていた。そのうち二人で一之輔師匠の独特な雰囲気のファンになり、オットは本を入手したりCDを買ったりしていたし、仕事で日本に行ったときはかなり前から予約してわざわざ時間をあけて寄席に行ったりしていたと思う。
で、その年に私が一時帰国するときに 先述のネット友達の数人がよく寄席に行っていたというのもあり、「折角だから一之輔師匠の落語を聞いてみたいけど」ってぽろりと話をしたのだ。
そうしたらその中のひとりだった彼女が、一之輔師匠の出たばかりの本を滞在先の実家に送ってくれた。ものすごく恐縮したが、同時にとても嬉しかった。「今度一緒に落語に行こうね」と添えられたメッセージに、本当に感謝したし私も是非そうしたいと思っていた。
そのときも(大抵一時帰国の時は全国にいる友人達に会いに行ったりしていたが)私はそこそこ忙しくしていて、確か体調を崩してしまったのだ。でも普段は元気・健康、を自負していたので、無理もしたんだろう。不調とはいわずとも夜には早々に布団に入って休まないと辛い、というようなあまり調子の良くない状態がしばらく続いていた。そんなとき、彼女から連絡を貰った。
「明日なんだけど抽選待ちだった一之輔師匠の席が当たったの。一緒にいかない?」
二つ返事でいく、と・・・言いたかった。彼女が、当たるかどうか分からないと思いながらも私のことを考えて応募してくれていた。その気持ちがもの凄く嬉しかったし、なによりその当時(今もかな?)一世を風靡していた一之輔師匠の席をとるのはなかなかに難しかった。
が、すぐOKというのを躊躇われるほど私の体調はかなり悪かった。珍しく微熱も出て、さらに数日後に子供達のために予定したことも変更しなければいけないかな、と思っていた所だった。
理由を話して、本当に折角のチャンスなのだけど・・・と断った。「わかった、また今度もあるよ、そのときにね。とにかく体調直してね!」そんな風に言って貰ったのを覚えている。
彼女のしてくれていることを仲良しなら当たり前、と思う方もいらっしゃるだろうか。でも当時の私はもの凄く何かを返さねば、と言う気持ちにもなっていたのかもしれない。全体でみればその時の体調をおして行動するのはムチャだったのだけれど、そして彼女ももちろんすんなり了承してくれたのだけれど、私の心の中には「折角 私のことを考えてしてくれていたのに」という言葉がしばらくぐるぐると渦を巻いていた。
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もちろん彼女とそれで疎遠になった訳では無い。パンデミックで一時帰国もできなくなって、なんとなく彼女とだけではなく沢山の友人達と連絡が途絶えている。
先日、庭作業をしながらSpotifyから流れる一之輔師匠の声を聞いていたら、あのとき胃の底の方でぐるぐる渦巻いた「私は酷いことをした」「彼女に本当に申し訳ない」という言葉が また渦を巻きながら鳩尾辺りからせり上がってきた。
世界がこんな状況になるなんて、もちろんあの時誰一人おもわなかっただろうし。たまたま体調が良くなくて寄席に行けなかっただけだ。
でもこうなっている世界を前に、一之輔師匠の話が 昔私が彼女に感じた「もうしわけない」を引っ張り出してきた。寄席に一緒に行こうという約束はまだ保留のままだ。
彼女との約束だけじゃない。沢山の物が「また次回ね」と口約束を交わしたままになっている。
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当たり前に思っていた「また次回ね」、は あんまり当たり前のことではなかった。沢山の奇蹟みたいな幸運が重なっていたんだと今この状況になるとよくわかる。年齢もあるんだろうけれどね。
ここしばらくインターネットから遠ざかっていたが、みんなに連絡をとらなきゃ、と唐突に感じた。例え電子メールの一通でも。。。
思いたったが吉日。久し振りにSNSのメッセージサービスを開こうと多う。