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今届けたいもの

私が学生だった頃は「電話」が連絡手段として飛び抜けて素晴らしいものだった。しかも家についた電話だから、その家の誰が出るかわからない。
そうそう、友達にかけるならまだしも、好きな人、となると話は全く別だった。懐かしいな、そういう連絡手段。

仕事を始めた頃、メールという「飛び道具」がでた。遠距離恋愛をしていた私の心強い味方。相手の時間を奪わず、でも郵便よりも確実に早く届く。メールアドレスをお互いに知っている、というのがまた、特別感満載な感じ。

時代はあっという間に変化し、今や顔を見ながら話すのはもちろん、メッセージのやり取りにわざとスタンプを多用して人間関係を和ませたりもできる。しかもインターネットがつながっていれば基本無料だ。
メッセージをやりとりできる手段もあれこれとできて、連絡先を直接知らない人にもウェブサイトか何かを経由して連絡が取れるようにもなってきた。

そんな、30年前からしたら夢のような世界に今いるのに、私はいま会って話をしたい人にメッセージすら送れずにいる。いや、単に尊敬している人なのでそこまで近しいわけでもない。
だけどメッセージを送る手段をあれこれと持っているというのに。相手も私を知っている、多分ふつうにお喋りしても大丈夫なくらいに。

でも簡単にメッセージを送れない。なにをいえばいいかわからない。
ご夫婦で静かに時を過ごされているのだろうな、それを邪魔しては申し訳ないなと思いながらただ、「こんにちは」と送りたい。他の言葉が浮かばないのだけれど。

そんな簡単な一言でもボタンをぽちん、ではあれこれ、届かない気がする・・・ああ、そうだ。切手を貼りたい。時間がかかっても、その距離をかかえた短い言葉が届けてくれる物がある気がする。
こんなに便利になっているけど、今この時期に言葉を送っていいかどうか迷う距離感のひとに その簡単さはダメな気がする。


悩んでいる時間がもったいない。

なんでこの時代にアナログなそんな方法を・・・と自分でも思うが、一方でそれが一番ふさわしいような気がするのだ。相手の時間をとらず、返事を強要せず。

節分を超えると暦の上では春になる。
春一番の風とは行かないが、葉書がひらりとその人の郵便受けに滑り込むことを考えながら、筆を取ろうか。



あなたの言葉が読めなくなって、すこし寂しく思っています。
こちらはまだ雪の中ですが、今日の日射しはすこし春を感じます。
そちらはいかがですか。


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