実体験「フォロワー数は力か」
これは池松潤さんの「情報発信学で読み解く現代日本」第5部を読んで、思考の海に潜りながら考えている「途中経過」を書いたものです。同時に先日のワークショップ(記事の最後のあたりにかいてあるもの)で「つつかれて気付いた私の中の石」についても。
この思考の海に潜るための錘は、私にとってはこの12年ほどの「経験」です。それを再度展開しながら、先日の【「note+SNS」上手な使い方・入門篇】ワークショップで揺さぶられた、私の「深海に沈むなにか」を確認しにいきたいと思います。
(※あくまで個人の体験と思考の覚え書きです。失礼な表現になっている部分もありますが、特定の個人を指してはいません。誹謗中傷の類ではなく、「表現」のひとつとお許しください。)
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SNSで最初に手を付けたのはfacebookだった。
すごいと思った。物理的距離を超え、下手をすると時間を越えて旧友に再会できてしまえる、どんなパワーをもってるんだ。
2008年、12年位前か。アメリカでfacebookが一般の人にも門戸を拡げてそんなに経っていないとき。
その頃の私は不動産投資の世界を学んでいて、その世界では有名な人達と会っていた。ロバート・キヨサキとか、現大統領の懐刀のひととか。
けれど、実はそこにもしっくり来ていなかった。最先端のウェブマーケティングの手法も直接教わったけれど、ぴんと来なかった。理屈は当たり前なのだが、魅力を感じなかった。
じゃぁ、とばかりに、SNSの「手っ取り早い」ツール化を教わったのもそこだ。「有名人と一緒の写真を使う」確かにSNS友達が増えた、面白いように。
・・・かと思えば「私は○○と一緒に××で・・・」みたいな報告をしてくるひとも増えた。今で言うマウントを取るってやつだ。
友達の友達は皆トモダチ。・・・が、初めて「気持ち悪さ」を伴って私に感じられて来た。それはみんなが顔を隠していたから。いや、匿名だ、ということ以上に笑顔の仮面を貼り付けた人達だらけになったのだ。(私が実名を出す理由はここにある)
おカネが正義の世界では、笑顔の仮面の後ろは人間の皮を被った、内側がドロドロに溶けたひとたちがいっぱい居た。投資を7-8年間くらい頑張っただろうか、おカネが正義 を受け入れた仕事をしていたら2016年くらいには心が壊れそうになった。(それで宿屋業へ移った)
その途中で日本人の「自分らしくSNSを使い自分の仕事を拡げる」ことをしている人達に会った。2012年頃の話。こちらの方がまだしっくり来る部分があった。もちろん、笑顔の仮面で中身の溶けている人達はいる。でもまだマシだった。
中にはその頃まだ認知度の低かった社会起業といわれるものを、日本で昔からあった「お互い様」「助け合い」という概念を中心に作り替える人達もいた。それらの人達に出会って、違和感しか感じなかった「アメリカでのお金儲け方法論」から、「しっくり来る方法論の入り口」に立った。
この2つのグループの考え方を真似び学び咀嚼し、少しずつ自分のものにしたのは私のfacebookとなり、友達の数は上限に達した。もちろん、その動きにつられて仮面を付けた人達も集まって、一瞬の接触では「あ、この人溶けてた」はなかなか見抜けないと知った。このひとたちが集まることは、私自身のコントロール出来るところではないのだと悟った。
じっと見ていると 私がアメリカで出会った「自分がタレント化することで濡れ手に粟」をしていた人達と同じような人達がかなりの数いた。その一方でご自分の周りを「本当の友達の本当の友達は 皆トモダチ」をしている人達がいた。というか、気付いたら周りにそういう人が増えて、自分が感化され守られていたことを知った。
類友 というやつなのだろう。
そして 類友のなかでも上手にひとのこころを掴む(単に友達が多い、とも言う)ひとたちが居ることにも気付いた。そのひとが動くと集団が動く。
そう、まさにインフルエンサーだった。その言葉が一般的になる前のことだった。
オンライン上での類友コミュニティは、仮面どろどろの人達から身を守る役割も果たしてくれた。類友で手を繫ぐと魑魅魍魎が居てもおかしく無さそうな昏い海で、比較的努力無しに「浮いて漂って」いられた。漂う仲間向けにブログも変えたりした。一緒に漂う仲間ならどこを向いているか分かるから、届く言葉も書けるようになった。
類友仲間とだったら、突然の嵐も、塩水をのんでしまうハプニングも、笑ってやり過ごせた。「あるよね、あるある」そう言って笑い話にできる、それは実際の友達でやることだった。一緒に大波を被った経験は笑い飛ばした上で大事な絆になった。
ようやく気もつかわず漂えるようになって、あれこれのSNS(CNS コンテンツネットワーキングサービス)にも手を出してみたのは6年くらい前、2014年頃だろうか。
twitter, instagram, pinterest・・・いろんなものを試した。でも新規開拓って結構面倒で、「漂う」感覚が得られるまではキツイだけだから、ほとんど幽霊アカウントだ。
さて、フォロワー数の件。
私の場合そんなわけで、在る一定数以上のフォロワー数に興味がなくなったのが早かった。当時「心ある不動産投資の世界」から「おカネのこと」を伝えていたが、生々しい話になればなるほど仮面どろどろのひとが周りに増えるのでそういう話は止めた。さらに仮面どろどろ集団から離れるには提供する情報に「値段」ハードルを付けざるを得なかった。
一緒に漂う人達の中には「それでも知りたい」と来てくれる人がいて、そこそこ接点もあるから本音で知ることを伝えられた。そこに大きな価値を見出してくれたひとが「口コミ」をしてくれる。ある意味価値観が近い人達だから望むもの以上を渡せたし、もちろんそれに伴ってそれなりに健全に収益もだした。
ただ、この形も少し私の望んだものとはちがったのだ。
ただただ「書く」方向へ完全にシフトしたのはこの頃だ。
間違えるとまた、「おカネのこと」に絡みついてくる仮面どろどろがもぐり込んでくるから。
フォロワー数は私の「一緒に漂う仲間」にはならない。
フォロワーの「釣り方」はいくつか知っているが、興味がない。
ただ、そのままでは本当に伝えたいことがあるとき拡がらないのだ。おカネの問題では無いのだ、伝えたいことを伝える(バズらなくていい)、そのとき漂う仲間から波紋のように拡がれば語弊が減るのと、漂う仲間に入りにくいなと思っている人に新たな「入りやすい」道筋となる。
ちゃんと伝わった言葉は、それぞれのひとが咀嚼するまでもなく消化・昇華していき ちゃんと次の役立つものを生み出す。昇華の最中、更に強化したり補う知識を持つ人が集まり、手を繫ぎ、更にパワフルで使い勝手の良いものが生まれる。そのダイナミクス(挙動)を間近で見ると、鳥肌がたつほどの喜びを感じる。
まさに池松さんのこの言葉を実感するときだ。(もし解釈がまちがっていなければ、だけど)そして池松さんはあちこちでヒントをつぶやいている。
長くなったが、私のSNS(〜CNS)では自分を守るのが先決だった。
「でもね」
伝えたいことがあるとき、それが出来たとき、あるいは生きるための手段としてのおカネを手に入れたいとき(それは全く悪い事ではない。むしろ基本的な能力であるべきだ)は その先を見なければいけない、外に拡がることを考えねばならない。
そのとき、「千三つ」といわれる広告を闇雲に打つか(打たないよりは100倍いいが)大事な一言(宣伝文句で良い)が高確率で届く集団があってほしいか、だ。
だから私は不断の努力こそ、だとおもう。短絡的な結果だけ下さい理論は嫌いだ。嫌い、というより仮面集団に囲まれたときの恐怖は、もう生理的嫌悪感に近い。
フォロワー数は力だ。これは間違いない。
だけどその質も問題だ。
池松さんの仰ってる「質と量」両方、だ。
この記事で池松さんが述べられていることの多くで、あの「漂いながら方向を選ぶ」日々はこうも美しく理論展開されるのか、と驚いた。
いや、私出来てたのよすごいでしょ、というのではない。
池松さんの凄さは、その深層にある大切なものを さらに指し示す指針まで表しているんだ。
ワークショップにも2つあるんです。
「おお、面白かった!役立てるぞ」とスキップがすぐできちゃうやつと、
ことばすら浮かんで来ないけど 自分の中を攪拌され 濁った水の中から宝石が見えてくるやつと
どっちも大事。どっちも素敵。
ただ、池松さんのは明らかに後者だった。
池松さんの記事も 明らかに後者。
まだきちんと消化できてない。昇華には程遠い。
でも感覚的に「私はこれを知ってるし、説明出来るだけのところに行かねばならない」と思っている。
説明出来るだけの所に行けたら 自分はもっと自由になりそうだ。
それこそ誰得?なことだけど 大事なんだとおもう。
「思考の覚え書き」が3600字・・・・読んでくれた方、ありがとう。
サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。