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画面の中の私

私の夫は、ゲームが好きです。

今は主に「ファイルファンタジー 7 REBIRTH」を日々コツコツとやっているのですが、その中のあるキャラクターが、私にそっくりだと言って笑うのです。

そっくりだから見てほしい、と言う夫に、ソファでごろごろしながら適当なメロディをつけて退屈だと歌うユフィちゃんを見せられ、思わず笑ってしまいました。

ソファでごろごろしてるのがユフィちゃん

ほんとだ、そっくりだ。

というか、寝転び方とか、適当な自作ソングを口ずさみながらごろごろするところとか、まるっきり同じだ。

ぶわっはっは!と2人で笑った後で、まあ、そっくりと言われても、全然嫌な気はしないなあ、と思いました。

私は、こういう自分のことを自分でかわいいと思えているんだな、と感じました。

昔の私だったら、私はいつもこんな風にごろごろしてるって言いたいの?なんて、ひねくれて受けとっていたかもしれません。

昔は、ちゃんとしていない自分でいる時、罪悪感に苛まれることが多かったのだけれど、今は、ほとんどありません。

夫は、私に多くを求めることのない人です。

結婚してから今までずっと、変わらず言われ続けていることがあります。

「とにかく笑っていてくれたらいいから」

結婚して間もない頃は、そんな夫の言葉を簡単には信じることができず、「そんなわけあるかい」と疑ってかかっていました。

夫婦といえども、心の深いところにある扉を開き合い、安心して腹を見せ合えるようになるまでには、それなりに時間がかかります。

しかし、変わらない夫の態度を見て、どうやら本気で言っているようだ、と信じられるようになったのは、結婚後何年も経ってからだったように思います。

以来、自分の機嫌は自分でとることをより意識し、その術を身につけてきたのですが、そうはいっても「とにかく笑っている」のは、なかなか難しいものです。

夫も、深く考えて言っているわけではなく、なにげなく言っているのだとは思うのですが、これがなかなか、的を射ているなあ、と思うのです。

他者とまっとうな人間関係を築くには、自分の機嫌は自分でとれなければ、始まらないような気がします。

むしろ、自分の機嫌を自分でとれさえすれば、他者とまっとうな人間関係を築くのに、大して苦労はしないように思います。

自分の機嫌を自分でとれるということは、自分を許せるということです。

自分を許せるということは、他者を許せるということです。

自分の機嫌は自分でとれるから、他者が自分のために何かしてくれたのだとしたら、それは当たり前ではなく、全部、ありがとう、だ。

思えば、他者に対して、特に生まれ育った家族に対して望んでいたことは、夫の言うように、

「とにかく笑っていてくれたらいいから」

だったかもしれません。

何かして欲しいとか、そんなことよりも、何よりも。

あなたが幸せでいてくれたら、私も安心して幸せでいられるよ。

と、実は誰もが、そう想い合っているのかもしれないなあ。

と、今この時も、ごろごろしながら思うのでした。

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