20240930_なぜか表現したくてたまらない
タイトル通り、最近なぜか自分の考えや感じたことを表現したくてたまらないので、衝動的にnoteをインストールして、夜の11時に文章を書き始めてしまった。
もともとエッセイを読むのは好きだけど、自己肯定感の低い高校・大学生活を送ってきたので、自分の中に表現する価値があるなんて思ったこともなかった。
だけど大学生活最後の海外留学を経て、生きるのがとんでもなく楽しくなり、毎日こんなに幸せでいいのかと思うほど楽しく、ついにはこの楽しく生きている自分を表現したいと思う始末である。
毎日が楽しくて仕方ないというのは、いつも良い事しか起こらないというわけではない。仕事のストレスもあるし、しょっちゅう泣いたりするし、将来は不安だし、だけど全部ひっくるめて「生きている!」という感覚があって楽しい。
この表現したい気持ちに火がついたのは、この前の週末に無駄にドラマや映画を見すぎたせいだと思う。
ことのはじまりは、暇な時にアマプラで「わたし定時で帰ります」をみはじめたこと。もともと吉高由里子が好きだったし、新卒で働き始めてからこの半年定時で上がることに命をかけてきたので「いまなら共感できるかも」と観始めたのである。
そして、飽き性な私は「わたし定時で帰ります」を観終わらないままTVerで「東京タラレバ娘」を観始める。タラレバを言いながら自分に向き合って生きる作品の中の女の子たちは強くて可愛かった。
そして全話観てないくせに(全話観るにはHuluに加入しないといけないので観てない)坂口健太郎にどハマりする。
今度はネトフリで「坂口健太郎」と検索して観る作品を探す。前に少しだけみてやめてしまった「余命10年」をみて日曜の朝から大泣きした。
余命もの・病気ものと呼ばれる作品はそんなに得意では無いけれど(感情移入しすぎるので)、原作の著者の方が自分の体験を基に最期に書いた作品なので、泣きじゃくりながら最後まで観た。
「東京タラレバ娘」と「余命10年」という全くテイストの違う作品を観て、なぜか私は自分の人生を考えることになる。めんどくさい人間である。
簡潔にまとめると、今の仕事は好きだけど楽しくない、もっと自分の楽しいを追求できて、それを表現・発信して自分の生きた証を残したい、お金も欲しい、というとても自己中な結論に至ったのである。
ここまで書いたらスッキリしてもう寝れそうなので、具体的に何をどう表現するのかはまた今度。
ここまで読んで下さる方はほとんどいないと思いますが、もしいらっしゃれば「いいね」を押していただけると嬉しいです。そうすれば、私はあなたのnoteを読むことができます(もちろんいいねも押します)。
エッセイ好きにとってこんなに最高な場所はないのかもしれない。
そういえば今日は星野源のエッセイ発売日だったので、明日本屋さんに行こう。