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伝えるつもりがない言葉

伝えられなかった言葉というか伝えるつもりがない言葉があったので昇華のつもりで。

A.Yさんへ


先程「私は嘘をつかれたことよりも、あんなに平然に嘘がつける人なのかっていうのがずっと怖い。今でも怖い。」って言ってくれましたよね。そう言ってくれたとき、まるで自分の心臓の内側を覗かれたみたいでぞくぞくしました。それはもう的中も的中でそれが人生を生きる上での足かせになっているんだろうなって思います。


自分にとって嘘をつくことが優しさなのだろうが、怯えなのだろうがわかりませんが、結果的に人を傷つけているんだと思いました。でもそれはあなたの言った「気を使ってくれている部分も含めて好き」という部分に非常に密接に関わってくる部分でもあるため、これを改善させることはおそらく自分が自分でなくなる時なのでしょう。それがいいのか悪いのかはわかりません。まあいい方に転ぶとは思いますが。

ただ嘘をついて平然と楽しんでいるように見せかけることで自分が弱い人間であることを隠していることは事実です。本当は怖いのです。自分が矮小な人間であることがばれることが。これを表に出すことは果たして自分の人生に良い影響を与えるのでしょうか。少なくとも嘘をつく必要のない人生を歩むことができるようになるのでしょうか。


あなたとは全くの逆の発想をしています。
あなたは不快なことをされたときに怒り、言いたいことがあるときに言うというもはや自然の摂理ともいえるつじつまの合う生き方をしています。

私は不快なことをされたときに笑い、言いたいことがあるときには言わないという反射ともいえるべき真っ当な人間の信号を脳で全力で否定するまるで機能の不完全な機械のような生き方をしています。


傷つくことが怖いという不快からの逃避と愛されるという快楽の二つを満たしてくれるからあなたのことが好きなのです。しかしこれは人として好きなのでしょうか。わかりません。ただ私にとってあなたは一番かっこいい生き方をしてるなって思います。


最後に、ごめんなさい。最後に言った、好きという言葉だけ嘘です。どうしてもその言葉を発するのに抵抗がありました。自分でもびっくりしました。それまでは今の不安定な自分を肯定してくれて涙を流して、この人ともう少し真剣に付き合うことができるのかなって思ったりしていましたが、最後の好きという言葉は喉が拒みました。
ごめんなさい。

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