芸術に愛は必要か?
映画は文化の無数の発信地から送り届けられる引用の織物である。
内田樹
引用回数3回。
内田樹さんの言葉をまるで裏書きするように、
ラース・フォン・トリアー監督もまた映像を引用している。
つまりあらゆるクリエイティブに引用は不可欠なのではないか。
パクリだとか真似だとかそんな批判に怯える前に作りたい欲望に真っ直ぐ忠実でえんちゃう?
貴方も私もモノ作りする上でも生活の面でも生き延びる為でも引用を多用して生きているはずなのだから。初代選曲家なら必然!
で、ラース・フォン・トリアー監督のセリフ。
” 大好きなレストランで大好きな料理ばかりありったけ注文した。”
欲望に導かれて、、、、初代選曲かも素直な監督にアグリーメント!
──昨今の政治的正しさに関する風潮についてどうお考えですか?
ラース:この風潮には懸念しています。とても危険だと思うのです。
差別用語として“ニグロ”という言葉を排除したことは、民主主義の崩壊だと思うのです。例えばデンマークではナチスであることは法律違反ではない。排除しないことは素晴らしいと思うのです。
私は言論の自由を信じています。
差別用語を使ってはいけない = 民主主義の崩壊。
この図式がこの日本では通じない。
差別用語を排除しないことは素晴らしいと思うのです。
この考えもこの日本では理解されない。
言葉狩りをした後に、差別が無くなったことがあったでしょうか?
アメリカの禁酒法は歴史的に見ても悪法だった。
お陰で劣悪な闇のアルコールがはびこりさらなる悪を生んだ。
禁止することでは人の心の奥底にある欲望を決して排除できないのだ。
芸術のある種の役割はその真理を、
建前だけで生きる人々(正義がすべてだ)
の前にさらけ出すことではないか?
が、昨今お金の量で芸術の価値を図る弊害を、
芸術家とサイコキラーを同じ天秤に乗せ、遊び、
はて、芸術はどこまで許されるのか?
つまりラース・フォン・トリアー監督は、
個人的な大量殺人と国家的な大量殺人をまるで同一のことのように描き
天秤に乗せ、地球上の正しいだけで生きる人々へ問いかける。
貴方たちはそれを芸術と呼ぶのか?
──この映画は芸術の本質について語ったものなのでしょうか?
ラース:優れたとは言えなくとも芸術家、限界まで追いこまれた芸術家の話です。64人殺害することが芸術になるかもしれない、ということに同意できるのです。なぜそれはいけないのか? 芸術、それ自体を定義することは難しいでしょう。この作品で自分が芸術の本質について言うつもりはありません。
──ではなぜテーマに殺人犯を選んだのでしょうか?
ラース:私はただそのことを主題として取り上げました。
もしあなたがシリアルキラーとしての気質を持っているのならば、
誤った道を行くことはできないものです。
シリアルキラーの行為は何であれ非常に突然で、
非常に危険で、時に愚かです。特に精神病を患っている、
主人公のジャックはそう言えるでしょう。
(インタビューより抜粋)
で、ラース・フォン・トリアー監督は本気なのか冗談なのか?
自分自身の映画を茶化すような発言をしている。
私は本気だと思ってますが、真剣さとコメディは紙一重!!?
THIS IS ROCK'N ROLL (FILM) → THIS IS GENOCIDE (ジェノサイド)
Lars Von Trier Announcing 'The House That Jack Built'
https://www.youtube.com/watch?v=Q2dJmdtrCwo
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェノサイド .
で、ラース・フォン・トリアー監督のデビッド・ボウイ好きは
映画『ドッグヴィル』(Dogville)での「ヤングアメリカン」の使い方を見ればわかるが、映画の主題を最後の送り出し曲でかましてくるそのかっこよさに私は椅子から転げ落ちたから先刻承知だが、
しかも、監督は飛行機恐怖症の為アメリカには一度も入国したことがないにも関わらず、アメリカン三部作と呼ばれる名画を立て続きに作る才能にあっては、デビッド・ボウイも自作のフェイムがこの映画で使われているのも知ってるはずだから墓の下で笑顔で腰をグラインドしていることだろう。
監督自身がベストと呼ぶ。『ドッグヴィル』(Dogville)
2003年にデンマークで製作(撮影はスウェーデン)された映画である。監督・脚本はラース・フォン・トリアー、主演はニコール・キッドマン。
それにしても、かっこいいのはこの監督のセリフだ。
THIS IS ROCK'N ROLL (FILM)
思わず、David Bowie Rock'N Roll Suicide が聴きたくなった。https://youtu.be/9jg4ekLG9Zo
独りよがりこそ、ROCK'N ROLL なんだ。
さて、それでは皆様にまずはこの映画の予告編をご覧いただきましょう。
貴方を威嚇するように見つめるこの女性が、
あの「パルプ・フィクション」のユマ・サーマンだと気がつきましたか?
私は暫くして、あっ!と気がつきました。
しかしそれが俳優の俳優たる所以なのですが、
何故か日本の昨今の俳優さん現れた瞬間に分かりますが・・・・は、
ともかく、監督が言うには、
” 彼女はフィルムの中も外も人をイライラさせることに長けている。"
とか。
貴方の近くにもきっとこのタイプの女性がいるに違いありません。
だからと言って、パンクを修理するジャッキで顔を連打したいとは思わないと思いますが・ガシャ!!この映画いきなり、笑かしてくれますわよ。
このOCD(強迫性障害)のプロットが実にコメディにも思えたが。
笑いをとる為のコメディという意味ではなくね。
人間という存在そのものが私はコメディだと私は思っているのです。
──主人公のサイコキラー・ジャックはOCD(強迫性障害)を抱えています。どうしてでしょう?
ラース:強迫性障害は、本当に体に辛い症状を引き起こします。
私自身も強迫性障害に苦しんでいますが、辛くて仕方がありません。
子供の頃にそれをよく感じたことですが、
物事が秩序ある適切な場所にない場合には、
世界が破滅するような気持ちになるのです。
実は私も薄くそんなところがあります。いつも自責の念で笑っています。
で、思わず息を飲むのが監督が自画自賛する奇跡的なこのシーンだ。
2時間という映画の時間の中で、
たった一瞬のこのシーンに出会うことで、
この作品がドラクロアの作品のように、
未来へ受け継がれるだろうと確信するのだ。
この連載では、映画紹介も幾度かあったと思いますが、作品に関する画像の使用に関しては著作権が厳しく、「 画像・文 」この肩書きの通り、ごちゃまぜスタイルと言うか、画像がなければ何も書けないと言うか、初代選曲家を名乗る以上それらしく振る舞いたいと言う思いもあったりなかったり、
今後は選曲家とは?の解説に、「引用をベースにしたものづくり」を加えたいと思います。選曲家とDJの共通点はそこで、DJがサンプリングをベースに曲作りをするように、選曲家の執筆もまた、引用(サンプリング)をベースにしているのです。つまり、私はこの世界にあるものはすべて引用で成り立っていると考えているので、伝えたいことがあるなら使えるものはなんでも使う。So What!それが選曲家のスタイルだとこの際アナウンスメントしておきたいと思います。でね、今回は幸運にも画像ヘルプがありました。
画像提供クロックワークス、アルバトロス・フィルムお陰で読者の皆様にもこの映画の魅力がより伝わったのではないかと思われます。
この映画を広報されている皆様に感謝です。
で、以下はこの映画の情報です。
タイトル◆ハウス・ジャック・ビルト ----------------------------------
公開表記◆6月14日(金)新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町 ほか全国公開---------------------------------- コピーライト◆ ©2018 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31, ZENTROPA SWEDEN, SLOT MACHINE, ZENTROPA FRANCE, ZENTROPA KÖLN----------------------------------配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム----------------------------------
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー出演:マット・ディロン、ブルーノ・ガンツ、ユマ・サーマン、シオバン・ファロン、ソフィー・グローベール、ライリー・キーオ、ジェレミー・デイビス2018年/155分/シネマスコープ/5.1ch/英語/原題: The House that Jack Build/日本語字幕:齋藤敦子配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム 【R18+】
タイトルバックが先に流れてしまいましたが、この映画から受けた強烈な感動を選曲からしく構成してみました。https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/moichi-kuwahara-pirateradio-the-house-that-jack-built-0/
ここでも私の引用のスタイルは大きな壁に阻まれました。
Mashup (music)はアップロードさせない。と言うお達し。
しかし、それはAIのミスで、単純なCUTUP選曲です。
つまり、画家がこの映画をみて抽象的な絵画を書くように、
初代選曲家の私は耳で聞き想像する時間を構成するのです。
おヒマな方はぜひ。この映画の最後の締めくくりが壮大です。
がある意味お化け屋敷を楽しむようなものだと思います。
怖いですよ〜と脅かされてお化け屋敷に入るとちょっとしたことでビビリますよね。で、ビビリすぎて笑っちゃうことないですか?
私はこの映画を二度みて、そのことが認識できたのです。
実は音楽のライブも同じで、
その昔、坂本龍一さんが日本でソロ・ツアーを行った時に、
私の故郷の岡山でも演奏すると言うので追っかけました。
自分が音楽に目覚めた故郷で教授(坂本龍一)の音楽(ピアノ・ソロ)を体験し、その翌日にアップル・ミュージックで、そのライブを聞き直す。
あの当時ライブを翌日に公開販売するなんてことは画期的なことでした。
つまりそのタイミングの公開では修正時間は無いのですから。
で、このことで、坂本さんの人柄が色濃く音楽へ影響していることがわかります。演奏する楽曲は同じでもそれを演奏する人間は日々変化している。
変化する人間が音楽を奏でるのです。
より人柄を感じ音楽を楽しむことができたのです。
話が一見それたようですが、映画を二度見ることでわかることは、
監督の立場で、こう言う言い方は偉そうに聞こえるかもしれませんが、
映画の構成や編集や意図など、筋を追っていては気づかない映画の真意が見えてくるのです。私はこの監督が大好きなのでほとんど見ていますが、
繰り返し見る作品はあまりありません。
今回は最初に観た後に公式パンフレットを劇場で購入したので、
知りたいことが満載ですた。余談ですが、ほとんどのパンフレットは知りたいことが記載されていません。多分自分で探せ!という教えなんでしょうが、無料ならいざ知らず、有料なら、あなたの知りたいことはなにひとつこの有料パンフレットには記載されていませんの但し書きを大きく表紙に記載して欲しい。それでもラース・フォン・トリアー監督の作品なら買っちゃうかもね。
おしまい・桑原茂一初代選曲家・関節リュウマチ患者fromコロナワクチン・