しりあがり寿さんの現代美術は・・・・・・・・・ぽっぽろ〜ぷっぷる♪ぺっぺれ〜ぴょっぴょろ〜♪が聞こえてくる。
いったい。この意味のない呪文のような
言葉の響きのどこが現代美術なのか?
昨日429金曜日午後三時横殴りの雨の降る中その法談は始まった。
禅寺での法談の肝はやはり禅問答であった。
答えのない禅問答。
となれば、
しりあがり寿さんの無意味な言葉の響きも
すなわち答えのない禅問答ではないか?
ぽっぽろ〜ぷっぷる♪ぺっぺれ〜ぴょっぴょろ〜♪
禅の教えでは、ただ知ること、知恵ではない。とか、
知るのではなく、経験すること。
経験の伴わない知恵はまさに無意味だとか・・・
情報を無数に無限に入手したところで
経験を伴わないものは知恵とはいわない。とか、
ぽっぽろ〜ぷっぷる♪ぺっぺれ〜ぴょっぴょろ〜♪
読んではいけないあなた自身の声で大きな声で発声すること。
繰り返し発声することであなたの心がゆらぎいつもとは違うエモ云われぬ感情が湧き上がってくるはずです。さぁ、もう一度、下腹に力を込めて大きな声で吐き出しましょう!せ〜の〜
ぽっぽろ〜ぷっぷる♪ぺっぺれ〜ぴょっぴょろ〜♪
それにしても、いったい。この意味のない呪文のような言葉の響きのどこが現代美術なのか?答えはあるのか?
あります。答えは祈りです。
無意味な言葉で叫ぶ唸る発声する行為のすべてが祈りなのです。
しりあがり寿さんは、こう考えました。
あの福島の人災を伴う悲劇への自分のできるベネフィットとはなにか?
ここでいうベネフィット!の意味は、
人や社会の幸福につながる「恩恵・便益」「援助」
「手助け」社会保障制度などによる「給付」「慈善活動」
・・・のことです。
しりあがり寿さんがいくつものベネフィットを経て辿り着いたのが
祈りです。
ただ、祈ること。宗教的な意味を排除した祈り・
制約を伴わない祈りを提案することは、
ある意味反逆的行為でもあるはずです。
社会的規範への反抗はつまり価値観の変更を求める行為です。
その行為こそ現代美術的といっても股間ではないつまり過言ではない。
答えのない禅問答=現代美術
あくまでもこれは私の勝手な解釈ですのでご容赦いただきたい。
そして、お断りと共にこの解釈の根拠をお話ししておきます。
Parisの友人宅でのことです。
そこでこれこそ現代美術だとおもわれる作品を見せられました。
見た目は、二つの大きな透明のガラスケースでした。
どちらのガラスケースにも黒いちいさなプラステックの欠片がそれぞれのガラスケースに量の違いこそあれ相当数敷き詰められているのです。
目を凝らして見てみると、プラステックの欠片はアルファベットの文字でした。うん? 謎です。意味が分かりません。思わず質問しました。
” これはなんですか? “
” 質問する前に、一度よく考えてみてください。”
とその友人。まさに禅問答です。
” 中身は歴史的な文化財といっていいでしょう。”
” う〜〜〜〜〜〜ん・・・ 参った!” と心の中で呟きました。
答えです。
『ロミオとジュリエット』Romeo and Juliet は、イングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲[1]。初演年度については諸説あるが、おおむね1595年前後と言われている。ウィキペディアより
シェイクスピアの戯曲である『ロミオとジュリエット』で、
二人が喋る英語のセリフをバラバラに解体し、
一文字ずつのプラスティックのアルファベットとなって、
二つの透明のガラスケースに集積されていたのです。
驚きました。驚きましたが、これこそ禅問答ではないか?
はたまた一休さんのとんちのようにユーモアすら感じるのでした。
禅問答=現代美術
とあれ、この逸話も含め、私の勝手な解釈ですのでご容赦いただきたい。
では、しりあがり寿さんとご住職の藤田慶水の第一回目の放談動画をお伝えします。
しりあがり寿個展「心頭滅却すれば火もまたCOOL!!」オープニング対談@東福寺 塔頭 光明院 藤田慶水×しりあがり寿