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じっと部屋にこもっていても世界はちゃんとそこにある。
137.ONLINEひとりじかん
相談とは、ふつう自分よりも経験豊富なひとを相手にするものと相場がきまっている。したがって、四十過ぎのおっさんが中学生相手に人生相談するというのは、かなりおかしな状況にちがいない。
ところが、じっさいの相談の場面では、とりわけ相手が友人や恋人、同僚だったりする場合、問題を解決する以上に熱心に自分の声に耳を傾けてくれる人がいることを確認する方が、じつははるかに重要であったりもする。
とあるアイドル(おなじみフィロソフィーのダンスではありません)のインタビュー動画で語られていたのは、まさにそういう世界のことだった。
彼女は中学のときに学校に行けなくなり、唯一続いていた習い事もやめて完全な引きこもりになってしまう。そして、そのときの彼女の居場所はとあるオンラインコミュニティだけだった。
名前はおろか、顔すらもわからない30代のシングルマザーや40代の無職男性を相手に、中学生の彼女はいろいろな話をしたり、また聞いたりして毎日を部屋で過ごした。そのなかで、四十過ぎのおっさんから人生相談を乞われるといったシチュエーションも実際あったらしい。
でも、それはまったく変な話ではない、と僕は思う。
なぜなら、そのオンラインコミュニティを根城する人びとは、そこで初めて自分のことばに真剣に耳を貸してくれる他人と出会ったという点で共通していたからである。年齢や性別のちがいなど、彼らの「共通点」にくらべればたいしたものではなかったろう。
ひとには誰しも、自分の話しを聞いてもらいたいと感じるときがある。いや、聞いてもらいたいというよりただ話したい。話させてくれ。また、話しを聞く方も聞く方で、相手の話に当意即妙にリアクションするよりも、ただ耳を貸しているだけでなぜか癒されているといったことがある。
その様子を、あるいは他人は「相談している」と見るかもしれないが、じっさいのところそのやりとりはどちらかといえば「ケア」に近いものだ。話をする者とそれを聞く者とが、同じひとつの場所にいることで成立する空間。たぶん、僕らはそれを「居場所」と呼ぶ。
去年の秋から喫茶ひとりじかんを始めて、それを続けるなかでなんとなくかたちづくられてきた「定型」に、思いがけず囚われてしまっていたかもしれない。このアイドルの話すことを聞いて、僕には思うところがあった。
リアルでも、オンラインでも、そこにひとが居て、話したり聞いたりする時間を共有するならば、それはとりもなおさず「喫茶ひとりじかん」ではないか、と。
そんなこんながあって、手をこまねいて新型コロナウイルスの収束を待つのではなく、ビデオ通話ツールを使って「ONLINEひとりじかん」をやってみることにした。いまはみんな、誰かとただ居るだけでもれなく60グラム心が軽くなる、そういう世界を生きている。
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