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コーヒーにまだ間に合う
コーヒーにまだ間に合う
忙しい朝にコーヒーを淹れることの効用を、ここ最近になってようやく理解した。
いうまでもなく、平日の朝は慌ただしい。じっくりコーヒーを淹れている時間なんてあるものか。そう信じていた。
でも、ほぼ休眠状態にある「左脳」を駆使して考えてみたところ、必ずしもそういうわけでもなさそうだ。というのも、コーヒーを淹れ、飲むといった一連の動作は、たかだか二十分もあれば事足りるではないか。時間がないのではなく、そうしようという気持ちの余裕がなかったにすぎない。
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そこである朝、細かい作業の合間に二十分ほどの余裕があるのをみつけ、これならまだ十分コーヒーに間に合うと、慌ただしい気分のなかコーヒーを淹れてみた。
やかんでお湯を沸かし、そのあいだにカップを用意し、ドリッパーにフィルターをセットして豆を挽く。お湯をすばやく適温になじませるにはちょっとした裏技がある。昔取った杵柄というが、このあたりの所作についてはアタマでわざわざ考えなくても自然とカラダが動いてくれる。
じっくりコーヒーを落としていると、ひと呼吸とでも言うのだろうか、せかせかした気分が不思議と中和されてゆくのを感じる。慌ただしい朝にあえて正反対の行動をとることで、むしろ気持ちは均衡を取り戻したといった印象。そうか、そうだ。平日の朝に欠けていて、それでいてじつは必要なものとはこれだったのか、と目から鱗がはらりと落ちた。
他のひとがどうかは知らないが、ぼくの場合、どうやら放っておくと呼吸が浅くなるきらいがあるらしい。アラームに起こされ、出かける準備をし、朝食をかきこんで家を出る。せかせかした気分を抱えたまま電車やバスに揺られ、職場に到着したら早速PCを開いてメールをチェックする。考えてみれば、朝起きてから仕事を始めるまでのあいだに「ひと呼吸置く」ということがまったくないのだ。
その意味で、コーヒーを淹れて飲むのは、強制的に一息つくことで呼吸をととのえるためと言っていい。じっさい、その効果は絶大だ。朝の時間に、コーヒーを淹れて飲む。たったそれだけの「休符」があるだけで、ずいぶんとゆったりした心持ちで仕事に向かうことができるようになったのだ。
なにかせかせかした気分に覆われて呼吸が浅くなっていると感じたときは、だから、ほんとうに、つまり物理的な意味で時間が不足しているのか、それとも急がなきゃという気分に足を取られて心からゆとりが奪われているだけなのかをちゃんと切り分けて考えてみたほうがよい。
べつにコーヒーである必要はない。〇〇にまだ間に合う。そのことに気づきさえすれば十分だ。
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