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午前4時にパリの夜は明ける

最近みた映画のこと

新宿の武蔵野館でみたのは、『午前4時にパリの夜は明ける』という1980年代のパリを舞台にした映画だった。

主役はシャルロット・ゲンズブールで、彼女が演じるのは思春期の娘と息子をかかえる二児の母親という役どころ。

その映画で、シャルロット演じる母親は子供たちと3人で暮らしている。タワーマンションのような立派なつくりの住まいだ。

だが、じつは長年連れ添った夫が愛人と家を出てしまい、精神的にも、また経済的にも窮地に立たされている。

子供たちのためにもいますぐ自立せねばならない。しかし、お嬢様育ちで、結婚後は専業主婦として暮らしてきた彼女に世間の風は冷たい。

紆余曲折があって、ようやくありついたのは「夜の乗客」というラジオ番組の雑用係だった。

「夜の乗客」は、孤独な都会の住人たちが夜な夜な電話口で私的な悩みや些細なエピソードを打ち明けるというリスナー参加型の番組である。

仕事にも少し慣れてきたある日のこと、ひょんなことからもうひとりタルラと名乗る家出少女の面倒をみることになる。「夜の乗客」のリスナーといってスタジオに現れたのだ。

3人でも大変だというのに、4人である。やれやれ。

シャルロットは、自己肯定感が低く小鹿のように憶病な反面、子供を守るためなら大胆なふるまいも厭わない逞しさをあわせもつ複雑なキャラクターを見事に演じ切っていたと思う。

ところで、この映画は舞台設定が80年代であると同時に、その時代に数々の印象的な作品を残したエリック・ロメールやジャック・リヴェットといった映像作家へのオマージュにもなっている。

じっさい、ロメールの『満月の夜に』やリヴェットの『北の橋』のワンシーンが引用される。

そういえば、タルラの歌うような話し方やふわふわした行動のコケティッシュな魅力は、たしかに『満月の夜に』で主役を演じたパスカル・オジェと瓜二つといっていい。

ある晩、タルラは同居するマティアスを誘って夜のパリへと繰り出す。

行先は、ならず者といった風情の連中が巣食う高架下である。なかなかに物騒な場所だ。

そこでタルラは“仲間たち”から「クリスティーヌ」と呼ばれている。純朴なマティアスは、タルラの秘密を知ったようで少しばかりうれしそうだ。

クリスティーヌといえば、同名のスージー&ザ・バンシーズの曲では複数の人格をもつ少女が主人公だった。あの曲もまた、そういえばこの時代だったのではないか。

はたして愛称なのか、あるいは本名なのかはともかく、マティアスが他の連中のように「クリスティーヌ」と呼びかけると、タルラは急に怒り出す。

そんな名前は嫌いだ、そんな風に呼んでくれるなと言うのだ。

短いエピソードながら、彼女の生い立ちを想像せずにはいられないシーンである。胸が痛む。

人生に安直な起承転結がないのと同様に、この映画にもまた起承転結めいたものは皆無である。

そして、それがなによりこの映画の美質だろう。

ただ、もしそこになにかしらメッセージらしきものを汲み取るとすれば、すべてのひとはみな「ひとり」であるということ。

そのうえで、生きているかぎり誰もが幸せになる権利があるといったところだろうか。

パリの片隅で、いや、この世界の片隅で懸命に生きているすべての市井の人びとの姿が愛おしく、また尊いものに感じられる。いかにも映画らしいよい映画だった。

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