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37セカンズ/HIKARI

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タイトル:37セカンズ 2020年
監督:HIKARI

出生時にわずか37秒呼吸が無かっただけで脳性麻痺を患い身体が不自由になってしまったというのが強烈に印象に残る。わずか1分にも満たない時間が人生を左右するほど大きな意味をもつ。誰しも隣り合わせにあったかもしれないこの37秒は「もしも」それが無かったらと強く考えてしまう。それは自分もそうだし、生まれてくる、あるいは生まれてきた子供もそうなる可能性がある事を強く意識する。
僕が中学生の時、同級生が手術中に菌が入ってしまったために障害を背負ってしまった友人がいた。友人と言っていいのか分からないくらいの距離感だったものの、時折り会話をしながら何か活躍する場面に出会した時に「やるじゃん」なんて生意気な台詞を吐いたのを覚えている。あの時、五体満足な体はきっかけがあれば不自由な体になるという事が自然と自分の考えの中に備わったような気がする。自分は不自由ではないから見ないふりをするのではなく、明日は自分もそうなるかもしれないと考えればある程度想像は出来る…と思いたいが中々簡単な事ではないと言うこともなんとなくでしかないものの理解している。
以前目が不自由な方が電車に乗ろうとしていたので手を取って誘導した事がある。ただしくじったなと思ったのが声をかけずにいきなり手を掴んでしまった。大分後にツイッターでひと声かけてから誘導して欲しいという意見を目にして、いかに自分が視覚に頼って生きているのと、気が利かなさに少しばかり嫌気がさした覚えがある。いきなり手を掴まれたら不安になるだろうという想像が足りなかったなというのは配慮の足りなさを感じた。

この映画に出てくる人々はとにかく優しい。主人公のユマがゴーストライターであるという点と、母親との軋轢はあるものの、渡辺真起子演じる娼婦の言葉がどれも良かった。「いつか誰かと結ばれるのかな?」とユマが問えば「それはあなた次第よ」と返す。みんな対等に接しようとする様にそれぞれ葛藤があるのが伺える。ユマが後悔について問いた時の「沢山あるよ」という台詞は誰しも後悔は抱えるものだという平等な想いを感じた。後悔というのは特別なものではなくて、誰しも抱えているものだという事。大なり小なり誰にでもあるものだと。
自分は違う人生を歩めたかもしれないという考えの中から自分はこれで良いと達観するまでの道のりを共に歩む映画だったように思える。
光り輝く東京と新宿の街並みは、利便性を優先しながらもどこか冷たさと暖かさがとなり合わせになる希望がもたらされていた。現実はそうではないかもしれないけれど、ここにいていいんだという強さを感じることが出来る作品だったと思う。



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