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【映画】春原さんのうた/杉田協士


タイトル:春原さんのうた 2022年
監督:杉田協士

“長い人生の中の一秒から数十秒のほんの一瞬をフレームカットして繋げていく。そのひとつひとつの描き方は短歌に近いものがあると思います。”
メモを取っていた訳ではないので要約にはなるけど、終幕後に行われた監督のトークショーで原作の短歌との繋がりについてこう語っていた。
「春原さんのうた」は昨年見逃してしまいずっと観る機会を探していたが、去年新たにオープンした菊川のストレンジャーでやっと観る事が出来た。
劇場を後にして帰りの電車の中でパンフレットを読みながら、この映画の事をずっと考えていた。終幕後に気持ちが宙ぶらりんな感覚があって、映画の内容を飲み込めず、あれはなんだったのだろうと反芻し続ける。一晩経って監督の言葉を振り返った時、映画の中で描かれたものがすとんと体の中に染み込んだ感覚があった。物語全体を追うよりも、その場その場の登場人物たちの気持ちに寄り添う事が、この映画のテーマだったのではないか?そう考えると、物語に映らない多くの謎よりも、場面ごとの心情をそのまま受け止める事で、本質が見えてくるように感じられた。
主人公である沙知は何を抱えているのか。春原さんとの関係や、彼女の身に実際何があったのか。具体的な事は語られず、沙知と春原さんとの関係も親友なのか恋人なのかも分からない。表情や言葉の端々に何かがあった事は漠然と分かってくるが、、春原さんは何かしらの出来事で亡くなり、沙知は送り返されてきた手紙で友人と弔い、そして周りの人たちはそんな沙知を不安げに守り続ける。物語を通してそこから浮かび上がってくるものは、想像で補うしかない。しかし、多くを語らない反面、ひとつひとつの場面で彼ら彼女らはその時々の感情を露わにしている。日々の生活や、人との関わり合いの中で些細なことで笑いあったり、ふと訪れる悲しみから涙を流す。
大局をドラマティックにつなげて描くのではなく、ひとつの時間をミニマムに捉えることで、理由は分からずとも親密な空間が作り上げられていく。ドラマとしては要点を得ないほど原因に近づくことが出来ないのに、沙知や登場人物への距離感は進むにつれて近づいている。それは短歌にある間や読後感そのままの、時間や空気の流れを感じさせる。ただ黙って佇んでいる沙知の姿が映し出されるだけで、喜怒哀楽の狭間にある感情の揺れ動きを肌で触れ合う様に感じる。玄関と窓を開け放った部屋を通る風の様に、同じ空気を吸う様な錯覚すら覚える。
思い返しても淡々と台詞の無いシーンも多いのに、ここまで全く無駄のない映画は無いと思う。それは監督が語っていた言葉からも分かる様に、短歌のようにひとつひとつの場面を丁寧に描きながら、それを集約させていたからかもしれない。バックグラウンドとして大きなドラマはありながら、よりミニマムな人生の一瞬をしっかりと捉え、互いに不安と悲しみを隠そうとしながらもその瞬間の些細な気持ちを掬い上げているからこそ、観客はその隙間を埋めながら作品に向かっている。多くを語らずとも、内面をしっかりと描く事で大局的な物語は補完されていくのだなと思う。想像を巡らせながらも、画面に映る人々の感情に寄り添う事がこの映画の味わいなのではないだろうか。
たしか2度奏でられる劇伴も凄い。ピアニカかハーモニウムか判別つかないけれど、2和音をロングトーンで延々と流れ、空気が流れ込む躍動がパルスを生み出す。アンビエントではないし、現代音楽風でもない。ただひたすら同じ音程を長々と持続させる。単純なのに強く印象に残る。

終幕後のトークショーは遅い時間に行われたこともあって、途中で抜け出してしまったが中々面白い内容だった。劇伴以外のシーンでは沢山の環境音が挿入されていた事。ユーモラスな押入れのシーンは二日に渡って撮影され、もういいだろうとダメ出しで気持ちが緩んだ最後の撮影が採用されていたりと、映画の面白い裏側を垣間見る事が出来た。一見神経質そうな杉田監督の話す姿は、少し長い間の中で実直に言葉を頭の中で選びながら話を切り出そうとしていて、和やかな雰囲気が醸し出されていた。出来れば最後まで聞きたかったのが悔やまれる。
蛇足になるが、幸子との会話の中で沙知の部屋にストレンジデイズのグラムロック特集の号が本棚にあるのが気になった。こんなもの誰も気に留めないし気が付かないと思うが、沙知とこの本の繋がりが分からず一瞬ハテナが頭の中に浮かんだ。パンフレットを読むと、この部屋は実際に日高演じる日高さんが実際に住んでいた部屋で、恐らく彼の残した本だったのではと推測する。日高の派手なシャツにアコギを抱える姿から、フォークな人かと思ったがこういう所からもバックグラウンドが見えてくるのも映画の醍醐味のような気がする。


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