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きみの鳥はうたえる/体を重ねることよりも言葉がもつ強さ

「寝ても覚めても」とともに話題にあがっている「きみの鳥はうたえる」を観てきた。
先に言うと「寝ても覚めても」は俳優の力点で強行突破した映画だったけれど、「きみの鳥はうたえる」は3人の俳優が掛け合いながらじっくりと作り上げていく。そんな印象だった。

原作を読んでいないので正確な比較が出来ないのだけど、舞台を東京から函館に移したのは正しいと思う。この関係を今の東京で描いてしまうと単調な生活の中でのこの3人の関係は成り立たなかったはず。
ビリヤードやダーツなどの遊技場、クラブのシーンは都会で描くには数ある場所の選択肢として説得力が弱まると思う。観光地であり、恐らく遊ぶ場所や飲み屋が限られた中で描かれる事でリアリティが生まれてる。
特にクラブのシーンが良く描かれていて、ショットグラスを囲んで一気したり、漂うように踊る場面、DJブースの前で笑いながら佇む様子は「こんな感じだよね」と思う。
ビリヤードのシーンも長いこと撮影しながら、編集しただけあって、すごく自然な雰囲気に溢れてる。
コンビニのシーンもカメラワーク含め、かなり練られていて、アドリブと思われる会計のシーンや外でひとつの傘を3人で差すところも強く印象に残る。

観終わった後ラストシーンについてずっと考えていた。この映画は画面に映らないところで物語が語られている部分が多い。キャンプで何があったかは一切描かれていない。ただし佐知子と静雄がカラオケに行くシーンでの会話と、キャンプ後のダーツのシーンの会話で何があったのかは想像できる。
僕が話したように、ダーツのシーンの静雄の佐知子への話し方で二人の距離が縮まっているのを如実に感じることができる。おそらくふたりはキャンプの時にセックスし、気持ちを確かめ合ったのだろう。そんな距離感が言葉の間に表れている。

冒頭の誘いを初っ端からすっぽかす僕に対して、結局のところ佐知子は馴染めない部分があったと思われる。
それは暴力を振るおうとした僕に対して「やめなよ」と佐知子が僕に語りかけながらも、バイト先の森口への暴力と、仕返しの部分について佐知子から触れることは一切なかった。それは彼らがキャンプに出かけていて不在な中での出来事であり、その後佐知子と僕が体を寄せ合うことがなかった事、すでに佐知子が僕から離れた事の証拠なのかもしれない。
僕はラストまで佐知子への感情を決めず、半端な気持ちを抱えながら接した結果、おそらくより自分を想ってくれる相手として佐知子は静雄を選んだという事なんじゃないかなと。
結果、僕は何者でもありたくないというモラトリアムから抜け出し彼女の元へと走り出す。
120秒という時間は何かを待つのではなく、行動を起こすための時間に変わり果てた瞬間だったのだろう。
決めかねていた自分のアイデンティティを他者と触れ合う事で破りさり、気持ちにそって行動する。
だからこそあのラストでのやり取りは大きな意味をもつ。答えはいらない。その僕の行動が全てを語っているのだから。

よく知りもしない誰かと繋がりをもつ上で、相手のことを最初から100%知りながら関係をもつなんて事は出来ないし、ましてや結婚しても相手のことなんて結局は分からない事だらけ。
恋愛のもつ不確定な感情の中で、寄り添う事の不安定さ。体や言葉で他人とつながる。けれどそれを重ねてもつながりが太くなるかといえばそうともいえない。唇を重ね、相手の体温を感じ、赦しを覚え、そして与えながらも、次の瞬間にはそれは全て帳消しになるかもしれない。

「愛してる」なんていう安っぽい言葉はこの映画では出てこない。無理に相手を縛り付ける言葉よりも、体の関係や付き合いがめんどくさくないかの方が彼らには重要なんだろう。
けれど隣にいて当然と想っていた人がいなくなりかけているところで、好きだというシンプルな感情が芽生えている事を自覚しそれを訴える事で、相手を思いやる本当の強い言葉として伝える。

ラストシーンでの佐知子の表情に揺れを感じさせたのは、体を重ねながらもぼんやりとした関係が、最後ではっきりとした輪郭をもったという事なのではないか。
キスやセックスよりも言葉が体温を感じる瞬間。あの日差しに照らされながら、不器用だけど強く、言葉を投げかけるふたりの戸惑う表情は強く脳裏に焼きついてる。

この映画を観た人はどのように受け入れるのだろう?
経験から「こんなことあるよね」と共感する人もいれば、「そんなことあるの?」という人もいるかもしれない。
個人的には忘れていた感覚がまざまざとよみがえった映画だった。

酔っ払って店先の献花を持ち帰るシーンを見ながら「ああ、僕も道端に落ちてたゴミみたいなものを友人とノリで持って帰ったことあるな」と思い出す。
昔、私も友人カップルと3人で出かけたりする事は少なからずあったので、ここに漂う空気は肌感覚で覚えている。まあ寝とるなんてことはなかったけれど…。

佐知子役の石橋静河を見ていてどことなく「リアリズムの宿」にでていた時の尾野真千子を思い出していた。なんだろう?茶色の瞳の眼差しというか醸し出す雰囲気に近いものを感じたのか…。
面白いもので、「リアリズムの宿」を監督していた山下敦弘は、今作の原作者の佐藤泰志の小説を映画化(「オーバー・フェンス」すみません!未見です)している。
どこか世界観のつながりを感じる。

#きみの鳥はうたえる #映画

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