ジョアン・ジルベルトガイド㉔/ジョアン・ジルベルトを探して Where are you,João Gilberto?
ジョルジュ・ガショ監督によるドキュメンタリー「ジョアン・ジルベルトを探して」を観てきた。
出版当時ジョアン・ジルベルトファンの間でも話題になっていたマーク・フィッシャーによる「オバララ ジョアン・ジルベルトを探して」を読んだガショ監督がフィッシャーの足跡を辿りながら、ジョアンの行方を追っていくというミステリアスな内容。今回の映画でフィッシャーはすでに自殺で亡くなっている事が分かった。自殺に至った原因などは追う事はなかったものの、ガショ監督は自らが語り部となりフィッシャーの人生と重なり合いながら、姿を消したジョアンとフィッシャーの訪れた場所を辿っていく事になる。
映画はジョアン・ジルベルトに会って「オバララ」を歌ってもらうというガショ監督とフィッシャーの共通した目的を掲げながらも、ガショ監督は自然とフィッシャーと同じ道のりを歩んでいく事になる。
今回劇中には元妻のミウシャ、「ゲッツ/ジルベルト」リリース後にヨーロッパツアーを共にしたジョアン・ドナート(劇中に出てくる写真はこのころのもの)、ジョアンがナラ・レオンのサロンやジョビンと出会うきっかけを作ったホベルト・メネスカウ、来日パンフレットでも電話のくだりが掲載されていたマルコス・ヴァーリなどのミュージシャンから、専属のような状態に巻き込まれている料理人のガリンシャ、ジョアンがミナスの姉の家に居候していた頃の友人ジェラウド・ミランダ、ジョアン専属の髪結い、マネージャーのオタヴィオ・テルセイロなど数々の人々からジョアンの人物像が語られていた。
意外だったのは盟友ドナートも2000年代前半から連絡を絶っていた事。かつて身近だった人々からもジョアンは距離を取っていたのがよくわかるエピソードだった。晩年のジョアンと実際に会っていたり電話をしていたのはミウシャや娘ベベウなど数人だった事がうかがえる。
ジョアンが「ジェガ・ヂ・サウダーヂ」へと至るスタイルを築くために篭っていたという伝説のバスルームが劇中に登場する。50年代半ばにマリファナが引き起こした怠惰な生活が原因でコーラスグループのガロータス・ダ・ルアをクビになり、ソロデビューするもののうだつの上がらないまま、姉の住むミナスのヂアマンチーナに隠遁生活を送っていた頃にジョアンはバスルームに何時間も篭って今のスタイルにつながるものを体得していったという伝説がある。今回そのバスルームが実際に出てきて、ジョアンファンはこんなに狭い場所だったのかと感慨に耽ったと思う。僕も「ボサノヴァの歴史」で読んだ限りでは六畳くらいの広さに猫足の風呂があるような部屋をイメージしていたので、思っていたよりも狭いバスルームの便座に座ってヴィオラォンを爪弾いていたと想像すると、日本の狭い住宅事情と重なるような妙な親近感が湧いた。
添付した地図を見ると、姉の住んでいたヂアマンチーナはミナスの中心であるベロ・オリゾンチから北へかなり離れた場所なのがわかる。劇中出てくる街並みは石畳の路面に、白地にブルーで縁取られた家々と教会が印象に残る。ミナスサウンド〜街角クラブと繋がっていくが、キリスト教が信仰のベースになっているのがちょっとした風景から分かってくる。(先日のジョアンの葬式もキリスト教の教会で行われていた)
ジョアンがとっていた食事、散髪、訪れていた展望台、コパカバーナパレス(映画としてジョアンも出演した舞台)、イパネマ海岸、レブロンの街並み。彼が息をしている場所がリアルに切り取られていて、これまで文書でしか触れられなかったジョアンの生活が垣間見れる。野次馬な感じも否めないし、ラストの監督の佇まいも挙動不審なファンのあられもない姿を映し出している。それは観てる我々ファンの姿そのままなのかもしれないと思うといたたまれない感情を巻き起こす。
で?結局ガショ監督はジョアンと出会えたかって?それは映画を観て下さいな。
監督のインタビュー以下のリンクから。
メネスカウ、カルロス・リラ、ドナート、ジョニー・アレフらの証言は「ディス・イズ・ボサノヴァ」をお勧めします。